なかなか本題に入らなくてスミマセン、最初にお断りしたとおり枝葉の話しが多いんですよね。

 

やっと本題に入れるかな?

 

1936年エルマ社は従来の概念にとらわれない新しいコンセプトの機関拳銃MP36を発表します、これが更に改良されてMP38へと続くわけです、ここで幾つかの疑問がありますが、私の検索能力では分かりませんでした、第一に、このMP36はエルマ社独自の開発なのか?もしくはドイツ軍がコンセプトを提示してそれに応えた物なのか?ネット上では新型機関拳銃の複数社のトライアルだったとする記述もありましたが、トライアルであるならMP36以外の写真が出てこないのが不思議です。

 

MP36の写真を見ると確かにMP38に近い形になっていますが、線が細いと言うか華奢な印象を受けます、後にベークライト(初期のプラスチック)になるグリップパネルやロアレシーバーカバーはまだ木製でした、これは少数の試作だから木製だったのか、当初は木製で良いと考えていたけど本当はベークライトにしたかったのか、どちらなのかこれが第二の疑問です。

 

現存するMP36は博物館所蔵品と個人のコレクションの2丁しか無いそうですが、果たしてMP36は何丁作られたのか?やはりネット上では少数が部隊配備されたとの記述を見つけました、私は未確認ですが、開発の現場だけではなく実際に使われる場所で問題点を洗い出すのはあながち無い話ではないと思いますが、真相やいかに?です。

 

そして、とにもかくにも1938年にMP38が正式採用され、直ちに量産に移りますが製造はエルマ社だけでは間に合わず、ハーネル社も製造に加わります。

 

配備に当たりまずは空挺部隊、機甲師団、エリート部隊などに優先配備されました、そして配備の翌年1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発します。

 

そして色々な文献でお約束のように出てくるのが開戦により更なる改良が必要とされ、その結果がMP40であると、問題点は以下のとおり。

 

①製造に手間の掛かる、鋼管を軽量化のため後加工で肉抜きをしたアッパーレシーバー、②ドイツ国内では生産されない貴重なボーキサイトからできる主に航空機の部材であるアルミを使ったロアレシーバー、③ボルトが前進位置で銃をお尻から落下させると、反動でボルトが後退して暴発する事がある。

 

ここで私が持っている無可動実銃のMP40に登場してもらいましょう、初期型のMP40です。

 

 

レシーバー後部を見ると「MP40」「660」「40」の刻印が確認できます、上は銃器の名称、下が製産年の下二桁、1940年製のMP40である事が分かります、正しく制式採用された年に製造された固体で、初期型の形状をよく表しています、そして真ん中の「660」は製造メーカーの記号でこの場合はステアー社の記号です。

 

問題とされた①アッパーレシーバーと②ロアレシーバーはこのようにプレス部品になり解決しました。

 

 

③は如何でしょう?MP38と替わっていません、スプーン状のコッキングハンドルのままです、文献ではここも改修されているはずでした。

 

 

これはマルシンのモデルガンのMP40です、上がコッキングハンドルが押し込まれてボルトが前進位置で固定されます、下はコッキングハンドルが引き出されてボルトが動く状態です。

 

不思議だと思いませんか?如何見ても手間の掛かる上下レシーバーのプレス化は改修されていて、加工的には難しくないけど、人命に関わるボルトの改修が置き去りにされています。

 

もし、戦訓による改修ならボルトもされているはずです、このボルトの暴発はどの程度起きたのか?死傷者はあったのか?多分当時なら詳細な報告があったと思いますが、うかがい知る事は出来ません。

 

私がMP38/40に関して長年疑問に思っていた事が、この無稼働銃を手に入れたことで分かったような気がしました(あくまでも個人の感想です)

 

まず、パット見ほぼ同じ様なものをMP38とMP40に分けたのは何故か?本来ならMP38のバリエーションで良くありませんか?名称的に別名を付けるほどの事でしょうか?

 

米軍のM3SMGとM3A1SMGを思い浮かべて下さい、外観は似ていても内部部品はあまり共通点はありませんが、M3のバリエーションとしてM3A1があります、名称の付け方は当然ドイツ軍と米軍では当然違いますが極端に言えばMP40はMP38のバリエーションでMP38A1で良いぐらいでは無いでしょうか?

 

そして何でたった2年で別名称にする必要があったのか?ドイツ軍の機関銃MG34はMG42が出てくるまで8年掛かっています、機関拳銃と機関銃では手間が違うのは分かりますが、2年は短すぎる気がします、ここが昔から不思議でなりませんでした、なぜこんなに近いんだろうと?

 

以下は私なりに出した結論で、合っているのか、とんだ見当違いをしているのかは分かりません。

 

まず始めにMP36がありました、その2年後にMP38、そのまた2年後にMP40です、しかしMP40への改修はどの資料でも戦訓に寄ると書かれています、そうするとポーランド侵攻が1939年ですから、MP40への改修は1年で終えたことになります。

 

果たしてそうでしょうか?MP38の問題点①と②は戦訓に寄らずとも当時の物作りのプロは分かっていたはずです、MP38が出来た時点でこの問題は指摘され、直ちに設計の改修に入ったと私は考えます、では何故問題のあるMP38の生産を開始したのか?それは開戦前夜だったからです、1939年にポーランド侵攻が開始されますから、MP40を待ってはいられなかったのです、MP38は性能的には満足できるものでした、生産効率が悪いと分かっていてもまずは生産を開始して、その間に改修作業を進めようと言う意図があった気がします、すなわちMP38が出来た時点でMP40は決定事項だったのです、よく兵器で先行量産型というのがありますが正しくMP38がそれだった気がします。

 

それでもなを疑問が残るのはなぜMP38とMP40と言う別名にしたのか?もしかしたら当初は今のMP40より更に変わった形にしようとしていたのか?それがスケジュール的に間に合わずMP38に似た最低限の改修で留めたという考えもあります、ここになるともう、妄想ですけどねW

 

そして問題点の③こそ、実際の戦訓による改修で、MP40の量産開始時点で間に合わなかったのでしょう、そんな1丁が私のMP40ではないでしょうか。

 

思えば第二次大戦のドイツ軍の歩兵火器の変遷はプレス化への変遷でした、削りだしのMP38、MG34、Kar98kがプレス製のMP40、MG42、Stg(MP)44、へと置き換えられました、ワルサーはシグナルピストルもプレス製に、拳銃もプレス製の物が試作されていました、プレス化は取りも直さず量産効率の追求です、何処かの偉い人が言っていました「戦争は数だよ兄貴」と。

 

以上が私のMP38/40の考察です、話が飛びすぎて読み辛かったかもしれませんがお許し下さい、前振りが長すぎじゃない?と言う御批判はごもっとも、長々とお付き合い頂きありがとうございました。

 

とりあえず、完

 

 

 

 

 

 

 

 

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