美知的武習録129(花燃ゆ) | コラム・インテリジェンス

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透き通るような心が…ほしい…。

「吾(われ)心は小なることを欲し、胆(たん)は大なることを欲すの語を愛す。」

(吉田松陰「客の難ずるに答ふ。」)



知識も経験も少ないのなら小心になる必要はないようです。

知識と経験も少ないのに「自分は小心者である」と思う必要もないようにも思われます。



また、少々の知識と経験だけで大胆、豪胆、太っ腹な人になる必要もないようです。

少々の知識と経験だけで大胆、豪胆、太っ腹になろうと努めれば苦しくなってしまうかも知れません。



自分を苦しめる必要もないようです。

知識と経験を十分に積むことから始め、その後に、その知識と経験を活かし細心に詳細に気を配り、よくよく思案した後に大胆、豪胆、太っ腹になればすむことのようにも思われます。



最終的には繊細に、細心に、詳細に目と耳と気を配り、よくよく考えたうえで大胆、豪胆、太っ腹な行動を起こしても、けっして遅すぎることはないようです。



いや、むしろ、そのほうが安全、安心、気兼ねなく大胆、豪胆、太っ腹になれる。

まずは知識と経験を蓄えることから始めるのが寛容であるのかも知れません。



「吾(われ)心は小なることを欲し、胆(たん)は大なることを欲すの語を愛す。」

(吉田松陰「客の難ずるに答ふ。」)



僕もこの言葉は大好きですが、僕のように愚かで還暦なオジさんになってしまうと、ついつい自分の知識経験だけで、大胆豪胆太っ腹になりがちです。

それは油断、思い上がり、世の中を甘く見ているということになるのかも知れません。



あらためて松陰のこの言葉を噛み締め、自分自身初心に還り、小心さを失わず、ときに大胆になれる人間を目指したいとも思われます。



が、現実には、そうも上手くいかない。

現実には楽観主義、楽チン主義が優先してしまい、後で後悔する日々の連続にただひたすら耐えるだけの余生を送っているようにも思えてならない。



「吾(われ)心は小なることを欲し、胆(たん)は大なることを欲すの語を愛す。」

(吉田松陰「客の難ずるに答ふ。」)



「我々は、心はそうなることを欲し、タン塩は大きいものを欲す。」

(コラム・インテリジェンス「店員の『ご注文は?』に答える。」)