1月があっという間に過ぎてしまいましたが、新年最初のブログです。
昨年もお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。
今年も、日々見えない世界を見える化していく活動を続けていこうと思います。
新たな1年の抱負として、今年は「貫く」を掲げたいと思います。去年の「翔ぶ」を継続しつつ。
また近日のブログでまとめる1月の出来事アウトプットで書くのですが、そういうお告げみたいなものを自然界から頂いたので。

と、言う訳でやっとやっとの、籠もり期間が開けました〜。1月いっぱいかかってしまった…
しかし、龍のぬいぐるみの完成です!!!







長かった〜。。。切り出した布の枚数にして181枚。部分的なパーツ数に分けると19パーツという、過去最大のぬいぐるみですね。
とんでもねぇぬいぐるみだった。
龍って世界中の生き物の中で、最も良い部分を抜き出して集めた霊的生命体。
難易度がバケモンクラスだったぜ…。
もうね、指がもう針の持ち手部分が指にめり込んじゃうくらいにグズグズになるまで頑張ったよ。すげぇだろ!!(全然すごくない)
ついでに色んな所から出血しまくった!!やべー!!!(寝ろ)

見てくれ!!この美しさを!!!めっちゃこだわりましたよ〜!!!
一昨年の神事で代理出産した龍の赤ちゃんに、そっくりに仕上がって大満足です。
これで見えない人にも、生んだ子を見てもらえます。

蛇よりデカくなってしまったので、身に付けるには大き過ぎるんですが(笑)




なんでこんなバカみたいな時間掛けて、龍のぬいぐるみをわざわざ作ったの?という疑問に対しては。
神事に使用した木彫りの卵の保管用の袋が必要だったから。とお答えします。
香取の海の主を封印場所から回収して、新たな龍へと生み直ししたんですけど。香取海はもう無いのです。分かれて残っている印旛沼や霞ヶ浦などもありますが、封印されてから200年?300年だっけ。長い年月が経って宿る場所としては不適切な場所へと変貌しています。
龍は非物質的な生き物。なので、肉体が無くても生きられるだろうと思う方もいるかと思いますが。
「存在」の在り方も、生物の個体に寄って様々。私の知っている龍は、非物質と物質の中間地点の存在に該当すると感じます。なので、宿る依代が必要な個体だと考えられます。元々は香取海の主として存在していたので、海に代わる依代が必要になります。
なので、現在は神事に使用した卵が仮の依代となっている可能性。その仮の依代を安全に保管する事が、新たな龍の安全に繋がる。
なので卵を安全に保管しないといけませんが、なにぶん私も人間なので、ずっと卵を守ってじっとしている事は難しいです。生存活動しないと。
結果、卵を守りつつ、依代としての機能を搭載したぬいぐるみを作る必要性が出た訳です。卵の容れ物として。
なので生んだ子龍そっくりのぬいぐるみを制作したのでした。
せっかくなので個展とか開いて飾りたいですね。

いつか神様が住んでない水場の近くに住んで、子龍がそこを気に入ってくれたら、一緒に住めないかなぁとかは妄想してます。
生んでから世界を飛龍として生活して、もう体調は20メートルを超えたようですね。子どもの成長は早いです。

「龍」という霊的な存在の定義は色々あります。
龍についてを記述している読み物も色々出ていますね。講演している方もいらっしゃいます。諸説ありますが。
火与なりに触れ合って、私が相手を龍だとして認識している相手については、違う言葉を使って表現してみると「自然の息吹」だと思います。
自然界の樹や池や川、雲や気流、海、山、火山、火、あらゆるものが、八百万の神さま的に一定の霊的な水準を満たした時。霊格を発揮して神格化され、龍へと進化する。そういう風に認識しております。神社の神様とは少し違う感じがするのは、
「連なりがある長い存在」というエネルギーをしていて。「自然界の運行と一緒に移動する」という部分でしょうか。
神様は移動せず。築いた神殿に鎮座して動かないものなので。
何となく、天気や季節などの普遍ながらも移り変わる循環の流れを流す「移ろい流れる」という自然現象を創造しているのが龍の仕事かなと考えています。

私がその龍と感じている「何か」と会ったのは、家庭菜園をしている時でした。写真に妖精?に似た、丸いメタリックに光る虫が写り込んだ時から。見た感じは、ゲームの「ゼルダの伝説」に登場する妖精にそっくりです。
たまに写真に映り込む妖精が数を増していき、電車ごっこみたいに縦に連なりだし、縦に連なった列がDNAのように重なり合って。
ある日、青竹色の龍になったのでした。5メートル程の。
写真に写った妖精はめっちゃ拡大しないと見えなくて、ネットにアップしようとすると文字化けしてしまうサイズ。なのでお見せ出来ないのが残念です。画像加工する技術ないし。むしろ信憑性が減る。。。
青竹色の龍になったら、もう写真には映らなくて。畑作業に精を出し切ってからの放心状態の時に、ちらっと視界の端に見える感じの。
野生動物のように、静かに気づかないフリをしていると、近寄ってくるみたいな。
「オーブって龍の幼生って説があるんだよ」
という話を聞いた事があって。この事かとピンときましたね。
私の中ではこの説が立証された瞬間でした。

オーブってのは、土地のエネルギーの結晶体みたいなもの。なので、龍とは場所に宿るもので、エネルギーの結晶体が神格化したものと言えるのか。と知れてとても嬉しい体験でした。ざっくり言うとジブリ映画「もののけ姫」の木霊と似てる生き物って事です。
木霊の母親は樹そのもので、森を守り、風と遊び、森の神であるシシ神と共鳴して時を重ね、トトロに成長する。みたいな。伝わるかな?


人が意図を持って、土を人力で耕してお世話すると土地の霊格があがり、オーブが増え、オーブが成長すると連なって重なって、やがて龍へと至る。


大自然と人が手を取り合って共同で生きようとするならば。地上は全てパワースポットへと進化、ひいては神化するだろう。って感じです。
なので、今サスティナブルとか脱炭素とか社会全体で盛り上げていこうとしている所。
霊的な肉なしさん達や自然界と接している人間としての、個人的な意見なんですが。
その未来の構想に、自然界の明確な役割や人間との兼ね合い構造は含めておりますか?と問いたいです。
そして自然に優しい活動をと説いていますが、自然界自体の意見や感情をを受け止めた上での活動でしょうか?

人間も実は自然界の循環の内のひと柱。人間の生活圏と自然界を隔離する事は問題を生む事でもあると考えます。
地球に住む生き物は互いに相互作用があります。
小さな虫にも感情が有り、意思がある。私にそれを教えてくれたのは、蟻です。蟻は人間語を話しませんが、感情は共通です。

学術的に高位な本によく出てくるんですが、土はバイキンの巣窟で素足で歩いてはいけないと書いてあるのを、よく見かけます。
土はその上で生きた生き物達の終着点です。ひいてはご先祖さまです。
素手で素足で触れ合ったら喜んでくれると思いませんか?
喜びを分かち合ったら、バイキンではなく親友です。家族です。家族が家族に毒を盛るでしょうか?
喜びを分かち合ったら、喜びは倍増していきます。そして喜びは高まり、その地を包み、波動を上げ、オーブが生まれます。
オーブが連なったら龍になります。

龍は人間の喜びの化身でもあるのです。すべての生き物のいい所を集めた霊生物である龍は、すべての生き物の喜びの連鎖を集めた存在でもあると思います。

全ての人が今、改めて自分の喜びとは何から生じるのか振り返る必要があると思います。
それは自然界の中で分かち合う事によって生まれるものではないんでしょうか。
落ち葉をゴミと称する。カエルの声を煩いと称する。雑草が生えると汚い、みっともないと称する。
虫が怖いと感じる人が生じるコンクリの中ではなく。

もしも喜びを、草木や虫、風や微生物、火や天気。生きとし生けるものと分かち合えたとしたら。
あなたのために吹く風が有り、あなたのための実が実る。その実を食べることが出来たとしたら、それが幸せと言うのではないかと、私は思うのです。


ちなみに私の野望は「りんごの実を食べる事」

その林檎は、微生物から虫に始まり、私と絆を結んでくれた全てに見守られた庭で育った私だけのために樹が実らせてくれたリンゴです。
それはきっとエデンの園のリンゴの実に近い味が楽しめるのではないかと思うのです。

その野望を叶えるために、改めて龍達と見守ってくれる肉なしさん達と心を合わせてこの先を進んでいこうと思います。
叶うなら、今年も肉有りの読者の皆様も見守ってくださいませ。そして応援して頂けたら幸いです。

制作した龍ちゃんは、エネルギー画をイベントで出店した時とか、ワークショップの時とか看板龍として連れて行こうと思います。
手もしっかり作ったので、握手ができますよ。
この1年も精一杯生きていきます。子龍の母ですと胸を張って言えるように。