こんにちは あおしゆうです

 

この頃は 日差しも強くなり

 

夏の 熱さが 始まって

 

元気で 陽気な エネルギーが満ち溢れるでしょう

 

体調面で 気を付ける

 

そして 日焼けにも 気を付ける

 

いろいろと 生活も変わる時

 

その時 私は まだ 闘病している状態です

 

つまりは まだまだ 生活が 精一杯

 

そして 気づいたのは

 

ゆっくりと 休んでいる 時間が長いということ

 

私は 鼻炎と鼻水鼻づまりが 35歳で治り

 

そこから 7年ほど 経っていますが

 

いまだに それまでの 習慣が抜けなくて

 

眠る日と じっくり 耐えている日が

 

一日の中で いっぱいあり

 

何もできない 状態があります

 

当然 統合失調症の 状態もあり

 

起きれない じっくり ぼーっとする

 

そして 何もしない という時が

 

今 ネックになっています

 

本来の自分ではない と 気づいているけれど

 

治らない 生活習慣は

 

私のメンタルを くじきます

 

なので まだ 働くには ほど遠いです

 

で・・・妄想も ほとんどなくなったのに

 

そして 体調も コントロール できるのに

 

踏み出せない事が 山ほど

 

そう ごく 普通の毎日が それに 少し

 

慣れたぐらい

 

けれど 確実に 私は 新しい私になっている

 

そう 夢とか 希望とか 望みが

 

はっきりと 現れる 要素を 持っている

 

そう 感じ始めました

 

そして 理由なき ものを 拒んで

 

現実の 有益な事に 目を向けるようになりました

 

本当の 私は どんな人なのだろう

 

そう思った 20歳

 

私は そこから 20年という時間をかけて

 

今の 私が好きでいる

 

けれど 辛かった 時が

 

いつまでも 心を 痛くするのです

 

本当なら 無い方がいい 病気も

 

まだ 17歳でありながら 障害者となることも

 

本当に 不運です

 

その 大きな 病気には

 

当然 辛くて 辛くて やってられない ことなど

 

山ほど ありました

 

けれど この 今の 答がでることが

 

これまでの 闘病の中でも

 

自分は しっかりと ちゃんと 向かい合っていた

 

そんな風に 今は 捉えることができます

 

そして 回復する時に どんなことが

 

あれば とっても 良いのか

 

自分でも 手探りです

 

これまでの 国の指針 と 環境に

 

とっても 今 恵まれている

 

けれど それでも 良し悪しがあり

 

福祉サービスの 生き届いた 他の国が

 

当事者の 自殺率が 高いことも

 

私は なんとなく 掴めています

 

矛盾と言える 現象に

 

私は そこに 実体験からの 答もある

 

きっと 今は まだ 

 

体験していることに 自分は 追いついていないのかもしれない

 

この 不具合だらけの 実情には

 

私の 今の 実力では 届かない

 

何かが あります

 

今 私は 殻を脱いで

 

自分の力で 家を建てる そんな 心の作用に

 

時間がかかっている

 

実に 現実は 何もできていないけれど

 

闘病し 体験したことから

 

私の 仕事は 芽を出しているのです

 

で・・・なんでも 無いことを 書いているようで

 

このところは 現実に 負けています

 

何かに 怯え そして 何かに とらわれている

 

そんな 気づきがあります

 

皆さまが暖かく 接してくださることに

 

不満が あった 日々から

 

言えることも そして 突き飛ばしたり

 

くっつたり きっと すったもんだ だったのでしょう

 

いろんな 羽陽教区説と 自分のスキル迷ってる

 

そんな日々が ようやく 落ち着きました

 

この 42歳で 反抗期が 終わったのです

 

なると とっても 生気が抜けて

 

素っこ抜けて とっても 今が ありがたい

 

こんなことが あるのか・・・と

 

狐につままれたよう

 

実に 大人って 成れるものですね

 

で・・・・ここからの 景色から できることが

 

ある中で とうとう

 

諦めることもでる

 

いままで 頑張るしかないけれど

 

その 頑張りが 基本の 私を作っている

 

この 1000通未満の blogは

 

とっても その時 必死でしたし

 

それに 私の 毎日でもありました

 

治るとは とっても 大事です

 

その中で 確実に こんなことがある

 

そんな 手記が 残っていて

 

自分でも 私は 自分に ありがたい

 

そう 思います

 

自信も無く ただの 闘病記が

 

そこに いた自分が

 

治るという事ですと 言える

 

きっと 恥ずかしいとか 何やっているんだ!

 

と 思う事もありますが

 

それでも 良かったって 思いのほか

 

私は ここから 先の方に

 

進みたいのです

 

何があるかわからない という時を過ぎて

 

実際の 生活も 整える時

 

そう 感じています

 

な こんな 人になって 何ができる?

 

今までなら とっても 頑張ったでしょう

 

それでも 治るとは 自分を取り戻すこと

 

人になって 物事を 考える

 

社会の中で 生きることに 意味を見つける

 

そう 簡単です

 

けれど どうしようもないのが 欲です

 

それがあるから 進めると言いますが

 

欲だらけの自分には とっても また

 

お灸をすえる 時があるでしょう

 

欲だらけの 今に

 

自由は無い それでも 苦いコーヒーを飲んで

 

また 一日を 仕事で埋める

 

時間は はっきりと 治る時の

 

カウントが 始まっているのです

 

その時 何をすればいい?

 

そう 時間が どんどん 緩やかになって

 

本当の 好きな時間が 発生する

 

その時 ただ 現実の方が 楽しかったから

 

治す努力をした

 

そんな 子供の しがらみ

 

それが 良かったのです

 

治す方が 楽しい 治る方が 楽しい

 

そう 言えるのです

 

そこには 現実 どうしようもないことだらけです

 

それでも 何もない 誰もいない

 

幻影と 暮らすより

 

よっぽどましです

 

この ちいさな そして 短い時間

 

自由でありながら 仕事である

 

その 仕事が こう言う事

 

そんな 日々に とっても 助けられている

 

案外 私は 人のために 書いているようで

 

見てくださるひとに とっても 救われている

 

そう 今は 心に

 

とっても 自由ではない と言えるけれど

 

言い方を変えれば 仕事でもある

 

そして そんな日々が あっていい 時を

 

とっても 満足している

 

人によって どうなるとか 

 

考えなかったから

 

がむしゃらに 進んだ結果

 

とっても 自分には 厳しいけれど

 

それでも 治ることが 楽しいのです

 

考えても仕方ない 考えるしか能が無い

 

それに 追われて生きる時を

 

今は 優しく 思えるのです

 

心の中に いっぱいの 記憶と 現実のスキルがある

 

けれど どうしようもないのは

 

病気によって 左右されているからです

 

ある日 障害者の 言葉に 

 

冷たい人たちがいる そう 思うと

 

自分が 弱者だった

 

けれど 私は 病気を オープンでいくと 決めてから

 

大人になったとき

 

弱者ではないと 思うし そして

 

強く 決して 間違っていは無い という道を

 

進むことにした

 

ということを 抜きにして 回復と

 

正しい 道というものは 見えない と

 

私は思っている 優しいだけが 全ての 人にある

 

そう思うのか 私だけに優しい人がいる

 

そう 思うのか いっぱいの 選択肢がある

 

用意される けれど 確実に 治ることが見えなければ

 

見えないものが いっぱいある

 

そういう 病気です

 

精神ですし 心ではない

 

人の 基本的愛情 が 全てです

 

愛せば 治る

 

愛されれば 治る

 

誰かを 大事にすれば 治る

 

傷は見えないけれど

 

見える傷に 対処があるように

 

見えない傷 精神にも

 

対処は有ります

 

その マニュアルがあり できる

 

専門家と キャリアはいます

 

そこに お願いして 

 

そこから 闘病が 始まります

 

治るので 悲しくはない

 

治ることで 得られることの方が多いから

 

辛い事を 耐える

 

その リハビリに どれだけの人がいて

 

そこから 生きることができる

 

可能性がある

 

そこに お願いすればいい

 

けれど 解っているのは

 

自分にしか 病気が 発生している

 

病気なのは 自分

 

そして 病気をなおすのは 自分

 

そこから 何があろうと

 

どんなことがあっても

 

病気は治る

 

その時 どうか どうか 正しい事に

 

生きてほしいです

 

そして 悔いのない 人生であってほしい

 

悲しむのは 自分のためのもの

 

その 時間を 生きるために 

 

シフトする 時が ありますよう

 

心から 願っています

 

治ってからが 始まりではない

 

闘病には 一生の付き合いと

 

発病から 精神病であり

 

そこに 精神の 年齢が 加わって

 

人並みになる

 

人より 精神が 苦しいのは

 

仕方なくても きっと 自分には

 

責任の無い そして 耐えがたい

 

病気のことでもある

 

そこに 至ることを 嘆かないで

 

毎日の 積み重ねに 

 

自分らしくあればいいと 思います

 

きっと 治る

 

そして 治っていくたび 葛藤もある

 

そんな時 きっと 大事なものしか残らない

 

そう 耕してください

 

ここまで読んでいただき

 

ありがとうございました。