アンも苦の利用回? | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

我々は、アタリマエのことを忘れて生きている場合も多いようです。

お互いがアタリマエだと思っていることが、実はそうではなかったというために、
些細なことでの行き違いや感情のもつれにつながる場合もあるようです。
 
我々は、いつの頃からか、アタリマエのことを曖昧に扱ってきているのかも知れません。

それは、──歪みのない真理、明快で合理的な思考、自分の思いを伝えるための最良の武器、──論理という力なのかも知れません。
 
曖昧な論理でコミュニケーションを取っていれば、
いつか誤解曲解を生んでしまう危険もあるようです。
 
曖昧な論理として思いうかべるのは「暗黙の了解」という論理。
すみません。「アンも苦の利用回」ではありませんでした。
 
最も誤解曲解あるいはワケわからないとされる「暗黙の了解」に、
「風が吹けば、桶屋が儲かる」というものがあるようです。
 
風が吹けばホコリが舞い、ホコリが眼に入って、目を傷つけてしまう人が増える。
目を傷つけ、視力を失った人が就く職業と云えば、昔は三味線弾きの人が多かったようです。
三味線弾きの人が増えれば、三味線の需要が増える。
三味線の需要が増えれば、三味線の弦に使われる猫の皮の需要も増える。
猫の皮の需要が増えれば、街に猫が減ってしまう。
猫が減ってしまえば、ネズミが増殖する。
ネズミが増殖すれば、ネズミはかじりまくる。昔はネズミがかじるものといえば、お風呂で使われていた木製の桶が多かったようです。
お風呂で使用される木製の桶がネズミにかじられれば、新しい木製の桶の需要が増える。
なので木製の桶を作る職人である「桶屋」さんが儲かるというフローであったそうです。
 
・・・ふぅ・・・おつかれさまでした。
 
「失敗は成功のもと」などという諺にも「暗黙の了解」が潜んでいます。

正確には、失敗すれば、その欠点に気付き、それを修復しようとする。なので次回からは失敗しない成功者が増えるので、「失敗は成功のもと」となるようです。
 
「暗黙の了解」は途中の論理が隠されてしまっています。

この途中の論理に誤解曲解があれば、
その先の意見に食い違いが出てきても、なんの不思議もないようです。
 
思いを寄せる相手がイケメンである場合、「イケメンだから告白できない」などというのも、
誤解曲解の歪められた事実誤認の決めつけが潜んでいます。
 
事実ゴメン、ではなく、事実誤認であります。
 
この場合の「暗黙の了解」は、「イケメンだからモテる」「イケメンだから彼女いる」という決めつけが「暗黙の了解」となってしまっています。
が、現実にはイケメンでも彼女のいないステキな男性も多い。
 
「暗黙の了解」は、ときに「アンも苦の利用回」ではなく、
お互いがわかっているつもりのことが、実はわかっていなかったというような、沈黙の危険性も潜んでいるようです。
 
「暗黙の了解」はきめつけ、誤解曲解のもと。
現代のように、価値観の多様性が重要視され、総合的知識に個人差が広がってしまっている場合、より人々の心を傷つける危険性も増えているようにも思われなくもないのです。
 
「暗黙の了解」は、間違った論理の飛躍を生み出し、
醜悪なる関係と極悪なる社会の原因ともなりかねません。

「それは罪悪以上であり、過失でもある。」(フーシュ)
(シュテファン・ツヴァイク「ジョゼフ・フーシェ」)
 
美味しい餡に巡り会うためには、多少の苦労を経験した回数──苦の利用回ではなく、
言葉を出し惜しみせず、しっかりとお互いの気持ちを伝えていくことが大切なのかも知れません。