「人の心は、主の手のうちにあって、水の流れのよう、主はみこころのままにこれを導かれる。」
(「箴言/第21章1節」ソロモン)
人の心が主の手の内にあって、善、美徳、慈愛、
真実真理論理摂理に従っているうちは、
主は至高、幸福、豊潤、平和へとこれを導かれる。
「人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。」
(「箴言/第21章2節」ソロモン)
人々は思い上がり、自分が正しいと思う道を選択している
つもりでいる。 が、
主はその真実、真理論理摂理、永続性を測られている。
「正義と公平を行うことは、犠牲にもまさって主に喜ばれる。」
(「箴言/第21章3節」ソロモン)
「高ぶる目とおごる心とは、悪しき人のともしびであって、罪である。」
(「箴言/第21章4節」ソロモン)
上から目線の者は、思い上がりと傲慢、
己の無知を知らぬ者、知恵なきも偉人ぶる悪しき人の灯であって
その者の仕草、振舞い、考え、思い、行動は全て罪である。
高ぶる、浮かれはしゃぐ者を不快、憎悪する者は神の意思を引き受け、ノモスの毒されぬ人々。
高ぶり驕れ、浮かれはしゃぐ者に何も感じず、同調または共感せし者は、神の意思を忘れ、フィシスを捨て去りノモスに走る汚らわしさに毒されているのかもしれません。
フィシス──自然の摂理論理、宇宙法則、自然本性理性
ノモス──人間の勝手な法と秩序、人間の勝手な論理倫理
「コスモポリテス 12」
https://ameblo.jp/column-antithesis/entry-12570515510.html
人はフィシスとノモスの中庸を知り、そのバランスと共に謙虚に、健気に生きるが肝要であるようにも思われます。
「勤勉な人の計画は、ついにその人を豊かにする、すべて怠るものは貧しくなる。」
(「箴言/第21章5節」ソロモン)
将来を見据えながらも目前の作務に勤勉で、
その労と努力を惜しまず、目前に集中するよう心がけている人は、
その人の計画もその人を豊かにするが、怠慢なる者、集中力なき
傲慢なる者は心も資産も貧しくなる。
「罪びとの道は曲っている、潔白な人の行いはまっすぐである。」
(「箴言/第21章9節」ソロモン)
罪人、悪人、徳なき人の道と心は捻じ曲がっている。
清廉潔白なる人の道と心と行いは常に真っ直ぐに延び続ける。
「あざける者が罰をうけるならば、思慮のない者は知恵を得る。知恵ある者が教を受けるならば知識を得る。」
(「箴言/第21章11節」ソロモン)
人を小バカにして嘲(あざけ)るような、
真の知をを知らぬような者、不愛想、無神経、
傲慢なる者が罰を受けるような社会になれば、
己が無知であると自覚せし者は知恵を得、
知恵ある者は教えを受け、さらなる知識を獲得する。
「耳を閉じて貧しい者の呼ぶ声を聞かない者は、自分が呼ぶときに、聞かれない。」
(「箴言/第21章13節」)
我が国では、被災者、障害者、貧者、弱者の声を聞かぬ政治家に
政治家官僚よりも資産少なく安定の危うき者が
大切な1票を投じてしまう。
が、政治家官僚が自分の声を聞かせるときには素直に従う。
ソロモン王はこの状況を
「無知で愚かな民は、醜悪なる社会を作る悪しき者たちに従い、
いつのまにか自らも醜悪なる悪徳の権化へと導かれていく。」
とでも表現なさるのかも知れません。
「知恵ある者の家には尊い宝があり、愚かな人はこれを、飲み尽す。」
(「箴言/第21章20節」ソロモン)
僕は現状のまま過ごしてしまったら、
残り少ない預貯金を切り崩し、酒と女性に費やしてしまう
とも思われなくもないのです。僕こそ真の愚か者なのです。
「正義と慈しみとを追い求める者は、命と誉とを得る。」
(「箴言/第21章21節」ソロモン)