
・この忙しい時節にすっかり悪魔祓いに夢中=!
「バチカン・エクソシスト」という書を発見。
LAタイムズのジャーナリスト、
トレイシー・ウィルキンソン女史の著作。

これが本格的な悪魔祓いを紐解くレポートとして
ひじょうに興味深い一冊。
厄介な憑依による悪魔祓いの実態も登場する。

■TRACY WILKINSON
更に、悪魔祓いそのものの歴史から、
宗教としてのカトリックとの関わり合い方、
現代のイタリアにおけるエクソシストの奥深い部分に
斬り込んだ一冊。

何人もの徳の高い神父らの証言がリアリティたっぷりで、
すっかり夢中になって読み耽った。

ここに登場する現代最も有名とされるエクソシスト
ピーター・ガブリエーレ・アモルス神父からの流れで、
イタリアのカトリック教会を探索していたら、
今度は、本格派の修道士の映画に遭遇し、
思わぬ形でいたく感銘を受けてしまった!

もちろん、僕は名前を知らなかったが、
詐欺師とも聖人とも預言者とも心霊家とも言われた
フランシスコ・フォルジョーネ神父、
通称「ピオ司祭」と呼ばれた高名な人物の一生を描いた作品。

■PADRE PIO: Francesco Forgione
先述の“エクソシスト”アモルス神父は、
何とこのピオ司祭の霊感や、
内在した聖人と取り憑かれた悪魔について
実際に会って調べたことがあるという人物。
神父によると、ピオ司祭は、自分の前に現れた霊が
神と悪魔のいずれであるかをしっかり認識していたという。

ますますピオ司祭について興味を抱かずにはおられなくなり、
イタリアの3時間余に及ぶTVムービーの大作を鑑賞。
神聖なる世界を見せる堂々たる作風は見事!の一語。

ひとりのイタリアの貧しき僧侶の人生ドラマだし、
映画情報誌や評論家すら取り上げない類の作品である。
まして、
今の直線的な映画嗜好の続く日本では当然の未公開。
偶然接することがない限り、
永久に観ることのない映画でもある。

国内にはソフトも無いらしく、ネット上で公開された
岩田拓靖氏が訳した英字幕版しか観る手段は無いらしい。

本作をアップしてくれた
岩田氏の丁寧な語調による字幕はとにかく素晴らしい。
日本の丁寧語の存在意義をあらためて知らされた。

思っていたよりも
佳品小品レベルに落ち着いている2014年の公開作群。
今年初めて観た作品の中で、「ピオ司祭」は、
2000年製作の映画ではあるが、
久々に出会えた正統派映画として最も衝撃を受けた1本。
このまま今年の自分のベストワン必至かもしれない。
●Padre Pio(2000・イタリア)
監督:カルロ・カルレイ
原作:レンツォ・アレグリ
脚本:マッシモ・デ・リタ マリオ・ファルコーネ
音楽:パオロ・ブオノヴィーノ♪

・余命僅かとなったピオ司祭(セルジオ・カステリット)の元に、
審問官のヴィスタトーレ神父(ユルゲン・プロホノフ)が、

50年前に聖痕を受けたとされる真偽と、
民衆の狂信を煽動して、
あたかも犠牲者であるかのように振る舞い、
まやかしの如き神職と儀礼を続けてきた真実の一切合切を
問い質すためにやって来る。

病に侵された相手に重圧を与える容赦なき鉄面の人物だ。
この開巻は、
厳粛な音楽に彩られて、荘厳な空気が漂う。

「あなたが隠し続けてきたことすべてを話すのです」
と詰め寄られ、
死を目前にしたピオ司祭は、幼少の頃からの
聖なるものと、対極にある悪魔との関わり合いを話し始める。

この物語は、
宗教裁判所からは欺瞞と虚像を作り上げたと疑われ、
貧しき農家で育ち、聖職へと歩を進めたひとりの人物の
神秘のベールに包まれた謎と、
奇跡や聖域に限りなく近づいた神父としての人生を見つめる。

そこには信仰の中で生まれた感性と、
答えの導きだし方というものがあることに気づかされる。

「嘘」とは何か?
「真実」とは何か?
そして、人は何を信じるか否か…

その選択の過程で、幾多の人々がピオ司祭に接し、
あらゆる聖技を目の当たりにして、
どこまでも信頼を寄せて行く。

未知へとつながる信仰そのものが迷信でもあり、
現実を受容する信仰そのものが解答でもある。

そして
もうひとつの大きなテーマが浮かび上がってくる。
人間の「貧困」である。
これは、金銭による目に見える貧しさと救済以外に、
生き方の貧しさ、心の中の貧しさにもフォーカスしている。

ムッソリーニが国民の士気を鼓舞する
力強い演説がラジオから流れた時代、
更に戦争を経て揺れ動く時代に、
人々の心の支えとなり続けたピオ神父。

彼が両掌に受けたという聖なる痕跡についての真偽は
不明のままだが、
幾度も登場する民衆の懺悔に答える言葉、
あるいは
苦しみ、悩み、不安から解放してやる姿、与える言葉は
慈愛にあふれ、
人智を超えた情け深さと、説かれる心の戒律には説得力がある。

更に死前の喘ぎの中で、真偽を問う審問官に対し
懺悔を請うシーンは感動を誘う。

そして明かされる謎とピオ司祭の真実の姿、
一生を信仰に捧げた人物の聖人としての存在感に
熱きものを抱かずにはおられない。

70~80年代のイタリア映画は、
正にこの正統派としての力量を持っていたことを
思い出させる。

エルマンノ・オルミ監督の「木靴の樹」、
ベルナルド・ベルドリッチ監督の「1900年」、
タヴィアーニ兄弟の「パードレ・パドローネ/父」…
挙げればきりがないが、
輝きを放つ本物の秀作が公開されていた。

そして、厳しい現実を淡々と見つめながらも、
その根底に流れる“やさしさ”は、
古くからイタリア映画が持つ大きな魅力のひとつである。

映画「ピオ司祭」には、
忘れかけていたこのイタリア映画の“やさしさ”が
深く刻まれていた。
★★★★★
採点基準:★…5個が最高位でマーキングしています。★…は★の1/2です。














































































































































