・「四谷怪談」の伊右衛門は、色欲・金欲・出世欲と
煩悩絡みの欲望には事欠かない人物でしたが、
伊右衛門がしゃかりきにならなかった欲がもうひとつあります。
人間には誰しも共通するところのポピュラーな欲でありまして、
それは「食欲」でありましょう。
食欲についての映画と言えば、決定版があります。
マルコ・フェレーリ監督の「最後の晩餐」、

この映画、ご覧になった方は誰しも絶句!だと思います。
受け手の観客にとっては、不快と拒絶の拷問みたいな作品。
「食」の力を借りて、
人間の欲望の極限を見せた最終兵器みたいな1本でした。

食い倒れ、とは何か?を画にした、
許し難いほど行儀のよろしくない映画です。


観終えて即座に想起されるエログロ感は、
パゾリーニ監督の「ソドムの市」の
不埒不謹慎な見るに堪えない泥欲の深淵に近く、
ウォーターズ監督の「ピンク・フラミンゴ」の醜劣度も兼備。

少なくとも
グリーナウェイ監督の「コックと泥棒、その妻と愛人」以上の
嫌悪感は保証します。
…フェリーニ監督のビョーキ映画「サテリコン」など、まだ清潔な部類。

と、過去に観てきた悪意あふれる映画たちを
次々と思い浮かべさせるだけのクラッシュムービーではありながら、

パイロット役のマルチェロ・マストロヤンニ、
TVのディレクター役のミシェル・ピコリ、
判事のフィリップ・ノワレ、
一流レストランのシェフ役のウーゴ・トニャッツィ
という
芸達者な名優4人を集めて、
「食欲」の行き着くところを豪勢に料理した格別編でもあり、
見方次第では単なる異色作ではないのかも…。

お薦めなどしませんが、映画への志熱き方は御一見されたし。

●La Grande bouffe(1973・イタリア=フランス)
監督:マルコ・フェレーリ
脚本:マルコ・フェレーリ ラファエリ・ラスコナ
・牛の頭を担いだミシェル・ピコリが、
小躍りしながら
「生きるべきか、死ぬべきか…」と
ハムレットのセリフを口にすると、

マルチェロ・マストロヤンニが
「祭りのはじまりだ」と返し、
ここから酒池肉林のパーティが始まる…。

庭にはがちょうや鴨がウロウロしている洋館に、
野菜、魚貝に混ざって、
極上のマリネ向きのイノシシが1頭、
クーヴの森の香りがするやさしき瞳の小鹿が2頭、
自然のエサで育った半野生のホロホロ鳥が120羽、
オスの若鶏36羽、
ひな鳥240羽、
純真無垢な仔羊5頭と称される諸々の食肉群。

肉だけでも
これだけの量が持ち込まれる冒頭のシークエンスで、
既に異常な香りがプンプン。

知り合ったいきさつなど不明だが、
パリ郊外の洋館に集うブルジョワ男4人が、
これらの食材を使った一流シェフの豪華な料理を
次々と食い明かしていく。
ある目的のために…

されど、とりあえず食ったら消費せねばならず、
更には娼婦を呼びつけて食と色の饗宴が繰り広げられる。

食の宴に招かれた欲求不満風のオバチャン女教師も
これに加わることになる。
仕事そっちのけで、ここに居座り始めるという、
このオバチャンがスゴイです=

女性の歴史的存在理由を体現するかのごとき活躍、
監督の狙っているものが、ここある気がします。…多分
そんなわけで
ドンチャン騒ぎの欧州バージョンを見せられるようなもんですネ。

後は、ご覧頂くより他ありませんが、
ブラックそのものの猟奇的展開と相成ります。

これも当時のひとつのヨーロピアンテイストと言うなら
おそらくそうなのかも知れず、
どぎつさにおいては、
他国の映画が手を出さない下劣でタブーな部分を
グリグリと掘り起こしているフシがあります。

ただ、
ここに登場する絵空事ながらも生々しい愚行を
俗悪という一語で斬り捨てるには、
気になる皮肉と暗喩の多い作品ではあります。

■Marco Ferreri
僕はこの作品を、
フェレーリ監督流のおどけた悲劇だと思うし、
男と女の在り方を、望遠させるような
コミカルな喜劇でもあると思いました。
まあ、お腹いっぱいで
もう一度観たいとは思いませんが…。
★★★★
採点基準:★…5個が最高位でマーキングしています。★…は★の1/2です。












































































