・ここのところ陽の当らない名品発掘を
気の向くまま続けておりまして、
思わず自分だけのノスタルジックな時間に
埋没しておりますが、


■SAM PECKINPAH

過ぎ去った西部の栄耀栄華の時代を
男たちのノスタルジーとして描き続けた監督に
ハリウッドの“喧嘩王”サム・ペキンパーがいます。



黄昏ウエスタンという表現は、
粗野な魅力あふれるペキンパー映画には
相応しくないところもありますが、



まさしく夕陽が沈みゆく様を見届けるような、
黄昏時の西部を綴ったコミカルな名品が、
「砂漠の流れ者」(別称:ケイブル・ホーグのバラード)。



ペキンパーはここで、
哀切なはずの悲劇を、軽妙なコメディの風味によって
寓話のような感傷のドラマに置き換えて見せます。



ペキンパーが初めて見せた洒脱のセンス、
この繊細な器用さを見せたのはこれが最初で最後ですネ。



この先、残念ながら語られることも少ない1本だとは思いますが、
サム・ペキンパーという人の真情を知る上では欠かせない
ノスタルジーウエスタンの秀作です。







●The Ballad of Cable Hogue(1970・アメリカ)
監督:サム・ペキンパー
脚本:ジョン・クロフォード エドマンド・ペニー
音楽:ジェリー・ゴールドスミス♪
撮影:ルシアン・バラード






・砂漠の真っただ中に、水も銃も取り上げられて
仲間ふたりから見捨てられた
風采の上がらないならずもののオッサンが主人公。



ケーブル・ホーグ、名前は立派だが
自分の名前のスペルも綴れるかどうか怪しいくらいの
無学な無頼の徒である。



丸腰で砂漠をさまよい歩いた果てに
いよいよ精根尽き果てて、
天空の神に往生際の祈りを捧げた瞬間
奇跡的に水源を発見したところから、
オッサンの錆びれた人生は
大復興を遂げることとなる…というお話。



町で見かけたグラマラスな金髪の娼婦に
一目惚れして、すっかりイレ上げていくという
できそこないの恋路が、太い線として絡んでくる。



オリジナルタイトルからして
ケーブル・ホーグの“バラード”である。

既に男目線による詩情あふれるオッサン挽歌であることを
ペキンパーは宣言しているのだ。



そんなペキンパーが描く西部の寓話ともいうべき
ノンシャランとしたバラードの展開の中で、
男の復讐劇と、ほんわかしたメロドラマが
ユルく醸成されていく。





ペキンパー映画の軸そのものはブレることなく、
愛の構図を語っていく感性は素晴らしい。



コメディリリーフを得意とする
ステラ・スティーヴンス演じるヒルディという名の娼婦が
抜群にイイ。

映画のヒロイン史上、ベスト何位かに入れておきたい
イイ女である。



もちろん、
ペキンパーの男目線による見せ方あってのことながら、
立ち寄った町に、こんな娼婦がいたら
ケーブル・ホーグならずともあっさり魅かれるに違いない。



この後出演の「ポセイドン・アドベンチャー」で演じた
アーネスト・ボーグナインの新妻役も
出演シーンの殆どがパンティというセクシーさが目立っていたが、


『THE POSEIDON ADVENTURE』(1972)borgnine&stevens(R)

そこでも、本作をなぞらえたかのような
娼婦上がりで、オッサンに愛されるイイ女という役どころだった。



対する味のあるアウトローオヤジ、ケーブル・ホーグを
演じたのは、名優ジェーソン・ロバーズ。



主人公を砂漠に置き去りにした性悪の2人組は
ペキンパー映画常連の名傍役
ストラザー・マーティンとL.Q.ジョーンズ、



「ワイルドバンチ」でも、この2人、コンビを組んで
下衆の賞金稼ぎを演じていたが、あのまんまのキャラで登場する。



インチキな祈りを捧げて人を煙に巻こうとするエロ牧師が
ペキンパーお気に入りのデヴィッド・ワーナー、
殺伐としたアウトローのドラマを、男の夢物語として昇華させる
重要な存在でもある。



他にもペキンパーが好んで使った
ローカルなジャガイモ面のスリム・ピッケンズ、
R.G.アームストロングらが登場していい味を出す。


■SLIM PICKENS


■STROTHER MARTIN

いかにもペキンパーは気心の知れた仲間たちと、
いつになくリラックスしてこの作品を撮ったに違いない。
そこらじゅうに漂う空気が、とても心地いい。




メキシコの場末で生きる娼婦たちを
終生こよなく愛したと言われるペキンパーが、
口ずさむように奏でた女性賛歌であり、



荒廃した砂漠の片隅にスケッチされた
やつれたアウトローと心寂しき娼婦の情話である。

突如現れた文明の利器に抗おうとするケーブル・ホーグの姿は、
痛ましくもあり、孤愁の哀れを誘うのだが、
黄昏の果てにきらめくこのウエスタンは、どこまでもやさしい。








★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。































・西部劇は既に神話が崩壊し、
今の時代には、もうどこかで完全に分が悪い存在ですね。



『大草原の小さな家』の中で、ローラが口にしたセリフ、

歴史の勉強って嫌いだわ、だって死んだ人の話ばかりだもの

このセリフは、歴女の皆さんは別としまして、
多くの女性の方々の感性を言い当てている気がします。



西部劇はもちろんのこと、戦争映画、日本の時代劇も
フツー好んで観ないですよネ、どちらかと言うと敬遠したがります。



当然ながらウチの相方さんも、僕がオールドタイム系を
ニヤニヤしながら観ておりますと、
「ん!また、貴様“いにしえ”を観てやがるなコラ」
と、軽蔑の思いをこめた言葉を口にするくらい苦手でございます。

9歳も離れておりますので当然と言えば当然なんですけどネ。ハロウィン



じゃあ、そんな世界を好む男とは何なんだ?
という回答になっている1本の西部劇があります。

僕の大好きな監督ディック・リチャーズのデビュー作、
「男の出発」、出発はここでは“たびだち”と読みます。



オリジナルタイトルは“The Culpepper Cattle Company”
“カルペッパーカウボーイ団”くらいの意味ですネ。

これもニューシネマ期に生まれた秀作中の秀作です。





●The Culpepper Cattle Co. (1972・アメリカ)
監督:ディック・リチャーズ
脚本:エリック・ベルコヴィッチ グレゴリー・プレンティス
音楽:トム・スコット ジェリー・ゴールドスミス♪







・男は武器が好きだ。

鎧をまとい、兜をかぶって武装したいのではなく、
例えば、こっそりと
ポケットの中にチョッとした武器を持っていることに
ステイタスを感じるふしがある。



持っていることこそが大前提で、
その実、武器の本当の使い方なんて知りゃあしないものだ…



「男の出発」は、
カウボーイに憧れて、4ドルで拳銃を手に入れた16歳の少年が、
2000頭の牛をコロラドへと運ぶベテランカウボーイたちの
キャトル・ドライブに懇願して雇われるところから始まる。

背景は西部劇ながらも、カウボーイ連中の長旅の道中を追う
ロードムービーでもある。



少年(ゲイリー・グライムス)が憧憬するほど
ここに登場するカウボーイたちは、決してカッコよくはない。



なんだか小汚いし、一向に颯爽としない風体で、
カウボーイハットひとつとっても、
僕らがイメージするテンガロンハットではなく、
ヨレヨレのいろんなツバ広帽をかぶっている。



1日1ドルの給金と、まずそうなメシがまかなわれる仕事に
カウボーイたちは黙って身を任す。



これがカウボーイの本当の姿だと言わんばかりのリアリティに、
妙にサラリーマンの絵姿を見るかのような親近感すら覚えてしまう。



遠い道のりを、牛の食べる牧草と水を求めながら
野宿を繰り返して、ユルユルと旅する男たち。



しかし、主人公の少年に至っては、
志高くあれども、荒野の荒くれどもに接しては、
ドジを踏みまくるわ、大事なところでチョンボするわ、
銃も馬も持っていかれるわ、まるでいいとこなし。



そして、仲間のカウボーイたち、
見てくれは今一つカッコよくはないのだが、
これが次第に見かけではない心意気のカッコよさへと
変貌していく。



少年が、冒頭で仲間に自慢していたガンベルトに収まった拳銃、
そして、カウボーイたちが何気なく腰に差した拳銃、
それぞれが大きな意味を見せ始める展開は、
思いもよらぬ激しいガンファイトと共に、
ディック・リチャーズ監督のメリハリの効いた演出が冴え渡る。



途中からこのキャトル・ドライブに参加することになる
ラス(ジェフリー・ルイス)率いる4人組がイイ。



ルーク・アスキュー、ボー・ホプキンス、ウェイン・サザーリン、
70年代のあらゆる映画で顔を見かけた曲者連中だが、
ここでも曲者ぶりを存分に見せつけてくれる。



タイトルのカルペッパーというカウボーイのリーダーを演じる
ビリー・グリーン・ブッシュ、
この人物にも男のひとつの原形質を見せられる。



主人公に牧童の人生を指南する料理人役のレイモンド・ガス、
女好きでホラ話を語るカウボーイのマット・クラーク、
前半に登場する狡猾な牛泥棒にローヤル・ダーノ、
理不尽な地主のオヤジにジョン・マクリアム、
移民の教団を率いる気弱な男にアンソニー・ジェームス、





同じく70年代アメリカ映画のジャンク系傍役俳優陣の
品評会ともいうべき顔が居並ぶ。




この男たちにとって、武器とは何なのか?
拳銃とは何なのか?

男はどこかで馬鹿なのだ。
しかも救いようのない馬鹿だったりもする。



無理、無駄、そして無謀を承知のくせに、
自分勝手な注釈をつけて、
他人には鼻で笑われそうな大義に命を張る。



とても利口な奴の所業ではない。

しかし、利口で生きることにも
どこか、ぎこちなさを感じるのも男だ。


LUKE ASKEW この作品のルーク・アスキューは無条件で最高!



アメリカ映画が描く正統なる男たちの連帯が、
ここにも深く刻み込まれている。



さて、
男が何故西部劇や戦争映画を好きになるのか?
あるいは拳銃を好きになるのか?

使い慣れない武器を
ポケットに突っ込んでおきたくなるのか?



このアメリカンニューシネマの傑作が、
30年も前に、あっさり語り尽くしている。







★★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。































・「二十日鼠と人間」の食い詰めた男たちは
もちろん住む家など持てず、さすらいの旅を続けながら
雇われ人として、日銭を稼ぐ先の見えないその日暮らし。



そんな男同士の旅の映画、
アメリカ映画の得意とするこの構図は
やはり、原点は西部劇ですネ。



フロンティアスピリッツに裏打ちされた
成功しか信じないアメリカ神話の強さ。

でも神話は神話、
失敗の歴史、負け犬の歴史を語らないことが
神話をどこまでも大きく見せて、
アメリカンドリームなんて言葉を生むんでしょうネ。



だからこそ、と言うべきか、
北爆に始まるベトナム戦争への懐疑と喪失感は
アメリカにとってデカ過ぎたんだと思います。



遠く離れたアジアとの戦争で、ドリームの虚飾と共に
アメリカの正体を知った瞬間、失敗と負け犬の歴史を
口にせずにはおられなくなったんでしょうネ。

それが、
アメリカンニューシネマと呼ばれる一連の映画だったと思います。



成功しか信じないアメリカが、
失敗も神話の一部として語るようになって、
陰影を見せるアウトロー映画群を生みだしました。



ところが、
夢を語り過ぎ、神話にまで高めてしまった以上、
負け犬ののたうち回る姿や、堪え難き失敗を
いまさら大声では語れないわけで、

言葉少なにつぶやくしかなく、
叫びも負け犬の遠吠えとして、
夕陽の彼方に霧消して行くしかなかったんですネ。



アウトローは所詮アウトロー、
行きつくところは誰もいない地平線の果てか、
土埃にまみれた見捨てられし荒野か…


しかし、大変な傑作が埋もれているのも
時代に歩調を合わせたニューシネマの意地でもあって、
その1本がピーター・フォンダが初監督した
西部劇「さすらいのカウボーイ」。

こんなにも寡黙で美しい西部劇はない…。








●THE HIRED HAND(1971・アメリカ)
監督・主演:ピーター・フォンダ
脚本:アラン・シャープ  撮影:ヴィルモス・ジグモンド
音楽:ブルース・ラングホーン♪







・まだカリフォルニアが天国だと信じ込まれていて
Go West!が、夢見る男たちの共通言語だった時代。



ニューメキシコの山野をさすらう3人の男たち。
彼らが夢見る地カリフォルニアは、金が採れてオレンジもあり
温暖な気候と青い海に恵まれているという。



川辺で遭遇した思わぬ出来ごとから、
仲間のひとり(ピーター・フォンダ)が、
7年間放置してきた妻と娘のいる家へ帰りたいと口にして、
男たちのさすらいの旅は、少しずつ揺らぎ始める。



流れる人生から、根差す人生への転換、
そこに閉ざしたカーテンの如く明かりを塞ぐ7年という歳月の重さ、



さすらいながら夢を追う男たちの連帯の中に、
心の奥では、どこかで求めていながらも、
もっとも似つかわしくない空間が、家庭という安堵の空間。



この作品が長く記憶に留まる深味を残すのは、
帰るべき故郷、家、家族の存在をドラマの中心に据えたこと。



見捨てられた年上の妻、小さな娘、
不信の空白を抱えながら折り合うことの苛立ちと、
人の人に対する想いの在りようを丁寧に見せる。



そして、あふれていた自然のゆるやかなたゆたい、
殺風景な小さな田舎町に飛び交う銃弾…。



その映像と人物たちの物静かな呼吸、
不要な涙など一滴もこぼさずに、
言葉に出来ない言葉を語り尽くして行く。



こんな西部劇が他にあっただろうか。



たとえは最悪なのだが、
ペキンパーの「ワイルドバンチ」と「大草原の小さな家」が
1本の映画の中に同居するみたいなものだ。



いや、むしろ西部劇を背景にしたからこそ、
人の心の痛点がどこにあるかをシンプルに伝えられたのかもしれない。



当時は賛否分かれた作品だと言われる。
否を唱えた奴はどうかしていたんじゃないか?

時が経ち、作品はあらためて称賛され、
永久保存すべき1本として扱われるに至った。



名キャメラマン、ヴィルモス・ジグモンドの映像は
木々の戯れ、水のせせらぎを語る吟遊詩人のそれである。

その映像にブルース・ラングホーンが奏でるギターの音色が
静かに被さり、すべてが胸に沁みわたる。

そして



大地に根差す野太さを見せた女優ヴェルナ・ブルームがいい。
ドラマのヒロインでありながら、美人でも若くもない。
彼女が醸し出す、土着の生活の匂いと女心はどこまでも本物だ。




相棒を演じる70年代アメリカ映画の顔でもある
ウォーレン・オーツの無駄のない存在感が、また格別だ。
なんといい俳優なんだ!



監督としてのピーター・フォンダは、
自分のギャラを返上してでもオーツを使いたかったらしい。

理由は、作品を観れば納得させられる。










★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。




















・ヒッチコックの「救命艇」の原案を書いたのは、
「怒りの葡萄」「エデンの東」で有名なノーベル賞作家
ジョン・スタインベック。
どうりで、ヒッチコック作品としては異色ともいえる
繊細な心理劇と骨太な筋立てだったわけですネ。


■JOHN STEINBECK

僕がこの人の小説で最も好きなのが「二十日鼠と人間」、
中学の思春期に出会ったので余計胸に残る一作なのですが、
理由は
「話す男」と「聞く男」の姿をシンプルに描いているからです。



思えば
アメリカ映画が時代を超えて繰り返し描き続けてきた男と男の旅。
同じ見果てぬ夢を求めて旅から旅、
いつ終わるともなきさすらいの日々、
そして旅路の果てに彼らが見たもの…。

そんな姿をアメリカ映画の中ではいくつも見せられて来ました。



映画が見せる男たちの旅は、
希望の光よりも挫折の闇にたどりつくものに優れた作品が多く、
古き開拓精神に裏打ちされたアメリカンドリームに敗れ去ることが
現代においては、どんなことなのか?を語って来た気がしますネ。



もうひとつ、「二十日鼠と人間」には、
友情という言葉が安っぽく聞こえるような、
男たちの正当な結束と、かけがえのない連帯が描かれています。



1992年にゲイリー・シニーズ監督主演で制作された
原作に忠実なカラー版も情緒豊かで捨て難い味がありますが、

昔、アイ・ヴィー・シーからリリースされた
ルイス・マイルストン監督で
若き頃のバージェス・メレディスが主演した1939年版のDVDは、
僕にとっては、人知れず、今や宝物のような1本。


■BURGESS MEREDITH

今日のレビューは、チョッと古い雑記ノートに書いた
旧作「廿日鼠と人間」の思い入れ多き感想文をそのまま採録します。



●Of Mice and Men(1939・アメリカ)
監督:ルイス・マイルストン
原作:ジョン・スタインベック 脚本:ユージン・ソロウ
音楽:アーロン・コープランド♪






・まず肥大化する以前のアメリカの貧しいながらものどかな空気がいい。
登場する男たちのギリギリのところで息づく姿がいい。
そして、ため息まじりに吐くその言葉がいい。



昔読んで深い感慨に包まれた小説の世界が、画として動き出す興奮。
あらゆる登場人物たちの細かく描き分けられた個性のリアリティ。



他人同士の心と心がつながるなんて、嘘くさいものではあるが、
ここには心のつながりとは何かが圧倒的な説得力で描かれる。

心やさしき小男ジョージ(バージェス・メレディス)と、
知恵の回らない大男レニー(ロン・チャイニー・Jr)の
仕事を求める放浪の日々。





無智なる怪力男を引き連れての旅は、
どこかで危険と背中合わせであることをジョージは知っている。
しかし、そんなレニーを庇える人間はこの世に自分しかいないことも
知り尽くしている。



精一杯、レニーに気を回し続けるジョージという男の抱えた
果てしない孤独。
伯母に託された厄介な親戚、こいつがいなければ…
そんな思いは幾度となく脳裏をよぎったに違いないが、
決別は死を意味する。

そんなことは、ジョージの人生の選択肢からは既に外してある。



貧しく渡り歩く人生をやめて、いつの日かふたりで
小さな農園を持ちたいというささやかな夢を語り、思いを巡らす。



されど、この大恐慌のカリフォルニアではそれは実は叶わぬ夢。
しかし、せめて口にせずにはおれないほどの苦難まみれの時代。



レニーにとっては、ジョージがそんな夢を語る時間がこのうえなく
楽しい安らぎのひと時となっている。
まるで、母親の子守唄に眠りを誘われる赤子の姿。



小さな農園での毎日の自分の仕事が、
ウサギの世話という部分に至ると身を乗り出して狂喜する。

話す男、聞く男。
儚き夢を共有する男たち。



長年面倒をみた相棒の老犬を失って、
生きがいすら失った身寄なき老人キャンディ(ローマン・ボーネン)が、
つましき二人の夢に心躍らせる。
自分の持ち金をすべて投資するから仲間に入れてくれと願い出る。



老人は彼らよりももっと孤独だった。
辛苦と酷使に疲弊し、衰弱の一路をたどる労役の生活から
1日も早く逃げ出したかった。



ただ、逃げ出せば看取る者もなく野垂れ死ぬ。
人の傷みに鋭敏なジョージには、そのやり場のない孤独が
身にしみて突き刺さってくる。

3人の気持ちが静かに盛り上がるやさしい連帯の姿は胸を打つ。

思わぬ共同出資者の登場で、夢が現実に届きそうになる。
ひょっとして、うまく行くかもしれない!



しかし、そこには思いもよらぬ形で、思いもよらぬ現実が
待ち受けている…。

筋書きを知っていながらも、
思わずこぼれ落ちる涙をどうすることもできなかった。



スタインベックが1937年という失業者あふれる恐慌期に発表した
「二十日鼠と人間」は、
その不毛の解答を男同士の連帯と善意の構造という視点から書き抜いた
あらゆるアメリカの「男と男の旅物語」の原型である。



原作のモチーフとなったのが、イギリスの詩人ロバート・バーンズの
「はつかねずみ」という詩の一節にある数行の小文とされている。

『二十日鼠と人間の最善を尽くした計画も、後から次第に狂ってゆき、
 望んだ喜びの代わりに、嘆きと苦しみ以外、我々に何も残さない』




僕が、やりきれないほど重々しい悲痛なドラマでも映画でも、
すんなり受け入れて観てしまえるようになったのは、
初めに、スタインベックの小説に描かれたこの物語ありきである。






★★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。
































・もう1本、
洋上さまよう遭難者にスポットをあてた作品を。



「ゴースト 血のシャワー」の背景には、
薄気味悪いナチスの幽鬼が漂っておりましたが、
そのナチスの影を、ヒッチコック先生が皮肉をこめて
海洋サスペンスとして見せたのが「救命艇」。



これは公開年が1944年、
戦下の狂気をベースにしたドラマということもあってか、
日本で名の知られたスター不在の作品のためか、本邦未公開。



今の時代なら尚更のことですが、ヒッチ先生の映画の中でも
1,2を争うくらい観ている方の少ない作品ですネ。

ところがこれがかなりの力量あふれる1本。
舞台を一艘の救命艇の上だけで描く密室サスペンススタイル、



古くは、以前取り上げました新藤兼人監督の人間や、
最近では、アン・リー監督の野心作ライフ・オブ・パイ
ロバート・レッドフォードが主演した
「オール・イズ・ロスト 最後の手紙」あたりの洋上シーンを
思い起こさせるワンシチュエーションの相克のドラマ。



ヒッチコックという人が、
単にサスペンス、スリラーに偏重した監督ではなく、
どれほど人間スケッチが巧く、洞察力に優れた人かは、
この作品を観ればよくわかります。








●Lifeboat(1944・アメリカ=イギリス)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
原作:ジョン・スタインベック 脚本:ジョー・スワーリング
音楽:ヒューゴー・フリードホーファー♪







・ドイツ軍の魚雷によって沈没させられた客船から
一艘の救命ボートに、次々と遭難者たちが逃げのびてくる。



気丈な女性ジャーナリストを筆頭に、船乗り、会社の経営者、
乳飲み子を抱えた女性、黒人といった、職業も階層も異なる
8人の男女、
そしてそこに、ドイツ海軍の軍人が助けを求めて乗り込んでくる。



この招かれざる客の存在が、
ボートの上に不穏な空気を漂わせ始めるところから、
死線からの脱出劇に、もうひとつの
一時も目の離せない息苦しいドラマを発動させていく。



ヒッチコック先生は、正に呉越同舟の混沌とした人物群が
逃げ場のないボートの上で、面倒な葛藤を繰り広げる姿を
クールな視点で追い続ける。



個々のキャラクターを印象付けるテクニックは、
既にこの頃から備わっていたようで、
特有のユーモアのセンスも垣間見えるところが
ヒッチコックのヒッチコックたる所以。







特に、主人公の立ち位置を担いつつ、実は狂言回しの
役どころとなる女性ジャーナリスト(タルーラ・バンクヘッド)の
見せ方が上手い。



物に執着する女性の軽薄さから、苦境の最中でも欲望を抱き、
生き残る手段を心得たしたたかさまでが、
崩壊と再生を繰り返してきたであろう
このスーパーウーマン気取りの女性の中に描きこまれている。



今から70年も前の映画でありながら、
語り口ひとつで、ドラマは永遠の鮮度を維持しながら
観る者の心に呼びかけてくる。



人間は時代と共に心も進化し、洗練されたと勘違いしていて、
ホントは、単に機械が物理的進化を遂げただけで、
目の前を時間が通過したにすぎないのだと思う。

古来より、貧富や人種の違いがもたらす
人の心の狭さや小賢しい正体は、何一つ変わっていない。



この古き幻の秀作に触れて、
そんなことをふと考えてしまった。








★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。







【オマケ】