おこんばんは。
今回は初心に帰って、「幽霊」という言葉が示す存在について、掘り下げて行こうと思います。

ひとくちに幽霊幽霊って話てて気付いたんですけど。私が「幽霊」って認識で使っている言葉の内容が一般的な認識からズレてる気がして。
改めて表現してみようと気付いたんです。

辞書で引くと
「幽霊」は、死んだ人間の残存存在で、恨めしい気持ちで成仏出来ない魂を示す。

「霊」は、たましい。精神。肉の対義語。神聖。不思議。

となってますね。確かに、幽霊って言うと俗物的な表現で、幅を狭めるので全般的に表現するなら「霊」にした方がいいのかな?
「霊能力」ってのも属っぽい超能力に聞こえてましたが、意味合い的には魂とか精神の力なので。私が使ってる能力は霊能力と言った方が説得力があるのかもしれない。霊体の一部を加工して使う技が多いのでね。ふむふむ。

話を戻そう。

幽霊ってなあに?
その応えを、私が体験した経験則で独自の見解で答えるなら。
「非物質で起こっている何かの反応」と答える。

なんでそんな回りくどい答えなのか。
見えないから気付かないけど、実際ものすごく複雑なのだ。非物質の世界は。
起こってる事を端的に掴めるものもあれば、ややっこしくて言語化が非常に難しいものまでピンキリなのだ。
現実の世界も色々あるだろう。世界情勢とか会社付き合いからご近所付き合いまで。恋愛模様とか。野生動物、昆虫。生態系。そんな複雑な関係や生き物の生態系がざっくりとリアルの3倍は質量がある。と言えばお分かり頂けるだろうか。

なんで3倍なのか?その倍率はどこから来た。と問われるだろう。
これは、完全に私の体感からなんだけれど。部屋に紛れ込んだ霊生物を、現実の100円ショップで買えるロウソクの火で燃やしてみたんだ。
ロウソクの火でリアルに燃える物。紙とか火傷とか。その規模と見比べて、ざっくり3倍の燃え方で霊生物が死んだから。それが根拠である。
ざっくり想定なので、実際はもっと質量があるかもしれない。少なくとも確実に言える事は、物質的な干渉力の方がパワーが強い。もしくは、密度が高い。非物質的な干渉力と比べて。
なので、霊体で右ストレートを打った時。と肉体で右ストレートを打った時。同じ威力をイメージして打っても効果と範囲が異なるという事。

物質的な私の拳は、梨を粉砕できるレベルだけど。
霊的な私の拳は、幽霊を消す。

おや?事例がおかしいかな。おかしいな。竹林の筍と鍬を片手に戯れてたら、腕力ゲージがおかしな成長を遂げたんだよね。てへー!
でも空手とかの板割りとかはできないよ!
存在が霊生物ホイホイだから、一騎当千するには一撃で相手を片付けなくちゃいけなくって。こっちもおかしな成長を遂げました。
拳で消せるのは中級の下っ端くらいまで。下手したら食われるから、普通に武器を使います。
神社とか寺とかでお祓いしろ?息してるだけで寄ってくるんだぞ。そんなお金ないし、最初は誰も信じてくれないし、人間不信だったから自力で何とかした。今では本職さんよりも詳しい部分もある可能性が出てきてるまである。

なので、私の体験した被捕食未遂事件を連ねて考えた経験則を元に書き起こした、幽霊ってなあに?の図がこちら。
これが真実だ!とは言わない。見落としてる部分も大いにあるだろう。非物質世界は見えないし、広大だしね。
ここに書いて無い事知ってる人居たら、私に教えてくれ!知りたい!


まずは人間に纏わる霊の図。





人間ってのは魂と霊体と肉体の三位一体で出来てる。というか、全てのあらゆる存在は3つに跨って存在してる。
なので、生きてる人間も、霊的な影響を受けたり発したりして存在してる。
上が生きてる人間の霊的なアクションのざっくり図。
下が死んでる人間の霊的なアクションのざっくり図。

幽霊が取り憑くって聞くでしょ?
なんで憑くのかって言うと、生きてる人に霊が接触できる霊体を組成に持ってるから、その部分にくっついて「取り憑く」という現象が起きてるんだ。なので、霊体を操作する感覚が掴めたら、幽霊を殴れるんだよ(笑)
私は肉体感覚と霊体感覚を分けて感知できるようになったから、別々に動かす事もできる。やる気と試行錯誤を重ねる気があるなら、誰でもできるようになると思う。

ポルターガイスト現象も、原因は人間が無意識でやってたりするのと、本当に幽霊が起こしてるのと2パターン存在する。

肝試しとかで、心霊スポットに行って、霊を連れ帰る現象。よくあるパターンを、現実的なものに置き換えて例え話をすると。
浮浪者のたまり場に冷やかしに行って、中の一人を背負って連れ帰ってしまう。と言った感じ。そりゃ怒るだろうと思うよ。

生きてる人間は強い。実は霊的な現象の原因は概ね人間がやらかしている。
大河ドラマの「光る君」の平安時代は呪詛がどうので人が病気になったり、赤ちゃんが死産になったりする描写がある。現代は人の念や呪いを表立ってとやかく言う風習は無いが、実際には馬鹿にならない。人間の念や霊体が悪さをする事がある。本人が意識的にやってるか、無意識的にやってるかは別にしても。呪いだけじゃなくて、身代わりとか病気を治したりとかもできるよ。
良い意味でも悪い意味でも、人間って可能性の塊なのだ。

亡くなった人の霊が辿る道は基本的に決まってる。その規定のルートを逸れた時に現象が発生する。
大きな括りとして、魂ごと残ってる霊か。もしくは残存意思の情報だけの霊か。の違いがある。
前者の霊は丁重に扱う必要があるが、後者に限っては滅してしまって問題無い。死の瞬間や、強烈な体験の感情が空間に焼き付いた映像情報ってだけなので、空間を修正するだけでいい。除霊したのに、現象が消えないって状況の中にコレがある。対処対象として霊を想定して、空間自体に手を入れないからバグが直らない。
魂ごと残ってる霊は、大抵は死んだことに気付かず、日常をなぞっている。もしくは事故で自力で成仏出来ない状態に陥っているか。
本当は正常に死後の世界に向かった方が安全なんだけどね。



次は非物質生命体。
肉体を持たない、肉眼で見えない生き物たち。その生態系のざっくり一部。












複雑過ぎて1枚にまとまらなかった。しかしこれで表現しきれた気はしない。
長年自分を食べようと喰い付いて来た霊生物をぶっ倒しては、性質や生態を解剖して調べてきた。そこから予想したり考察したり、検証してみたりした結果の妥当な予想図がこのイラストの、霊生物の成長過程の予想だ。
エネルギーの粒から核が形成され始める辺りまでが「雑魚」
自我が生まれる辺りが「中級」
自立した霊生物になって、知能も付いた辺りが「中級上位」
独自の縄張り内にコロニーを形成して、下位を従えて城の城主みたいな状態辺りが「上級」
ポルターガイストを起こせるのは中級の中間辺りから。物理的なアクションが取れるようになった霊は、素人感覚ではまず相手にならない。音が鳴らせるくらいなら、何とかならんでもないが、弱者を装ってる場合があるので注意。扉の開け閉めとか物の移動とかできるとかなり強い。



よく話す神社の神様とかは、翁の面を被ったベースが白系の着物を着た人物として見えたりする。簪いっぱいのおめかししたお雛様みたいな紫色の着物の女性とか。
なので偉人の人間を相手にしたみたいな、おじいちゃんとかお姉様とかそういう人を相手にしたみたいに接する。
気安い方が喜ばれるので、気安く接するけど、親しき中にも礼儀は忘れない。神様だし、不敬にあたってはいけないので。
と言いつつ、家族よりもよく話す仲だ。この世で一番腹の中を晒してる相手。自ら晒さなくても筒抜けなんだけど。
神様は初見だと、光として見える。スポットライトみたいな。多分、認識する人の常識の外にあるものは形として把握できないのではないかと思う。なので光として見える。人物として見えるようになったのは、私の中の記憶の中から一番近い情報を纏った形で、神様の立ち位置から、認識する人側に合わせてくれた状態の姿なのではないかと思う。

神社の神様と地球とか宇宙とか丸ごと作った創造主は別もの。創造主は今の退化した人間の脳で対話相手として認識するのは難しいのではないかと思う。けど、創造した全てに意思は宿ってるから、ひとつひとつを愛でて繋げた先に感じられるかなと。希望的観測。見えないからって居ない訳ではないので、感謝を伝える事は心がけている。



悪魔?を部屋の中で育ててしまってた事がある。4年前に気付いた。パンダのぬいぐるみに入ってた。いつからそこに宿ってたのか謎。倒そうかと悩んだけど、無事で済まないレベルだったので試しに話し掛けてみたら、意外にも話せた。戦わずにさよならした。今はどこに要るのやら。悪魔にも色んな奴がいる。悪魔みたいな人間よりも仲良くできる気がする。



霊生物の種類として、ざっくり3種に分けてみた。ざっくりなので、複合とか例外とかもあるし。私が出会った事無いタイプのものもあるだろうなので、この限りじゃないけど。

自然系の霊たちは好戦的じゃないから、観察交流が容易なので、画像化しやすい。
ざっくり分別すると、エネルギーの生産者と循環者って感じ。
畑仕事してると、よく寄ってくる。漫画の「蟲師」に出てくるのに似た感じの昆虫みたいな非物質生命体とか。見えない植物とか。
オーブに羽が生えたみたいなのが、畑の写真に映り込んで。交流を楽しんでたら、多量に増えて。統合したら龍になったりとか。
私の過去世が全体的に、自然霊達に受けが良いので、繋がりやすい。
妖精とか精霊とか。ぶっちゃけると見える動植物と、見えない動植物ってだけで、交流方法はあんまり変わらない。念話で会話。
「肉有りさん」「肉無しさん」と肉体があるか無いかで、見えない人に語る上での言語表現が変わるぐらい。


人間系の霊生物。念とかが降り積もると日本人形みたいに意思を持って、独自に命を持った存在へと成長する場合がある。
職人が作った作品や建築物や道具も命を宿すと、表現する事があるけど。実際にそうなのも中にある。
街を守るようにと作られた像が、人の願いによって実際にそういう働きを持つ。とか。
ざっくり分別すると、好戦的な部類が多い。関心を示したものにまっしぐらとか。人間から生まれるので、人間の感覚に近い組成をしてるのが特徴。人間の立ち居振る舞いとか、自然から離れた動きをするので判別がしやすい。非常に周波数が低いエネルギー排出物はタールみたいに粘ついて浄化が大変。
遭遇率が最近やたら高いのは、フラストレーションを捏ねた邪気人形的な呪い。ストレス社会だから、素材が豊富なのだろう。自然発生したものと、人為的に作られたものを見掛ける。近所でよく作る人が居て。見掛けたら壊してる。危ないし。
霊っていうより、霊的な機械装置みたいなものもある。掃除機とか洗濯機とかみたいな霊的な回路と動力を組んだ、設計図通りに動くもの。これらは魂を持ってる訳ではないけど、見えない世界で活動しているものの内にある。魔法みたいなものなのかな?
私の式神も人造生物なのでこの枠に入りそう。


捕食者系。これは襲われる時何本も触手みたいなのが絡んでくるから、タコみたいに描いてるけど。姿形をじっくり観察した事は無い。殺気を感じた瞬間相手目掛けて猛攻撃で消し炭にしてしまうから。肉片とかサンプルにする程度だ。倒すまでに時間が掛かった奴はそれなりに姿を霊視したけど、視覚能力は集中しないと使えないのでタイムラグが面倒で、あまり使わない。倒した相手は実にさまざまな姿と性質があって、共通点が無いので、一括で表現できる画像が思い浮かばない。最近よく接触するのはネットを彷徨ってる奴。スマホいじってると来る。クラゲみたいに見える。空中を徘徊してるのとか。地面を這ってるのとか。心霊スポットに巣を作って餌を呼んだり。寄生虫みたいに人間の中に住んでる奴がいる。何年も同じ人に住んでるのか、渡り歩いてるのかは謎。
よくゲームセンターとか映画館とか、人の集まる所に人間に紛れて歩いてる。人間の中に入るのと、近くを彷徨いて人間が生産したエネルギーを食べるものがいる。卵を産み付けてくる奴もいる。




身近な代表例はこのくらい。
更に話を広げると、次元系や宇宙系へ発展する。そこまで語ろうとするとまとまらないから割愛する。宇宙系は興味が薄いのか、余り出会わない。

人間に一切関与しないタイプの生き物もいるだろう。

ちなみに幽霊が活動してるのは夜って訳じゃない。

人間が比較的に見掛けやすいのが夜ってだけで。活動時間はさまざまだ。陽の光は苦手なものが多いので、隠れてるのもいるけど。直射日光浴びないで済む場所なんていくらでもある。

黄昏れ時もそうだけど、何かと何かが切り替わる境目の時間に活発化しやすい。人間の大多数が眠るのと起きる境目の時間帯が1番活発。多分、次元移動に人間を通り道にして活用してるタイプの霊が居る。



昔からの伝説の生き物とかにも会った。河童居た。龍にも会ったし、鬼も居る。
実物に会って実感するのは、昔の人間の感性の豊かさだ。予備知識無しで龍と面会して、あの広く知られる龍の肖像が描けるかと言えば、NOである。今の世の中発展したと聞くけど、テクノロジーはともかく、人間の質は落ちたと見て間違いないぞ。ホントに。
お狐さまとかの話を聞くと、祟る印象を持ってる人も居る。お狐様に限らず、人間だっていい奴とやな奴は居る。それと同じように良い狐も居るし、悪い龍も居る。それと同じだ。見えないから、全く別の次元の謎の存在と思ってしまうけど。そう人間と大差無い。



最後に霊視についての諸注意をお伝えする。

霊はエネルギーだ。非物質的な存在なのだ。
姿形は本来無いし、固定する事自体ナンセンス。

なので、「◯◯を見た!」と感じた時は、そのものの見た目を鵜呑みにせずに、一度振り返って考えて欲しい。
見たとか感じた事、気持ちそのものは大事に尊重して欲しいのだが。
しかし、見えたもの。そのものが、霊の姿そのもの。として固定して考えてしまうと、躓く時がある。

霊はエネルギーなので、本来肉眼で見える事は無い。でも、その性質を把握しようとする時。霊視。霊的な眼で見る時。エネルギーを感じる対象として類似するモチーフを脳内で画像化して、その人の経験の内で組み立てて見る事がある。
なので、見えた姿が、自分が分かりやすいように解釈した姿なのか。
それとも霊が物質的に干渉して、そのものの姿を見せてくれたのか。擬態して、他の何かを装ってるのか。見極める必要がある。

どちらも間違いではないのだろうけど、人間は見たいものだけを見るものだから、その罠に陥っていないか、自己点検は忘れないでいたい。
見たいものだけ見た結果、相手の罠に気付かずに詰むのは嫌なものだし。
愛ある嘘だってある。

例え話で、行者の修行で山頂付近で意識が朦朧として、危なかった時。空海さまが目の前に現れたんだ!と、感動を語ってくれた人が居た。
何を話したんですか?と聞いたが、現れただけで対話などはしていないそう。
空海さんが死後にその辺を彷徨いてるなんて考えられないので、現れたというこの場合は、この人の守護霊が、滑落などして事故る前の正気付けに、空海の立体画像を見せた。と考えるのが妥当な線。
守護霊だってみすみす守る我が子も同然の子を、死なせたくないから、必死である。もちろんこの愛ある嘘を、本人にはネタバラししてない。
知らぬが仏とも言うし。

私が霊現象に向き合った最初の事件で、向き合った相手を霊視した時。相手がホラー映画で有名な「貞子」に見えた。
映画のキャラクターと戦ってるなんて事はないので、なんで貞子に見えるのかという疑問として。
私にとって「手に負えないくらいヤベー霊」「殺し方が謎な相手」「水に関連してる霊」という印象から、霊を貞子として認識するに至っているらしかった。
実際に相手している霊も「神落ちした神の御神木」「泉の神の神社」「埋めて隠された」「泉で死んだ巫女と友達だった」という内容なので、全然違うのだが、印象が一致してないでもない。なので貞子という画像を使って、知らない姿を透かし見る為に、代用品として見る。という事もあるらしい。例え話終わり。

なので、霊視は霊そのものを見てない場合もあるので、確定して思考停止するのは危ないよ。と言っておく。
生き物なので常に変化するしね。

ではではこの辺で結びとする。
少しは幽霊ってなあに?の疑問点が晴れているといいな。
また次の記事で。