私は43歳にしてやっと

自我の確立ができたように思います。



それまでは、

感受性が強いが故に

相手の感情と、自分の感情の違いさえも

判らずにいました。


その事に気づいたのは

36歳くらいの時でした。




大人になってやっと

自分の感覚というものを取り戻し、


そこからは

それまで遠慮していた

"自分の好きなことを自分に与える"

という事をしてきました。




当時の好きなことは、

とても苦しく辛い時に出合った

aurasoma®️でした。




オーラソーマ®️の

イクイリブリアム(均衡という意味)ボトルを

使用することだけに留まらず、

オーラソーマ®️を学びたいと、強く願うようになっていきました。


その時は専業主婦で、

その願いはとても贅沢なものだと思い諦めていました。



仕事を始めてからは、

銀行からお金を借りて学んでいた事もあります。



そして、

色々な柵(しがらみ)からの解放を決意し

今に至ります。



そうやって、

遠慮していた(今となっては何に遠慮していたのかさえ分かりませんが…)

自分の、純粋に心から求めることを選択し

自分に行動することを許す、いう事を続けてきました。



そうやって、

何と比べることもせず

成果や結果を求めることもせず

ゴールも決めず

ただただ純粋に

私の好きなことを愛して、行動してきました。



その繰り返しの中で

自分の嫌いだった部分を許し、受け容れる

という自己愛が育まれていきました。



自分を愛するということは技術でもなければ方法でもなく、

その瞬間の自分を地道に受け容れていくこと。


それが自分をケアするという事にも繋がっていき

最終的に癒されていきました。




自我が嫌われがちな昨今ですが

本当に自我がなくて大丈夫なのでしょうか?


自分の"好き"という感情を置き去りにしたままでは 

本当に自分が必要としているものまで見失ってしまいます。




自分を見失ったままでは

誰かの真似事をなぞるだけの人生なってしまうのではないでしょうか?



苦しかったり、辛かったり

そんな時は、自分の本心とズレてしまっている可能性があるかもしれません。