振り返る、あの日の記憶。
2011年3月11日。
私たちにとって一生忘れられない、忘れることができない日。
私たちにとって一生忘れられない、忘れることができない日。
9年が経った今でも、あの日のことは鮮明に覚えています。
恐怖や不安しかなかったし、今思い返しても辛くなります。
恐怖や不安しかなかったし、今思い返しても辛くなります。
でもそれと同時に、私を支えてくれた人に”ありがとう”と感謝した日でもありました。
優しく声をかけてくれた女性
通っていた小学校は午前授業で、友人と近所の公園で遊んでいました。
14時46分。
今までに感じたことがない大きな揺れ。
近くの建物は倒れてしまうんじゃないかと思うぐらい、ミシミシと音を立てて揺れていました。
しばらくすると公園にたくさんの人が集まってきました。
私はあまりの恐怖で、近くにいた女性にしがみついてしまいました。
面識はありませんでしたが、その女性は優しく声をかけてくれて、一瞬ホッとしたのを覚えています。
私はあまりの恐怖で、近くにいた女性にしがみついてしまいました。
面識はありませんでしたが、その女性は優しく声をかけてくれて、一瞬ホッとしたのを覚えています。
家まで送ってくれた友人とお母さん
その後、同じクラスの友人とそのお母さんが公園にやってきました。
帰宅したくても恐怖でどうしようもできなかった私を、その2人は家まで送ってくれました。
私も家族も、感謝の気持ちでいっぱいでした。
当たり前をつくってくれている人たち
公園から家までの道路は、停電で信号が止まっていました。
家のガスや電気も止まっていたので、ご飯はカセット式のガスコンロで作りました。
地震発生から2,3日が過ぎ、部屋の照明のスイッチをつけるといつものように光りました。
数日ぶりについた照明を見て、安心した私は思わず泣いてしまったのを覚えています。
数日ぶりについた照明を見て、安心した私は思わず泣いてしまったのを覚えています。
大学生になった今考えると、この電気を復旧させるのにどれだけの人が動いていたのでしょうか。
普段は電気やガス、水道といったライフラインはあって当たり前、使えて当たり前と考えてしまいがちですが、その当たり前をつくるために動いている人がいるということを忘れないようにしたい、そう思います。
普段は電気やガス、水道といったライフラインはあって当たり前、使えて当たり前と考えてしまいがちですが、その当たり前をつくるために動いている人がいるということを忘れないようにしたい、そう思います。
いつもより近くにいてくれた家族
最後は、最も身近な存在である“家族”です。
普段はそれぞれの部屋で寝ていましたが、地震発生後は停電していたこともあり、家族全員同じ部屋で寝ていました。
常に不安な気持ちでいっぱいだったあの時、家族がいつもより近くにいてくれたことは何よりも安心感につながっていたのではないかと思います。
一人暮らしをしている現在、小さい地震でも不安になるし、大きな地震が起きたとしてもすぐ家族に会うことができないと考えると、将来もできるだけ家族の近くにいたいなと思います。
恐怖や不安でいっぱいだったあの日ですが、支えてくれた人のおかげでほんの一瞬安心することができたように思います。
先がわからず不安な時だからこそ、周りの人と支え合うことが必要ではないでしょうか。
私もあの日出会った女性、家まで送ってくれた友人とそのお母さんのようになれたらいいなと思います。
最後に改めて、あの日私を支えてくれた人に“ありがとう”、そう伝えたいです。
Write:すぎちゃん