話の脱線序でにもう一ネタ。
MP38/40のMPとはドイツ語で MaschinenPistole、英語でMashinePistol、日本語で機関拳銃となります、同じ拳銃弾を発射する兵器で英語だとSMGでSubMachineGun、日本語で短機関銃、Subを短と訳してしまうのに違和感を覚えますが、まぁ、いいでしょう。
ドイツ語だと機関拳銃、拳銃より上の兵器と表現していますが、英語だと短機関銃、機関銃より下の兵器と表現しています、どちらが正しいとかは無いですが、比べてみると面白い捉え方をしてると思います。
因みに日本では旧軍の100式機関拳銃、自衛隊の9ミリ機関けん銃とドイツ式の呼び方ですが、米軍供与のM1、M3SMGはそのまま短機関銃と呼んでいます。
軌道修正して本題に入りますか。
MP38、1938年正式採用、MP40、1940年正式採用、ここだけを見てもあまり得るところはありません、その前後を見ていかないと本質が見えてきません。
話は第一次世界大戦にまで遡ります、御存知の通りドイツは第一次世界大戦で敗北し、ベルサイユ条約により莫大な賠償金を課せられます、(ここで一言、前になにかで見聞きした事ですが、先の大戦で日本がアメリカと戦った事を知らない若者がいるとか、ホントかウソかは分かりませんが、ホントなら嘆かわしい事です)
莫大な賠償金を課せられたドイツはハイパーインフレに陥ります、学校の教科書の写真か何か見たことが無いでしょうか?壁紙の替わりに紙幣を貼り付けたり、札束のブロックで積み木代わりに遊ぶ子供、大型トランクいっぱいの紙幣が給料など。
軍備に対しても保有できる兵力と武器の数は大幅に制限されます、弾薬もたとえば小銃1丁に対して400発など事細かに決められました、もちろん新たな兵器の開発も禁止されました。
当然のことながら国民は疲弊していき、政府に対する不満は増大していきます、そんな国民の不満を背景に「国家社会主義ドイツ労働党」所謂ナチスドイツが1933年に政権に就きます。
二次大戦後、「ドイツ国民はヒトラーに騙された」自分たちもまた被害者だとの立場をとる人がいますが、そうでしょうか?素人ながら少なくとも政策に対してヒトラーはドイツ国民に対してウソは言ってなかった気がします、戦争をしないと言って戦争を始めたのならウソをついた事になりますが、武力で取られた領土を取り返すと言い、成功したらドイツ国民は軍を大歓迎でもてなしました、この時代、戦争は良くないとどれだけの人が声を上げたでしょうか?そういう人達はそれ以前に収容所送りになっていたのかもしれませんが、国民レベルでは歓迎されていた気がします。
ユダヤ人に対する迫害も積極的では無いかもしれませんが、是認、黙認していたのでは無いですか?
ここで気をつけなければいけないのは、当時の事を今の基準で判断してはいけないと言う事です、当時は力のあるものが、弱者を支配するのは当然の事でした、イギリスやスペインなどの植民地支配をとがめる国などありませんでした、それよりも自分たちも早く植民地を作らねば乗り遅れるぐらいに思っていました、今、他国を植民地にする事は世界が許しませんが、イギリスなどはかつての植民地に対して謝罪などしていません。
ヒトラーは劣等民族は優れたアーリア人(ドイツ人)の支配を受けて当然と演説し、国民は賛辞を送りました。
私が思うにドイツ人は騙されたのではなく、耳障りの良いヒトラーの口車に乗ったのが印象です、どうしても被害者には思えません。
政権に就いたヒトラーは奪われた領土の奪回など、密かに増強した軍備を背景にズデーテン地方の併合など着々と領土欲を表しますが、第一次世界大戦の戦勝国は勝ったとは言え自国も疲弊していて、新たな争いは避けたく、曖昧な態度でドイツに接し、第二次世界大戦の芽を摘み損ねてしまいます。
そして1935年、ヒトラーはドイツ再軍備宣言をします、この年に2種類の機関拳銃を採用します、MP35とEMP35です、どちらもMP18/28の流れを汲む旧態全とした兵器で、主に第4の軍、親衛隊や警察師団などで使われました、これらはドイツ陸軍が求めていた近代的な機関拳銃ではありませんでした。
今回最後の脱線W
ベルサイユ条約、フランスのベルサイユ宮殿で執り行われたドイツに対する賠償問題を話し合う会議です、皆さんは遠いヨーロッパでの出来事と思っていませんか?実はこの条約の 「主たる同盟及び連合国」 として 「アメリカ合衆国、イギリス帝国、フランス国、イタリア国、日本国」 そう日本も関わっているんです、それも末席ではなく「主たる同盟及び連合国」としてです。
日本は第一次世界大戦ではドイツに宣戦布告をしています、連合国側の太平洋での船団護衛やドイツの植民地の拠点の中国、青島(チンタオ)要塞(軍港)を攻撃しています、この時の話は確か加山雄三主演で映画になっていたはず。
映画序でに言うと、日本で始めて第9が演奏されたのはこの時の捕虜が演奏したのが初めてで、収容所での日本人とドイツ人捕虜の交流を描いた映画もありました。
そんなベルサイユ条約とはハッキリ言って負けた国から金目の物を奪い取る会議です、金品、権利、領土など、戦勝国で分け合うわけです、その中で日本はドイツが持っていた海外の植民地の内、太平洋の赤道以北を日本が信託統治することになりました、現在の北マリアナ諸島、パラオ・マーシャル諸島、ミクロネシア連邦になります。
これに対して日本は監督官庁として「南洋庁」を立ち上げ、搾取一方だったドイツの植民地支配から、教育、インフラ整備、産業基盤の充実などを図っていきますが、1945年の敗戦後、残務整理を経て、1948年に消滅します。
今回はこれまで、次回に続く。