【震災から13年】静岡出身の私が南三陸で震災に触れた日 | COLORweb学生編集部

【震災から13年】静岡出身の私が南三陸で震災に触れた日


こんにちは、おすずです。
2011年3月11日。東日本大震災が発生しました。震災から13年が経った今日、みなさんは何を想うでしょうか。
私は静岡出身で、大学進学を機に宮城に来ました。そのため、震災を直接経験していません。母が宮城の大学出身ということもあり、震災後に被災地を訪れたり、母の友人から話を聞いたりと、自分なりに震災に触れてきたつもりではいましたが、大学卒業後も宮城で就職することを決めた今、改めて震災のことを知っておきたいと思うようになりました。
そこで私は、津波の被害が大きかった南三陸町で、震災について考える2日間を過ごしてきました。今回の記事では、旅で訪れた場所を紹介しながら、そこで私が感じたことを素直に書いてみました。南三陸の魅力も感じてもらいつつ、今一度震災について考えてみていただけたらと思います。

○気仙沼線BRT
目的地の志津川駅まで行くのに乗車したのが、「気仙沼線BRT(バス・ラピッド・トランジット)」
 
こちらは津波で線路がなくなってしまったJR東日本の気仙沼線、大船渡線の復旧手段として導入されたもので、線路敷を活用した専用道を走るバスです。バスに乗っているのに、窓から見えるのは電車のような景色ばかりで、不思議な感じがしました。一般道から専用道に入っていく様子は、他では見たことのない光景で、スマホを触ることもなく、ずっと窓の外を眺めながら乗車していました。
 
仙台駅―志津川駅間は高速バスも出ていますが、BRTという珍しい形のバスに、行きか帰りのどちらかだけでも乗車してみて欲しいなと思います。
・HP:https://www.jreast.co.jp/railway/train/brt/

○南三陸さんさん商店街
志津川駅に着くと、すぐに見えるのが「さんさん商店街」
 
サンサンと輝く太陽のようにという想いが込められたこの商店街には、南三陸の魅力が詰まったお店が数多く並びます。私は「海たろう」というお店で海鮮丼をいただき、「オーイング菓子工房Ryo」で名物のお山のマドレーヌを購入しました。
 
 ちなみに、商店街に使用されている木は、「美人杉」という南三陸杉なのだそう。木のぬくもりに包まれた温かみのある商店街にぜひ一度足を運んでみてください。
 
・HP:https://www.sansan-minamisanriku.com/

○南三陸311メモリアル
 
 
こちらは志津川駅に併設した、震災について学べる施設で、震災、津波を経験した住民のみなさんの証言映像や資料、学習体験ワークショップを体験することが可能になっています。住民の方々の証言映像では、ひとり一人の声や映像が耳と目に直接入ってきます。決して作られたわけではないリアルな声を聞き、私は言葉が出てきませんでした。しかし、震災のことを“知る”だけでなく、“考える”経験もできるのがこの施設の特徴です。ワークショップでは、もしも自分がその場にいたらどうすべきかを考えることができます。県外出身の私は、今まで震災のことを知る機会はあっても、自分事として考える機会はなかなかありませんでした。今回のこの旅も、震災のことを知りたいと思って出かけましたが、知るだけではだめだ、自分事として考えて、再び同じ悲劇が起こらないように伝えていくのが今を生きる私たちの役目なのだとこの施設で思い知らされた気がします。
・HP:https://m311m.jp/
・開館時間:9:00~17:00
・休館日:毎週火曜日、年末年始(12/29~1/3)

○南三陸町震災復興祈念公園
 
志津川駅から橋を渡ったところにあるこの公園は、町の復興を祈念して建てられました。公園内には、多くの人々が犠牲になった南三陸町旧防災庁舎が震災遺構として、震災当時の状態のまま残されています。
  
旧防災庁舎は、骨組みしか残っておらず、階段や骨組みもボロボロの状態。志津川駅やさんさん商店街は、盛り土をして作られたそうで、この旧防災庁舎がある場所は、とても低く感じると思います。
 
公園の中心にある祈りの丘は、南三陸に到達した津波の平均の高さである16.5mにあり、この丘から下を津波がまるごと飲み込んだと思うと、津波の威力と恐怖を実感しました。商店街の温かさとは真逆の空間が広がっており、震災の恐怖や悲しさと、町の復興を同時に感じることのできる場所だと思います。311メモリアルの証言映像の中に、防災庁舎に勤めていた方のお話もあるので、個人的には、311メモリアル→公園の順番で訪れると、震災についてより深く考えることができるのではないかなと思いました。
つい先日、この旧防災庁舎を町の所有とした上で保存することが発表されました。話だけ聞くのと、実際にその建物を見るのとでは、感じることが全く違うと思います。建物を見たくもないという遺族の方もいる中、町がこの場所をあえて残すことを決めた意味を考えながら訪れていただけたらと思います。

○未希の家
 
今回私が宿泊したのは、「未希の家」という民宿。私が南三陸を訪れようと思ったきっかけになった民宿です。こちらは、南三陸の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼びかけ続け、津波の犠牲となった遠藤未希さんのご両親が経営する民宿です。
1日1組限定の民宿のため、周りの人を気にせずゆっくりと過ごすことができます。お部屋には畳やこたつがあり、実家に帰ったような安心感があります。
 
お母さんが作ってくれるお料理は、どれも本当においしくて、手作りの温かさを感じることができました。
  
夕飯時には、お父さん、お母さんと楽しく談笑。お会いしてから数時間しか経っていないのに、何でも話したくなってしまうお二人の人柄にすっかり魅了されてしまいました。
楽しいお話をたくさんした後、震災のお話も聞かせていただきました。復興、復興と言われる中、そんな簡単に前を向くことなんてできなかったこと、娘さえ戻ってくればそれで良いと、それ以外の欲なんて何もなくなりながら過ごした避難生活、娘を忘れて欲しくないと思って始めたこの民宿が、今では人とのつながりが生まれる場所になっていること。本当にたくさんのお話を聞かせていただきました。
その中で特に印象に残ったお話が、「娘を“職員”ではなく“一人の人間”として見て欲しかった」というお話でした。震災後、「娘さんは職務を全うしたね」という声を掛けられることも多かったそうです。しかし、お二人からしてみれば、未希さんは職員の一人ではなく、たった一人の娘。褒められなくて良いからただ生きて欲しかったと。仕事を理由に命を落とすことなんてあって良いはずがない、その仕組み自体を変えないといけないと。
未希さんの他にも、“町の職員だから”、“消防士だから”など、職業を理由に最後まで避難することなく命を落とした方がたくさんいたと思います。それを、「最後まで呼びかけてくれてありがとう」、「あなた達のおかげで助かった」などという美談で終わらせて良いわけがない、そう思いました。緊急時には、ひとり一人が自分の命を最優先して逃げる。そんな当たり前のことを当たり前にできるようにしていかなければ、悲劇は何度でも繰り返されてしまうと思います。震災を経験したお二人から直接お話を聞けたことは、自分にとって大きな経験となりました。
 
民宿から志津川駅まで車で送っていただく道中、お父さんから「一人の影響力ってすごく大きいものなんだよ」という言葉をいただきました。その一人がいるかいないかで、その周りの人の人生は大きく変わると、だから生きているだけでも充分だと。自分に自信をなくしたり、自分のことが好きになれなかったりする時期があるかもしれないけれど、そんな自分の存在そのものが誰かの人生に良い影響を与えているのであれば、そのままの自分でも良いのかもしれない、そう思うことができました。
未希の家は、実家のような温かさを感じることができる民宿です。民宿のあちらこちらに今までの宿泊者からの贈り物が飾ってあり、そういったものからもこの民宿の温かさは生まれているのかなと思います。震災のお話は色々考えさせられるものばかりでしたが、それ以上にお二人の人柄が素敵で、帰るときには心がぽかぽか温まっていました。“また帰ってきたい”と思える場所を見つけることができて良かったなと思います。
 
・HP:https://mikinoie.minami3riku.com/

私たちは、宮城・仙台の魅力を発信しようと日々活動を続けています。宮城には素敵な場所がたくさんあります。私自身、宮城に住み始めてから約4年、宮城の魅力にたくさん触れ、いつのまにかこの場所が大好きな場所になっていました。しかし、南三陸を訪れ、この4年間、私は楽しいものにしか目を向けていなかったのだと気づかされました。もちろん、毎日震災のことを考えようとする必要はないと思います。でも、東北という地がつらい過去も持つ場所であること、今見ているきれいで穏やかな海が脅威をもたらすこともあること、そんなことを考える日があっても良いのではないかなと思います。
年明けには能登半島地震が発生しました。私の地元静岡県も、南海トラフ地震が来ると言われ続けています。いつ何が起こるか分からない今、東日本大震災を知らない世代が増えている今、この記事が今一度震災についての意識を高めるきっかけの一つになっていたら嬉しいです。
そして、これからも宮城に残る一人として、私自身も自分ができることを日々探していこうと思います。

Write&Photo:おすず