こんにちは あおしゆうです
今日から クリエイトな 活動の中止がはじまり
逆に それ以外の 作業
いろいろ ありますが
確実に お仕事を しています
周りの 評価も ついてくると 思うので
張り切っています
な このブログも ようやく お仕事として
私は 取り組んでいます
今 伝える問であることや
これまでの 経験 体験談で
伝える ことで よりよい 情報となりますよう
見て行ってください
というのも 確実に 治っている 状態が
はっきりと 自分の コンディションを
バランスよく 使えるようになり
内容は とっても 身のつまったものです
これまで 悩んでいる時 そのまま 文章にして
とどめておきたい 現在の 自分を
ありのまま 伝えた事かと思います
そこから じゃあ 私の出来る事
その 模索が 多い とっても 大事という中で
これから やって行くことなどを
書きたいと 思います
今 私は 新しい 主治医に変わって 半年が 経つぐらいです
年齢的に 私の方が 年上となる
初めての 事です
とっても 患者さんが 大事な方で
そして 女性ともあって
とっても 明るく 朗らかな 方で
心配症な ところもある お医者様です
はっきりと 薬について 引継ぎを
見ても 合っている ということなので
少し 安心しました
以前の 主治医に とっても 感謝しています
ななか 私は 17歳で 発病し
現在 42歳 倍の時間が 経ちました
これまでの 行動は
いろいろと してきたのですが
確実に 今の お仕事につながる
ことなどは していないのです
なにより この 5年で 回復している自覚が大きく
とっても いままでが 病気であったという
結果 として
とっても マイナスな事でもありました
それに その時には どうしても
普通の 仕事に就く ということが
できないでいました
それも 能力の無い 停滞期というものの時間は
休むしかないし どうしても 治っていく感覚も無い
押しても 引いても 仕方ない
という 頭の ぐるぐるしたことが
何とも言えない 時間を 作っていました
なので 行動する時 やってしまうこと
やってしまった って 後悔だけが 残り
いくつも そのような事になると
自信も失い 意欲も 緊張感が高まり
上手くいかない という時が
ありました
時間は 過ぎて そして
42歳 とっても とっても ここから
45歳までは 闘病は 続きそうですし
そこから 考える という 主治医の 意向もあって
ここで 足踏みしている 状態です
それでも 毎日は あります
こんな 何もない 何もできない 日々は
これかた 3年ほどは 続きそうです
な中 振り返れば 1000通のblogが あり
また タイピングしだしました
ここから 始めようとする ことは
いろいろ あって B型事業所 カラフルラットでの
お仕事が あります
ちょっと前に 私は 仕事で 苦しみたい
という 希望があって どんなことがあっても
自分を 使いたいとして
やっても 実際は 2.3週間で 何もできなくなりました
あれから 半年ぐらいで
いま 軽くなった 思考と 行動が 生まれています
そこからは 楽に 仕事が できる
そんな メンタルと 今の対応が あります
色いろなこと・・・・
ありますけれど
そこだけ 行動する 事を
ピックアップすると
意外にも 普通ではない 体の不調も
普通ではない 心の作用も
あります
ということが あって いっぱいあった
自分ですが ここまで来ても
まだ まだ 行動に移すという時には
専門家の サポート 支援を
ちゃんと 相談するとか ちゃんと 連絡する
ということで 良くなる ということが
言えます
20代 30代が 一番 若く 何でもしてよい
何でも チャレンジしていい そんな 若さだと
思います 実際 私はとんでもない 行動を
この 3年ほど前に していますし
なかなか なおりません
それでも 治る時が来るのを
まっている それでも いけない できない
そんな メンタルに 陥る 事になるなら
行動すること
そう 叩きこんだ 自分の方針もあり
小さなことから 繋がった 判断というのを
してきた ことがあります
なんでも 誰かが言ってくれるように とか
誰かが声を かけてくれると 思っているとか
自分には できることがある とか
様々な 思いの中 そうではないよ・・・っていうことも
本当のあったので
私は 今の 行動力は すべて
20代30代の ジレンマや 失敗など
繰り返して いたことにも 当然 取り返せる分のもの
そんな スッテップを踏んで
今の 判断は あります
自分は はっきりと 自分の事に対して
目を向けていた そして 努力と 行動を
起こしていた ということに 今の 回復は
加速しています より 普通に依った
普通に のっかった 今の 仕事の中で
それの方法がいい それがいいというのが
なかなか 見えてこない 時もあったので
はっきりと お仕事というものを
自分で やるしかない 自分のために したい!
な 不問な ことに 対しては
その時があったと いまでも その時のblogは
戒めのように 残っています
なので すっごく仕事が したい!
という時の波が いくつもありました
小さい波も 大きい波も
押し寄せたことは いっぱいあります
そして はっきり 思っているのは
投資しなくて なしえるものは無い
ということです
どんなことかというと
お金が無ければ 何も 情報が 無いし
つぎ込まないと その全容は 自分で
判断できない ことになり とっても
誰かがいなければとか 誰かからきかないととか
第三者 や 親族 家族の 力を
パートナーさんとか 誰かがいないと できない!
ってなる ことが 私も ありました
自信がないとか 経験がないとか
スキル 勉強ができない とか 様々ですし
とっても クリエイティブ活動に いそしんだのも
自分が とっても 焦っていて 証明したかった
そんな気が させたと思います
それも 数々の 投資として 自分が
そうでなくてはいけない という 思い込みから
とっても 立ち直って また 行動する
簡単に できるように
自分の判断そして スキルを 積むときが
いろいろな 障害や 関係性で めちゃくちゃであった
そんな時も あります
実際 大きい事は 化粧品のフェイシャルエステというものに
依存して とっても お金・時間を かけて
頑張っても 自分には 何もならなかったし
当然 生活保護になると お金がない 贅沢できない
そうなります
当時は フェイシャルエステで 同じ病気であるかたの
奇麗を お手伝いしたい ということで
やってきても 縁は 切れたので
そうやって どんどん 頑張ってきたことが 消えていく
そんな気持ちもありましたし
誰もなにも 誰からも 言われない ことで
自己責任は 強くなりました
あまり良い事ではありませんが
自己責任 信頼 などが とっても
ここ 3年で やってきた 事でもあります
その時は 解らなかったことが
解るようになり
今が 充実している 状態でもある
そんな中で どうしても
この3年 前に向いている 状態でもある
な ことになるから どうしても
投資は してほしい
なんでもいいから
自分のぬぐえる 程度なら
やってみたほしい という気持ちが あります
それは どこにいようと
家族といようと 一人でいようと
試すことは 試してほしい という 気持があります
これは 直で言うと
ご自分の 直接的な 乗り越える事でもあり
まだ 手が多い 周りが手を貸してくれる
その時から 自分への 投資は してほしいです
むやみに 突っ込こむことも
何かと 地盤があれば
そこへ アプローチする ことも
していいと 思います
何故かというと
自分に スポットライトがあたって
自分が 主役で 自分が一番
という時間が 社会との 接点がないということで
なかなか 感じられない
成長できない そして 働けない状態であること
そこに 一番効くことは
投資をする 事です なんでもいいです
習い事をする どこかで 勉強する
自分には 一日しかできない
できなかった それでも
私は 当時 novaにも行ったし
ゲーム関係のスクールにも
絵本の作り方も行った
そんな ことの 繰り返しでした
なんとかしたい! それだけでしたし
ただ やりたい!で 起こした 結果でもあります
けれど その時 仕事そして 充実したライフプランが無い
精神保健福祉士さんに 相談しても
何もならなかった だから その時
頑張るしかなかったし そして 無理な事であると
誰もが 思っていた
けれど それがいいのは
そこで 学ぶことと 未練や その時出来なかったことで
恨むことを したくは無かった
何より 自分の 負の感情が 現れる事
その 渦に 囚われてしまうのならば
すっきりとした 自分への 対応でいることが
ないよりの 成果ではないかと どこかで 思っていました
それは 私が 発病して 当時 17歳
その先には 大学や専門学校が 待っている
そんな時の 発病でしたが
無理なのを 解っていて
主治医は 専門学校への 受験を した方がいいと
家族を 納得させました
それが あの時 してくれへんかったから
こうなったんや!
なんてことが無いように
やってあげることが 親ではないか というものです
なので 私は 専門学校へ行く前から
辞めるのを 解っていても
入学金そして 受講料を 払っていくれました
それが 300万近く ありましたが
私は 一日も 党校ぜず 払う事になり
とっても ありがたく そして 本当にありがとうと
言えました なので 次
自分が することは 自分の範囲内の
投資をすることでした そして それはすべて
自分の 学びに使いました
な 時が いっぱいあって
何もできていない 何もならなかった という時を
時間で言うと 20年あったのです
なので 最近まで 本当に 3年前まで
どうしても したい事がある
ことには 直で 投資したのです
それは 今でも ありますが
少しづつ 自分への 負担 まずは 体力
そして キャパシティ
コミュニケーションの スキル
どこかへ でかけたら どこかへ
学びに行けば 当然 要されることでもあります
ちょっと 嫌だな とか ちょっと 嫌だったこと
いっぱいあって 本当に
外へ出て どこかへ 出向き そして
目的のある 行動 というのは
疲れるし 普通の人でも あることです
そこの 小さな ステップなしには
回復は ない そう 思う事が 必要でもある
それほど 働きたくはないとか
家庭に入る それでも した方がいいのです
その時 きっと 支援として 家族として
とっても 進められないし 進めない
そして 保証もない そんな 繰り返しです
繰り返すことで どう 社会が 動いているのが
体験できる そこに 気づくまで
頑張る 我慢し.て 見守る 家族も 支援も
あるということに 気づく
本当に やってみないと 解らない
それは 今 私は いろんな 興味があっても
自分軸は ブレない メンタルがある
それは 頑固になったのではない
自分を知ったのです
そして 一番の こだわり
絵を描く という クリエイティブ活動に
終わりを つけました
やればいい とか なんでも頑張ればいいとか
簡単に 簡単にできることから
その 証明のように 上手くなった
ドラゴンのイラスト
そして ドラゴンとペンギン展を 終えて
また グレードアップしたにも 関わらず
終わりにしました
当時から 上手いとか できるやんとか
できるなら こだわって 時間をかけて
という ことの 繰り返しを
どこか 楽しくないと こぼしていて
楽しくない そしえ 嬉しくない 作品に
どこか 虚空を 仰いでいました
で 結果
私には 道が あったことに 気づいたのです
それが ハンドメイドと トールペンと タロット占い
という 三本立て です
このことから 生まれた その支えの上にあるもの
それが ピアカウンセラーとして 仕事をする ことでした
私は 三つの柱 を 武器に
そこから 支えられるのは 一つ
本当に その路を いくことに したのです
いま 詳しくは言えないですが
当然 行動が無ければ 無いものです
そして いろんな 投資をしてきて
本来の 私は どんな お金も やりたければ
いとわない といことが あります
けれど それは これまでに 培った
力として 先々の見えない 投資をさけることができていたり
お金と引き換えに 変る 物事だけではなく
品物も ある程度 見切れる 事が出来て
なおも ブレない 自分の 求めるものも
ちゃんと 掴んでいる ということが
この 20年で できている ということです
その時 何もわからない 能力も低い中で
とっても 危ない 事でもあるけれど
今後 自分一人で 歩かなければいけないとは
こんなことの 連続です
それでも 不満のある 体質と 病気は
自分の気持ちに 負荷をかけますし
とうぜん リスクと 波もある
なんとか 治る という時に
何もしていなければ 何もない し
その先 どうしようもない のです
当然のように B型事業所や 支援者によって
毎日は 安定しても
最後に これをしていてよかった と
今後 10年20年と ある 自由な時間に
間に合わない となり また
その時 私も 40歳という 時
若さも パワーも 落ちました
それでも やるんだ という気持ちは
いままで 行動し どうなるか
結果を積んでの 判断だった
その 自分らしくやった 停滞期の
行動で すべては 変りました
今 私は 社会への接点は 多く
支援者さんだけではない 方々に 会って
実際 一緒に 仕事をしています
そんな環境でも それがいいのは
自分の やるべきことに 何が必要か
解っているからです
何もしていなければ できるわけない
そうなる時が 私には無い
それが 一番の 効率いい 仕事への姿勢に
向けられるのです
それは 病気である 当事者さんや 支援者さんや
一般の ごく普通の方でも
なるのは そうなるのは 自分のためということ
誰のためでもないと 思えるまで
思えるようになるまで 私は この
3年の間に 回復という時間には
悔やんで そして 泣いたことは ありません
それ以上に やるべきこと
そこから の景色に 目を向け
あるがままに 道を 切り開いたのです
それまでは 我慢とか いっぱいありました
最後の 母の言葉 は 辛抱し
といことです
けれど はっきりと
母は 私ではない
母である
そう思うと その時
そこから 卒業できたのです
などなど これまでの 事を言うまでも無く
失敗と 無駄の連続ですが
とうとう 本を読んで
社会を 勉強する など
色いろな方法に たどり着いた
この 3年間
とっても 大事であり そして 進んだ結果が
得られたこともあります
3年前には もう 生活保護としての生活をする
その時から 自分には 起業しかない
だったのも
生活保護だからです
それも 病気による どうしようもない
時間です
そこに 今の スキルを つける 力があるのは
これまでに 学んだことが 多いからというのもあり
そして 支援者さん 支援機関での 仕事では
理解のある 方がいる
それまで 自分が ピアカウンセラーや
起業 はたまた 婦人サロンのメンタルヘルスをしたい!
そう 思う その思いを 伝える
のに 大分 勉強した ことがある
それは 私の人生の中で
行動しなければ 何も得られない
行動していなければ
きっと もっと もっと 足りていないと
感じている そして 先が見えない
そうなっていたでしょう
できる限り 負債のない そして
悪行ではない ことに 行って
小さい事から コツコツと
それが 一番の 近道です
ある意味 コミュニケーションも ままならないまま
突撃したことなんて いっぱいです
それでも 良かったって思えるのは
支援者以外 支援機関以外 普通 ごく普通の
反応と 普通の トラブル
普通の 別れの 数々が
ある意味 自分を 振り切って
ふり絞って 頑張った事でもあります
どんなに 地域密着 どんなに 支援の手を借りても
自分の責任が 取れないと 思う事を
どこまで 頑張って 自分流にみいだすか
それが 培う時
確かに 40歳を 超えていました
けれど 20代 30代では それが できる
その目を どうか つぶさずに
ちょっと よい 思い出を 作ってください
今の 私は 自分のスキルが 高い事に
追いついていないのです
それは ドーパミンが人より多いとは
そだけ できる 要素が あるからであり
要するに 天才なのです
けれど 私は ごく 普通の今の感覚で
それでいて また できる方です
天才には 結局なれないけれど
そこには 普通ではない 能力の塊のように
自分のスキルは ありました
なので 病気も 完治する手前で
整えている そんな 状態です
それでも 生きて行ける
その時が いまを支えています
なので よくよく 思うのは
自分のことを 恥だと 思いすぎたことと
望まなかった 大きなこと
そして 無理だと 言われたこと
そして 母親 家族の 言葉に
従いすぎたこと
とんでもなく 自分に 罰を 与えたこと
いろんな 経験から
きっと 行動するとは
その時の ごく普通な事でもある
自分には 意味のある事
そういうのも 他の人からして
その意味は 見えない事
そこを 不安に思う 支援者や 支援機関と
相談し 乗り越える
きっと 今まで 無理のある ことをしてきた
私にとって この システムである
B型事業所などの 福祉施設に 従事することは
ある意味 強制でもありますが
上手く 付き合えたり
上手く 利用すれば
それは プラスとなる
そのように 改善していく 病気の状態は あります
そこに 囚われる ことなく
プライベートも 確保することで
普通に近い 生活は できます
その時が くれば 回復もあるでしょう
私は 今後とも ここを利用することも
あと3年は ありますし
完治は ゆっくりだそうです
それでも 普通に近づくとは
社会に出る事
治る時には 薬が 必要で
薬を 出してくださっている 主治医の
意見書から 全ての 福祉の利用と
そのところからの 支援 そして
守ってもらえる 責任もある
そこから できることが
どうか いつまでも 続くことを
前提に いてほしくはないです
利用しながら 自分の 道を 見つける
この 3年で がらっと かわった
生活があります
行動し 経験しなければ 置いて行かれる
焦りは その時 どうにでもなる
繰り返せば 強くなる
そう できることから コツコツ
頑張ってみてください
ここまで読んでいただき
ありがとうございました。