大動脈解離→大動脈瘤→両側脳梗塞で要介護5になってしまった旦那は、4月に亡くなりました。
旦那が亡くなって、知り合いや友達に会うと
みんなが必ずではないんやけど
「これからは自分のために生きてね」
とか
「 もうほんまに自由やねんから」
と言ってくれて
確かにその通りで、私も同じような状況やったらそういう意味のことを言うかもしれないし、葬儀が終わった後あたりは、自分でも不謹慎ですが
「やっと私自由になったわ」みた
いな気分になってたのです。
それが、いざ自由に・好きなように・自分のためにと思ってみても
現在どうしたら良いのか全くわからず。
変な焦りみたいなんを感じるようになりました。
焦るけど、1日たいしたこともできず
「私はなんて怠惰なんだ……」
「結局何もでけへんなー…」
と気持ちが沈むことも。
たった5年半くらいの旦那の介護やったのになぁ…
それでこんなに自分のことできなくなるんやなー…。
と思ってたんだけど、よく考えたら、そうなる前もずっと家族の一員としてのやるべきこと(と思い込んでた)をやってきて、なかなか自分に向き合うことなんてしてこなかった。
いやいや!
結婚するまでも、親の変な厳しさや思想に従うしかなく
結局人生の中で、
【好きなことを好きなようにしてええよ】
という時代はなかったんかもしれず、
約60年目にして
さぁ!こっからやで!自由に!
となっても、どうしたら良いのかわからないのは当たり前かもな……
これは、焦らず、できることからするしかないな……
と思い至り
体調と感情と観察しながら、ほんとにちょっとしたこと。
あ、あれ食べたい!(これまでは、食べられない旦那を見てるとなんとなく自粛してしまう)
や
ここ行ってみようかな!(これまでは、動けず部屋の天井しか見てない旦那を思うとなんか申し訳なくて行けない)
という気持ちが出て来た時は、できるだけそれを実行するようにしてみてます。
今日は洗い物したくない、等のやりたくないにも沿ってみる。
そんな中で、やりたいやりたいと、久しぶりにヒットしたのが「花手水」で。
神社やお寺の手水にぎっしり花が詰まってる画像を見ては、去年ずっと
「なんてきれいなんやろう✨」と思っていて。
忌明けして、神社にお参り行った時に、手水をじっと見て見て見て
(ここに花を入れていけない理由がないわ)と思い、
まあ、そう思いながらもけっこうな勇気が必要でしたが、宮司さんに話してみると
「ぜひぜひ好きなように😊」
とオッケーしてくれました。
花を集めるのが一仕事でしたが、良心的な価格の道の駅でカゴ一杯に花を買って、イソイソウキウキ花を切っては入れ切っては入れ。
まあまあイメージに近い花手水ができました。
私はずーっとこんな風に、できそうなことはすぐにしたいタイプなんだけど
でも、ここ数年は
「そんなことしてる場合ちゃうやろ…」
という気持ちが一番上にあって
経済的にも、いつまで必要かわからない、決して安くはない介護費用のことを考えれば、他所の水に花入れるのはちょっと違うと思ってたんやろうね。
気持ちが叶って、満足でした。
これからは、闇雲にやなく「あ〜!いいね〜!」と本当に思うことは、やっていけるとええなと思ってます。
楽しかった〜と思うも良し
あ…失敗やったかと思うも良し