今日も地球を踏みしめて
こんにちは。きつねこいなりです。
本日は3月11日ということで、私の震災体験について書こうと思います。
※震災関連の話が苦手な方はブラウザバックしてください。
震災当時私は小学一年生で、その日は早く帰宅して宿題をするために鉛筆を削ろうとしているところでした。
父と母、まだ一歳だった妹も家の中にいて、二つ年上の兄だけ学校にいました。地震があった後すぐ兄も合流し、なんとか無事に家族がまとまることができました。
度重なる揺れによって自分の部屋の机の引き出しから山のように教科書が溢れてきていたこと、余震に備えてその日の夜は車の中で過ごしたこと、夜明けに行ったコンビニに人がごった返していたこと、全てがあまりに強烈な経験で今でも鮮明に思い出すことができます。
中でも印象的だったのは、遠方の祖母に会いに行く車の中で見た景色です。
私の住む街はそこから仙台を眺めることができるような小高いところにあり、晴れた日には海が見えるほど見渡しが良いことで有名でした。
「……火?」
助手席の母が険しい顔をして遠くの景色を指さしているのが見えました。私は後部座席から身を乗り出してその方向を追いました。
だいぶ遠くの海沿いに、確かに赤い何かが動いているのが見えます。本当に火だったのか、何かを見間違えたのかはわかりませんがその時は漠然と(火が出ている)と思いました。
景色の見える通りを車がゆっくりと走行し、やがて目の前に何も見えなくなるまで私はその赤いものを眺め続けました。水道が止まってトイレもままならないこと、食べ物が缶詰しかなくて大変なこと、不安に思うべきことは目の前に無数にあるはずなのに、私はなぜかその時、「なんだかとんでもないことが起きている。」と強く感じました。ざわざわするその感覚が胸の奥にずっと残り続けていました。
遠くで何かが起きていて、何だかもよくわからなくて、取り返しのつかないことが起きているという遠い実感だけがある。あの日遠くに見えた火のような何かは、私の震災体験を象徴するようなものだったと思います。
災害は共通の体験で、それゆえに誰のものでもありません。私は被災者だけれど被災者でない、どちらにも肩身の狭い心境で新学期を迎えました。今でも3.11が訪れる度にその気持ちをありありと思い出します。
私はいま大学生になり、塾講師のアルバイトをしています。担当する生徒の大体は震災の頃まだ生まれていなかったり、記憶がない子たちばかりです。もしこの子たちが生まれるのがもう少し早かったら、ここにいてお話しできただろうかと思うと胸が苦しくなります。
悲しいことや辛いことが起こらない人生なんてありえないのかもしれないけれど、それでも目の前の生徒たちの未来が1つの翳りもなく晴れ渡っているように願わずにはいられません。
あの日見えた遠くの火の向こうにいる人のことを考えながら、震災なんて無ければ良かったと切に思いながら、それでも少しずつ動き続ける地球の外側を踏みしめて私は今日も仙台で生き続けています。
Write : きつねこいなり