神々の恋愛事情も事細かく記されている。(古代版の芸能誌?)
神々の恋模様を寓話風に語り、現代人の我々にも、
恋の指南書として活用できるような配慮がなされている。
因幡の白ウサギ伝説は、その基本編。
大国主(オオクニヌシ)一行は、結婚相手の姫を求めて旅をする。
途中、サメだかワニだかを騙して痛い目にあったウサギと出会う。
ウサギは白兎。 白ウサギは女性の象徴。
悪事を働き痛い目に合っているウサギに、
多くの者が追い打ちをかけるような仕打ちをする。
ウサギに、
「傷口に塩を擦り込み、風に吹かれれば回復する」
と虚偽のサジェストを与え、これでもかというような苦痛を与える。
そこへ現れたのがヒーロー、大国主(オオクニヌシ)。
「ガマの花粉を塗って、ガマの草の上に身を横たえていれば回復する」
これが正解であった。
「古事記」はココで、
悪女であろうがなんであろうが、その罪を憎んで悪女は憎まない。
博愛と慈愛の心こそ、恋する男の資格第一条と提示する。
さらにはココで、古事記は知識の重要性をも説いている。
「コジキ」と「チシキ」 → 「古事記は知識」 (古事記は恋にも博識という資格を要求)
「タヌキ」と「ケヌキ」 → 「狸と毛抜き」(狸は毛抜きを使わぬ。アタリマエのことのたとえ)(ウソ)
古来、ダジャレ、もとい、韻をふむことは、教訓を伝える手段であったのかもしれない。(ウソ)
閑話休題。
大国主(オオクニヌシ)が白兎を救ったように、
大切な女性(ひと)を幸せにするには、知識がなければどうにもならぬ。
「古事記」の提案する、恋する男の資格第二条。
さて、恋する冒険王オオクニヌシの旅は続く。
オオクニヌシは嫁さん候補の女性と巡り会う。
彼女のパパは、オオクニヌシにトライアルを与える。
トライアルその1.蛇の這いまわる床で寝る。
「枕が変わると眠れない」「明るくて眠れない」などという男はダメ。
ましてや「真っ暗だと眠れない」などという男は言語道断。
「古事記」は恋する男に、男としてアタリマエの資格を要求している。
トライアルその2.火を放った草原を突破する。
デンジャラスな状況に躊躇してしまうような男ではダメ。
ましてや、「危ないから」などと言い訳する男も言語道断。
「古事記」は恋する男に、勇気と確信、無謀と泥棒を要求する。(ちがう)
トライアルを乗り越えた大国主(オオクニヌシ)に
姫は「このままでは死んでしまうので逃げて。私も一緒に行くから」
と、ほとんどプロポーズを受け入れたも同然。
過去の過ちを許し、手負いのウサギを助ける慈愛と博愛、博識。
どこでもドア、もとい、どこでも寝られる気転と無神経、いや、性根の座りかた。
危険を顧みず、自らの意志で危険に飛び込んでいく軽率さ、いや、勇猛さ。
そべてを乗り越えた大国主(オオクニヌシ)に、
ガールフレンドのパパ、スサノウは言う。
「おまえを認める。娘と二人でこの国を治めよ」
めでたし。目出度し。目で出汁(ダシ)(ちがう)。
「古事記」は、知識は貧困、好物は大根などという男はダメという。
「古事記」は、ビビる男は受け入れない。ビビる大木は認める。結婚おめでとう♪
私事、魚が好き。飼うのは躊躇われるが、食うのは躊躇わない。
なかでも、鮪でもないのにカジキマグロと呼ばれる魚が好き。
マカジキはソテーかムニエル、メカジキは断然サシミ。
コジキとカジキ。
僕にとって、「古事記」はカジキと同様、大好物なのかもしれない。