・この忙しい時節にすっかり悪魔祓いに夢中=!

「バチカン・エクソシスト」という書を発見。
LAタイムズのジャーナリスト、
トレイシー・ウィルキンソン女史の著作。



これが本格的な悪魔祓いを紐解くレポートとして
ひじょうに興味深い一冊。
厄介な憑依による悪魔祓いの実態も登場する。


■TRACY WILKINSON

更に、悪魔祓いそのものの歴史から、
宗教としてのカトリックとの関わり合い方、
現代のイタリアにおけるエクソシストの奥深い部分に
斬り込んだ一冊。



何人もの徳の高い神父らの証言がリアリティたっぷりで、
すっかり夢中になって読み耽った。




ここに登場する現代最も有名とされるエクソシスト
ピーター・ガブリエーレ・アモルス神父からの流れで、
イタリアのカトリック教会を探索していたら、

今度は、本格派の修道士の映画に遭遇し、
思わぬ形でいたく感銘を受けてしまった!



もちろん、僕は名前を知らなかったが、
詐欺師とも聖人とも預言者とも心霊家とも言われた
フランシスコ・フォルジョーネ神父、
通称「ピオ司祭」と呼ばれた高名な人物の一生を描いた作品。


■PADRE PIO: Francesco Forgione

先述の“エクソシスト”アモルス神父は、
何とこのピオ司祭の霊感や、
内在した聖人と取り憑かれた悪魔について
実際に会って調べたことがあるという人物。

神父によると、ピオ司祭は、自分の前に現れた霊が
神と悪魔のいずれであるかをしっかり認識していたという。



ますますピオ司祭について興味を抱かずにはおられなくなり、
イタリアの3時間余に及ぶTVムービーの大作を鑑賞。
神聖なる世界を見せる堂々たる作風は見事!の一語。



ひとりのイタリアの貧しき僧侶の人生ドラマだし、
映画情報誌や評論家すら取り上げない類の作品である。
まして、
今の直線的な映画嗜好の続く日本では当然の未公開。
偶然接することがない限り、
永久に観ることのない映画でもある。



国内にはソフトも無いらしく、ネット上で公開された
岩田拓靖氏が訳した英字幕版しか観る手段は無いらしい。




本作をアップしてくれた
岩田氏の丁寧な語調による字幕はとにかく素晴らしい。
日本の丁寧語の存在意義をあらためて知らされた。



思っていたよりも
佳品小品レベルに落ち着いている2014年の公開作群。
今年初めて観た作品の中で、「ピオ司祭」は、
2000年製作の映画ではあるが、
久々に出会えた正統派映画として最も衝撃を受けた1本。

このまま今年の自分のベストワン必至かもしれない。







●Padre Pio(2000・イタリア)
監督:カルロ・カルレイ
原作:レンツォ・アレグリ
脚本:マッシモ・デ・リタ マリオ・ファルコーネ
音楽:パオロ・ブオノヴィーノ♪







・余命僅かとなったピオ司祭(セルジオ・カステリット)の元に、
審問官のヴィスタトーレ神父(ユルゲン・プロホノフ)が、



50年前に聖痕を受けたとされる真偽と、
民衆の狂信を煽動して、
あたかも犠牲者であるかのように振る舞い、
まやかしの如き神職と儀礼を続けてきた真実の一切合切を
問い質すためにやって来る。



病に侵された相手に重圧を与える容赦なき鉄面の人物だ。

この開巻は、
厳粛な音楽に彩られて、荘厳な空気が漂う。



「あなたが隠し続けてきたことすべてを話すのです」
と詰め寄られ、
死を目前にしたピオ司祭は、幼少の頃からの
聖なるものと、対極にある悪魔との関わり合いを話し始める。



この物語は、
宗教裁判所からは欺瞞と虚像を作り上げたと疑われ、
貧しき農家で育ち、聖職へと歩を進めたひとりの人物の
神秘のベールに包まれた謎と、
奇跡や聖域に限りなく近づいた神父としての人生を見つめる。



そこには信仰の中で生まれた感性と、
答えの導きだし方というものがあることに気づかされる。



「嘘」とは何か?
「真実」とは何か?
そして、人は何を信じるか否か…



その選択の過程で、幾多の人々がピオ司祭に接し、
あらゆる聖技を目の当たりにして、
どこまでも信頼を寄せて行く。



未知へとつながる信仰そのものが迷信でもあり、
現実を受容する信仰そのものが解答でもある。



そして
もうひとつの大きなテーマが浮かび上がってくる。
人間の「貧困」である。
これは、金銭による目に見える貧しさと救済以外に、
生き方の貧しさ、心の中の貧しさにもフォーカスしている。



ムッソリーニが国民の士気を鼓舞する
力強い演説がラジオから流れた時代、
更に戦争を経て揺れ動く時代に、
人々の心の支えとなり続けたピオ神父。



彼が両掌に受けたという聖なる痕跡についての真偽は
不明のままだが、
幾度も登場する民衆の懺悔に答える言葉、
あるいは
苦しみ、悩み、不安から解放してやる姿、与える言葉は
慈愛にあふれ、
人智を超えた情け深さと、説かれる心の戒律には説得力がある。



更に死前の喘ぎの中で、真偽を問う審問官に対し
懺悔を請うシーンは感動を誘う。



そして明かされる謎とピオ司祭の真実の姿、
一生を信仰に捧げた人物の聖人としての存在感に
熱きものを抱かずにはおられない。



70~80年代のイタリア映画は、
正にこの正統派としての力量を持っていたことを
思い出させる。



エルマンノ・オルミ監督の「木靴の樹」、
ベルナルド・ベルドリッチ監督の「1900年」、
タヴィアーニ兄弟の「パードレ・パドローネ/父」…
挙げればきりがないが、
輝きを放つ本物の秀作が公開されていた。



そして、厳しい現実を淡々と見つめながらも、
その根底に流れる“やさしさ”は、
古くからイタリア映画が持つ大きな魅力のひとつである。



映画「ピオ司祭」には、
忘れかけていたこのイタリア映画の“やさしさ”が
深く刻まれていた。





★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。
























・POV映画は、メジャー化して久しく
今さらめずらしくもないが、

動画サイズの視野の狭さと、
手ブレありの素人っぽさが
イイ具合にリアルに見えるから
ホラー映画にこのスタイルが多い。

で、見づらい。大画面だと、酔う。



もっと言うと、
役者もスタッフもプロ不要、
ついでにまともなライターも雇わない
低コスト映画ばかりなので、凡駄作の山盛り状態。



正統派ドキュメンタリー作家には
鼻であしらわれそうなレベルの
こけおどしこそが至芸なので、
コイツがうまくいかないと目も当てられない。



更に、最近増殖し過ぎたのが
これらを駆使したモキュメンタリー、
ひと言で言うと、モキュの名のもとに
ヤラセを堂々と遂行するスタイル。



さて、悪魔祓いの顛末を追うという
モキュメンタリーホラーの未公開作
「デビル・インサイド」はどうだったか?

「バチカンは悪魔祓いを認めない…」云々の
仰々しいテロップによる前置きの後に、
陰惨な血まみれの殺害現場が登場する開巻部分は、
一瞬、未公開も納得の凄味がある。



椅子に拘束されて悪魔祓いを受けていた女性が
縛られていた紐を引きちぎり、
司祭ら3人を殺し、自ら警察に電話したという設定で、
何やらデンジャラス感は充分。



エクソシストと聞くだけで高揚感を感じるタチなので、
チョッと期待させるオープニング…。







●The Devil Inside(2012・アメリカ)
監督:ウィリアム・ブレント・ベル
脚本:ウィリアム・ブレント・ベル マシュー・ピーターマン







・冒頭の事件を調査している
モノ好きなドキュメンタリー監督がいて、
精神鑑定の結果、
イタリアの精神病院で隔離されている女性と
その娘を再会させるというドキュメンタリーを
撮るべく、娘に接近。



旅費、諸経費諸々の資金援助というオプションまで
くっつけて、娘と共に遠路イタリアへと向かう。



ここまでは、まあ、さもありなむだ。
問題は、イタリアに到着するや、
悪魔祓の学校へと留学する過程や意図がやや素通り感、



アンソニー・ホプキンスの
「ザ・ライト -エクソシストの真実-」が
まさしくバチカンのエクソシスト入門編のような
お話だったので、モチーフはそのあたりにありそうだ。



こっちとしては、そんな学校があること自体に吃驚だが、
母親に悪魔が憑依していることを証明するべく
協力する神学生も現れる。



彼らが手掛けている悪魔祓い患者(?)の症状を見せたり、
悪魔祓いについての基礎知識などを語ったりする。



とんとん拍子に悪魔祓いの儀式へと至るわけだが、
かなり不快指数の高い映像を繰り出してくる。



悪魔に憑依された人に対し、
病理学者や科学者は、
ウツ病、統合性失調症、解離性同一性障害…
といった病名のカテゴリーに当てはめて、
薬物等を利用して治療を施そうとする。



しかし、一向に回復せず、当事者はみるみる
深刻な事態へと悪化の一路。

そこで登場するのが、
悪魔祓に精通したエクソシストと呼ばれし神官たち。



ある意味、プロの裏技師、必殺仕掛人、
もしくは市販の風邪薬に対する漢方の秘薬。



科学で解明できない領域を、宗教が引き継ぐ。
というのが、ここに登場する悪魔祓師の弁。

ムム!何やら説得力あるじゃないか!



ただ、
悪魔祓師学校の2人の生徒がこの作品の
エクソシストなので、
大丈夫かヨ?と一声かけずにはおられないのだが、



まあ、このお二人、

キャリアはともかくやる気は充分なので、
悪魔に憑依された人々との決死の闘いを、
黙々とこなす姿は堂々としていて、
善意あふれる努力を認めないワケにはいかない。



クライマックスに向けて、
エクソシストたちに異変があり、
事態が急転して行くあたりは、まあ見どころもあり、
こけおどしも含めてモキュメンタリーらしさを発揮。



おぞましいし、何か汚いし、血量も多いワケだが
この作品が何とか新手として打ち出そうとしている
“多重憑依”と“転移”の流れはそこそこ見せてくれる。



問題はラスト、
これを引っ張り回された着地点にされたのでは、
…チョッと肩透かし。



もうひとひねり出来る素地はあっただけに残念。
ま、所詮モキュメンタリーではありますけどネ。








★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。




























・映画にとって、オチや余韻は重要なものだ。

「バーディ」や「キャリー」のような
オチが見事に決まった作品もあるが、
ひょっとして決め手を準備していなかったのか、
思わぬ世界へと逃げ道を求めた変な映画があった。



●NOBODY(2008・カナダ)
監督・脚本:ショーン・リンデン
音楽:ジェームズ・ロバートソン♪


・困りましたナ、
正直、この作品をいかように伝えれば
よいのでありましょうや?



原題はNOBODY、これは幽霊のことか?

そう考えると、いくつかの不条理が解明するものの
映画全体に毒が廻り過ぎていて、解毒はムリ。

「シャッターディストリクト」は、
久々に出くわした、
理解不能のZ級臭プンプンの1本。



どうやら
主人公(「ソウ」シリーズのコスタス・マンディロア)が
組織の殺し屋で、任務を遂行後、
町外れの安ホテルへと帰ろうとするのだが、
誰かに追われていることに気づく。
そうこうしていると肩を撃ち抜かれてしまう。



何とか自力で弾丸を抜き取り、
一命を取り留めるが、
行く先々で記憶がズレていたり、
話が先回りしていたりといった
不可解な状況に遭遇する…。

彼は同じ時間と場所に何度となく戻りつつ
何故そうなるのかの検証をやり続ける…。




以上が、僕が観た限りの90分足らずのストーリー。
いやストーリーらしきものと言った方が良いかも。



しかも精一杯わかりやすく書いたつもりだが、

実際、映画はとことん不親切で、
ハードボイルド風に大見栄きって
カッコつけまくっている割には、ループまがいの
同じ映像とシチュエーションを繰り返して
流れをどんどん複雑にして行き、
観る側の理解を拒み続ける。




先走り過ぎてストーリーが見えなくなるのと違って、
同じ後戻りばかりを繰り返して、
不条理感を楽しんでいる作り手の悪意に、
イチイチはぐらかされるので
ついには本筋を見失ってしまう。



恐らく、殺し屋が誰かを殺害し、
逃亡するというひとつのシチュエーションを
順撮りして、バラバラにつなぎ直した感じで、
そこに自分と同じ人物がもう一人存在するみたいな
不要のアレンジをしているせいで、
話がとっちらかっているのだ。



組織のボス(エド・オロス)のガナり続ける声が
何しろウルサ過ぎて、ビビって失禁はするし、
次第にイライラを誘発。
ただでさえ混沌とした組み立てが見えなくなってくる。




かと言って、整理整頓してすっきりしたところで
気分が晴れるお話でも何でもない。

まず、こんな展開に着いて行くだけで力尽きる。
戦う前から何という敗北感…



挙句、騙まし討ちとも言える
呪術師のような老婆が現れて、
「魔法が見たいか?」
などと奇怪なキーワードを被せてきて、
時空を超える謎のゲートらしきものの存在を
持ち出してくる。
更に主人公が輪廻転生に触れ始め、
カルマという言葉を口にする…



ウッソ!!そんな話だったんかいな???
ここで僕は万事窮す!!爆弾

完全戦意喪失モードで退散。撤収。全面降伏。

片道500キロを日帰りしたみたいな徒労感…
どーしてくれよう…




破綻を恐れぬ時制操作を決行した勇気は認めるが、
破綻しちまっちゃあ、元も子もない。

せっかくナラタージュ一人称スタイルなのだから、
主人公を一切映さず、
主観視点でやればおもしろい展開になったはずだ。
せめて、それに気づいてほしかった…。


物語の最中に
「思いつく限り最悪の方法で…」
というセリフが出てくるが、

「思いつく限り最悪の方法で作られた映画」と
言っておきたい。ドクロ








採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。













ホラー洋画劇場Vol.28









●Carrie(1976・アメリカ)
監督:ブライアン・デ・パルマ
脚本:ローレンス・D・コーエン 原作:スティーヴン・キング 
音楽:ピノ・ドナジオ




はい、みなさんこんばんは
またお会いしましたね



ん?お前、見苦しいな、プチ整形でもしたんか?
何や?お前、無駄に若作りして、どっか繰り出すんかいな?

あらまあ、そんなこと言わないでくださいね



はい、元に戻りましたなアハハ~

はい、今日は、「キャリー」ですね
わたしの好きな作品ですね
いつもより、調子に乗って余計にしゃべりましょうね



そうね、
わたしもかれこれ200年くらい前は
ここに出てくるみたいな未成年でしたけれども、
みなさんも
チョッとだけ高校生の頃のこと思い出してくださいね、

若いいうのは、それだけで宝箱みたいなもんですね



けれども、若い時はそんなこと気づきませんなぁ
ちょっと色気づきまして、いらんことに悩んだり、
誰も何も言わんのに、毎日何かに焦ってるんですね



独りよがりになったり、チョッと残酷な心が芽生えたり、
なんともしれん、落ち着つきのないのが若さですな



今日は、そんな若さがいろんな形で混ざり合って
恐ろしいことになるホラーですね



タイトルは人の名前、「キャリー」ですね
キャリーいうのは女の子の名前ですね、
なんかしらん小ネコみたいな可愛い名前ですね、



けれどもこの子、何かが違いますね

チョッと未熟な、
見かけも地味な、ソバカス顔の
化粧っ気も色気もない奥手な子なのね



ですから友だちもおりませんな、
いつもひとりでおりますね

なんか周りの子と違って変わった子、
変わっとるから、みんなに笑い者にされるんですね、



いつもおどおどしているから、
みんなにいじめられるんですね。

けれどもいじめられても抵抗の仕方もわからない、
そんな
思春期の思いつめたような女の子が主人公のお話ですね



ところが、
この寂しい女の子が、
自分の中にある怖い秘密に気づいて
だんだんだんだん恐ろしいことになっていくんですね



はい監督は、



みなさんよくご存じの
ブライアン・デ・パルマ、
凝ったキャメラで、おもしろい見せ方する人ですね

原作は、



当時貧しい田舎教師だったスティーヴン・キング、
今では世界中で人気のスティーヴン・キングの処女作が
「キャリー」ですね

主演は、



この役をやるために生まれてきたような
見事な演技力のシシー・スペイセク、
この演技でアカデミー賞にもノミネートされて
一気に注目されましたな、



この後、いろんな監督が、こぞって
この個性の強い女優を使いたがりましたね





そんな主人公の個性に一歩もひけをとらんような
激しい感情をむき出しにした凶暴な母親をやったのが
パイパー・ローリー、

この人、デビュー当時は、
可愛いお姫様役で人気のあった女優さんですね



しばらく映画界から遠ざかっておりましたが、
パイパー・ローリーもこの作品でカムバックして
アカデミー賞にノミネートされましたな、
びっくりするような力のこもった演技を見せます

それから
まだまだ無名だった頃の俳優がゾロゾロ出てますね



いきなり飲酒運転なんかやっとるサタデーナイトな若僧が
ジョン・トラボルタ



主人公に声をかけるハンサムボーイが
TVの「アメリカン・ヒーロー」で人気のあった
ウィリアム・カット



その恋人が
後にスピルバーグ夫人となったエイミー・アービング



周囲に悪意丸出しのセクシー姉ちゃんが、
この後、デ・パルマ監督夫人ともなったナンシー・アレン



女生徒達を監視する女教師が、
「フランティック」「ハプニング」のベティ・バックリー


もうひとり、



エロいオッサン教師が
「アリゲーター」「カッコーの巣の上で」の
曲者俳優シドニー・ラシック

見たことのある顔がいっぱいですね

はい、これはいっせんきゅうひゃく76年度の
アメリカ映画です



その後のホラー映画の歴史を変えた問題作、

みなさんどうか、今日は学生時代を思い出して
こんな風に、ちょっと若返った気持ちになって
ご覧くださいね

それではあとで、またお会いいたしましょ









この映画のはじまりは、
物語全体を暗示しておりますね、

屋外で年ごろの女生徒達がバレーボールをやっていて、
「キャリーを狙うのよ」いう言葉から始まりますね


いかにも悪意のあるいじめの言葉ですね。

それからロッカールームに戻って、
この女の子たちがシャワー浴びて、
まあ、びっくり!いやらしいなぁ
すっぽんぽんで着替えをしてますな、



いじめられておった女の子も、ひとりで
シャワーを浴びております。
若い娘の裸体をキャメラが丹念に見せますね、



なんともしれんこのエロチック、このキャメラ、
オープニングから驚かされますけれども
これがデ・パルマタッチですね



ところが、このエロスが恐怖に一転しますな

スーッと太腿につたった紅い糸が、
流水で何本にも枝分かれして鮮血となるんですね



なんと、月のさわりが、17歳になってから
初めて訪れたいうところを見せますね



何が起こったか!?
少女はわけがわからずに、絶叫しながら仲間の所に
慌てて助けを求めて参りますと、



あろうことか、みんなに助けられるどころか笑われた。
残酷なシーンですけれども、
素っ裸で血を流す少女に、そこらにあった生理用品やら
なんやかやを投げつけるんですね



泣きわめきながらシャワー室にうずくまる少女、

そこへ先生が割って入って、何てことするんや!と
女生徒たちをいさめますね。



そうね、この娘さんは初潮を知らんかったんですね

この作品、
こんな、びっくりするようなはじまり方をするんですね



傷心したままこの少女が学校から帰りますと、
何とこの少女の家の中は
そこら中に宗教の絵、聖書、置物、ローソク、
そして十字架でいっぱいですね



重苦しいくらいの聖霊の匂いが家を包んでいるんですね

学校から娘の初潮を知らされた母親は
みるみる怖い顔になりますな



そして、「女になったのね!」と
娘をいきなり聖書で殴りつけるんですね



罪として毎月血を流せと神が言うておられる、
淫らな想いの罪を詫びよ!と
いかにも信仰の深い禁欲主義者の言葉で
娘を叱りつけますね



何が起こっているのか?呆気にとられたまま
この恐ろしい母親の横暴と狂信振りに
びっくりさせられますけれども



これがこの娘の心をねじまげて、
すっかり閉ざしてしまったんですね、

親のはかり知れん抑えつけで、
キャリーいう子は、他の女の子とは変わった
内気な淋しい女の子になってしまったんですね



学校では底意地の悪い連中にいじめられ、
家に帰ると神の分別を押し付ける母親がおる…



けれども、キャリーは
ひとつだけ人と変わった力を持っとった、
どんな力か?



そうですね、この底知れぬ力を
どうすればいいかの判断も着かない、

何の力なんやろう?
いうことを調べ始めるあたりから、



少女たちの思いつきや、大人たちの不理解が
いくつも絡み合って、
だんだん恐ろしいことになってまいりますな…。













はい、いかがでしたか?

プロムパーティに誘われたキャリーが、
「私は変わった人間よ、
みんなと同じ普通の女の子になりたいの」
と、すがるような思いで母親に相談しますな。



けれども、母親は何と言うたか?

手元にあったコーヒーを娘の顔に引っかけて、
「生理の次は男か、お前はまるで犬か!」
言いますね。



そうですね、
もうお気づきになった思いますけれども
この映画は、女性の映画、
女、女、女、女の視点、
女の心理、女の行動、



そんな風に
女同士の葛藤を上手に見せますね



それも若い若い、成長の盛りの女の子の
複雑な心の中をじっくり覗くような、
怖い怖い映画でしたな



ですから、
ここに出て参ります男は添え物の存在ですね、
そこにおるだけですね
何か言われたら動く、言われたら考える、



それとは反対に、女の子の自然な成長を
一変して恐ろしく、おぞましいものに見せたのが
キャリーの信心深い母親でしたな



悪魔に魂を売るいうのは聞きますけれども
この母親は、神に魂を明け渡したような人物ですね



性は罪、体の成長は罪、異性を想うのもどんならん、
男を受け入れるに至っては言語道断、
ぜ~んぶ淫らや言うて、
あれもこれも罪にしてしまいますな



挙句には、罪には罰を与えないかん言うて、
娘をなんとも知れん
聖セバスチャンの像を飾った小部屋に
監禁しますな



家庭の罰則、神の罰則、
それからいじめに対する学校の罰則、



けれどもこの映画が本当に怖いのは
罰則を受けた女の子たちが、
自分たちの幼い考えで、
女として報復をするところですね



ところが報復すると、いつしか
天罰として自分にはね返ってくるいうことの怖さを見せますね



そうね、
…いよいよ母親が、
キャリー、お前こんなこともわからんのか!と
パーティに出かける娘に
お前笑い者になるぞ、いいんか?まだ遅うないから行くなと
体を張って止めるんですね



娘を想う親の心、けれども娘は振り切って出て行きましたな、
ここでわたしたちは、自分を知らない娘の哀しい姿と
母親の
本当の憐れみの心がにじみ出てハッとさせられましたな。



そうしまして、
翼をへし折られて帰って来た娘を抱きかかえる母親、
その言葉を失うような母子の姿、



この哀しみをたたえたようなシーンで、
そんな狂信の母親が
過去の自分を娘に告白しますね



この告白は、信仰者の懺悔でもありますし
娘への謝罪でもありますね

「でも私は弱かった…」
と、唯一、か弱い女として口にするひと言に
すべてが終結されてまいります。



こんな怪物のような母親も、ひとりの女でしたな、
ここが見事ですね



あのね、けれども実はこの重要な独白シーン、
なんと
最初、脚本からカットされていたんですね。



これを、母親役のパイパー・ローリーが、
お願いやからここは絶対入れてくれと
ブライアン・デ・パルマ監督に直談判しまして、
復活して撮られたシーンなんですね。



何べんも申しましたが、これは女性の映画、
女、女を見せた怖い映画、

それを決定づける大事な、大事な場面でしたね、




パイパー・ローリー、
すごい女優さんですね。




はい、もう時間きました。




それでは次の作品、ご紹介いたしましょ


次回は、
ジョン・カーペンター監督の迷走型ホラーの逸品
「マウス・オブ・マッドネス」ですね





どうぞ、たのしみにお待ち下さいね

それでは
次回もこの時間、お会いいたしましょう

$パイルD-3の『時速8キロの映画感』=★



サイナラ、サイナラ、サイナラ







★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。





























~飛行。まるで何者かに持ち上げられたかのよう…
真っ白の中を通り抜け、青い空気の中へ。
そしてより高く。空の中。
どこに触れることもなく~


(by ALAN PARKER「BIRDY」Production-Note)




アラン・パーカー監督の作品では、
おそらく最もビジュアルに優れ、
心を揺さぶる小さな興奮に包まれる「バーディ」。



そのシナリオの中には、上記のような一編の詩を思わせる
イメージ豊かなト書きがある。


■ALAN PARKER

この部分が果たしてどんな映像になっているかを
見るだけでも映画「バーディ」は必見に値する。



そして、
卓越した呼吸を見せるラストシーンに至っては、
映画のもたらす思わぬ喚起に
笑みを浮かべない人はいないはず。







●Birdy(1984・アメリカ)
監督:アラン・パーカー
原作:ウィリアム・モルトン
脚本:サンディ・クルーフ ジャック・ベアー
音楽:ピーター・ガブリエル






・「ジョン・ウエインにだまされた」
主人公の友人アル(ニコラス・ケイジ)が
ベトナムの戦場をこう表現する。



これもひとつのベトナム後遺症を扱った作品ながらも
他の作品群とはまったく趣向が異なる。

戦争の苦渋を正面から描いてはいない。
側面的に見せるだけである。



それどころか、
ヘビーなテーマを引っ張り込んでおきながら、
どこまでもライトで自由なスケッチ感覚は
軽妙洒脱と言ってもいい。



すぐれたヤングゼネレーション映画の
全てがそうであるように
爽快な空気が映像の端々に流れているのだ。



マシュー・モディン扮する主人公は、
バーディと呼ばれる鳥を愛する若者で、
偏愛するあまり自分も鳥に同化して
自由に空を飛びたいという夢を抱き続けている。
いわゆる変わり者。



友人のアルは、
のんきな快楽主義者で、遊び人風のアンチャン。
現実の時間をその場その場で好きに生きている。



フィラデルフィアの下町で知り合った
正反対な性格を持つ貧しきふたりの若者が、
もてあました時間を共に過ごし、
いつしか互いの存在を認め合い、
かけがえのない親友同士になっていく。



そんな二人が、ベトナムへと徴兵され
バーディは極度の心痛を患い精神病院へと送られ、
アルは身体を負傷し、顔面に深出を負って帰還する。



今や完全にうつ状態のまま
海軍病院の隔離病棟に監禁され、
精神分裂症として社会との接点を喪失した親友に、



包帯で顔面をグルグル巻きにした軍服姿の男が
正気を取り戻させるべく、会いに来るというドラマである。



心やさしきバーディの奇行に呆れながらも付き合う友人との
数々のエピソードが回想として繰り返されながら、
精神病棟という緊張した空間の中で、
友情の再生を求めて、大いに揺らぐ心象を追う。



これは「ディア・ハンター」の
気骨あるマイケル(ロバート・デ・二ーロ)と
デリケートなニック(クリストファー・ウォーケン)の
友情のくだりを思わせるひとつの焼き直しであり、



「カッコーの巣の上で」の
自由を求めて奔放な抵抗を繰り返す
マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)と
物言わぬ熱き心を持つチーフ(ウィル・サンプソン)の
生き様を思わせるひとつの焼き直しであり、



「スケアクロウ」の単細胞のマックス(ジーン・ハックマン)と
精神錯乱に陥る繊細なライオン(アル・パチーノ)の
その後の姿を思わせる男たちの連帯の姿を中心に据えている。



ただ、青春映画という甘美な言葉でたとえるには
アメリカにとってのベトナム戦争の重量が邪魔して
そう甘っちょろくはない。

ついでに、
鳥そのものが苦手な方には、映像として
ムリな部分のある映画かもしれない。



最近のアクションに傾倒したニコラス・ケイジは苦手だが
ここでは文句なしの見事な好演を見せる。
内面の見えない難しい主人公を演じるマシュー・モディンも
鳥そのもののバーディという青年になり切る。



監督はケレン味漂う物語を好むアラン・パーカーだけに、
どこかクセのある人間ドラマでもある。



しかしながら、
後に残るこの清々しい気分は何だ?



かつて映画の中で触れたことのない空気と浮遊感が
映像として存在している心地よさ。



そして、
ブリティッシュロックの雄、ピーター・ガブリエルによる
上質なサウンドがゆるやかに映像に馴染みゆく快感。











★★★★

採点基準:…5個が最高位でマーキングしています。…はの1/2です。