夏の終わりを惜しむように暑さが逆戻りしましたねoyster ice*


その後みなさまは、お変わりないでしょうか?

 

なかなかブログも書く時間が取れず更新が滞っていました。


いつもみなさまに、ご心配をおかけしてしまうので

こちらには書かなかったのですが
いま私の中で、とても沢山の感謝が溢れているのと、

介護と向き合っている方も多いので、

やはりこちらに書かせて頂くことにしました。

お盆の最中に父の肝膿瘍が再発し、緊急入院をしました。

2ヶ月前と同様に40度の高熱を出し、前回と同じ病院へ

搬送していただきました。

たまたまその時に当直だったドクターが、担当医になるようで

前回とはまるで違うタイプのドクターでした。

父の様子も明らかに違い、全く症状が落ち着いていないように

見受けられましたが、ほとんどなんの説明もありませんでした。

前回の熱意溢れるドクターは、
お盆休みを取っている他のドクターの患者さんを、

何人も余分に抱えていて、とてもいま父の担当になれる状況ではない

と病院からは説明を受けました。

震えの止まらない父をこのままひとり病院に残して

帰宅することに不安を感じていると、
深夜1時を回っていたのにも関わらず、突然

前回のドクターが病室にみえました。

既にカルテをチェックしてくださっていた様で、
相変わらずのクリアな病状説明に、心底安心しました。

更に、

お盆明けには、父の担当医になってくださるし

「それまでの間もカルテには目を通しますので」

と言って下さってホッとしました。

父は、前回の退院から、ようやく体重が戻ったと

喜んだのもつかの間、再び禁飲食の日々に。

そして、お盆休みも明けて、無事担当医も変わり、

症状も落ち着いてきた頃、

父は食べたい時に見せる仕草をするようになりました。

 

寝返りすら自分で打てない、声もほとんど発することが

出来ないのに、食べることも許されないまま長引けば

気力が途切れてゆくことは、毎回経験しています。

私は再び
「食べさせてあげたい」と担当医に切り出しました。

前回の印象とは違い先生は難色を示し、

「お食事は退院されてからにしてはいかがでしょうか?

今回も、耳鼻科の嚥下評価は飲食不可能と出ています。

前回、あなたと看護師との間に解離があったことですし」

 

解離・・・?

 

「解離って、どういうことですか?」

 

「看護師の食べさせ方がいけないとか、そういったことを

言われたと看護師から聞いています」

 

「? 看護師さんは一度も食べさせていないですよ?

私も要求していませんし。

逆に私が食べさせていたら皆さんで見にいらしていました。

その際に、談笑しましたし、好意的に見に来ていたのだとばかり

思っていました。」

 

私は最初、全く意味がわからずにいましたが、徐々に

私と看護師さんたちとの間で全く違う事を感じ、

食事介助に関わらされてしまうのではないかと心配されて

いる事を理解しました。

 

この病院に限らず、看護師が食事介助をしない病棟で、

毎日食べさせにくる家族には、冷ややかな対応になってゆく事は

珍しくありません。

 

前回は、理解してくれていたはずのドクターにも

立場というものがある事も感じました。

 

医師の指示で病院が食事を出してしまうと、

「食べられる」という事を認めることになってしまうし

ドクターは指示をするだけで、実際の現場は

看護師さんたちが担っているのだから・・

 

前回、色々と波紋があったのでしょう。

 

それでも、父の気力が途絶えて行っている事や

これ以上点滴のみで病院にいても、若い方の体力とは違い

父が元気になってゆく見込みはないと確信していました。

私は、これまでも、そうだったように。

孤独へ向かう選択をし、医師に伝えました。

 

「寝たきりの父の気力は今、口から摂る食事と

家族の気配だけで保たれています。

入院を続けながら、これ以上何も飲食しないまま

時間が過ぎたなら

父の気力を維持することは難しいと感じています。

 

私は、父自身が望まず、あるいは体が受付けなくなったら

無理には食べさせません。

 

でも、父が口を開けて食べ物を探す仕草をして

食べたいと望む以上は私は口から食べさせ続けます。

 

それは、すべてが私の責任のもとで行い

父になにかあったとしても、誰にも責任を問うつもりは

ありません。

病院にも、先生にも看護師さんにも、例えば

食べさせに来てくれた父の担当介護士にも

一切の責任を問いません。」

 

もしもドクターに「では退院してください」

と言われたら、そうするしかないとも思っていました。

 

誰一人、賛成してくれなくても

「何故そこまでしないといけないのか」と言われても

私には、父が食べたいと望んでいる間は、口から食べさせるという

事以外、逆にできないのです。

ドクターは

 

「そういうことでしたら、前回と同じように持ち込み食を

ご家族が食べさせてください。

病院からは食事も出せないと思います。」

 

話の内容とは別に

 

ドクターの声は、前回の入院の時と同様に暖かったです。

表情からも、彼の立場を感じました。

 

「ありがとうございます。

先生は、家族には許可をしていないと報告をしてくださって

構いません。

もちろん、ご迷惑をかけないように細心の注意を払います。」

 

私は、父の病室までの長い廊下を歩きながら

看護師さんたちの冷ややかな空気も感じ、

前回の皆さんの笑顔との大きなギャップにまだ整理がつかず、

とても孤独を感じていました。

 

そして、この突き刺さるようような孤独は、初めてではないと

ここ数年の病院や施設とのやりとりを思い出しました。

どこの病院も、施設も私の行為は迷惑なのです。

 

それでも、私は父の口に食事を運ぶことを選択しました。

自宅に毎日のように通って来てくれている介護士さんの中に

私がとても信頼している人がいます。

 

いつも、私を気遣い、私が仕事で彼女に任せる時には

自らメールをくださり

「お父さんね、今日は沢山食べてくれましたよ〜返信不要です」

と一言様子を教えてくれるのです。

 

今回入院した際に

「何かお手伝いできることがあれば言ってください」と

言ってくれたことを思い出し、彼女に連絡しました。

(病院に出入りするとなると、自費扱いになるので、

ケアマネは手が離れます)

 

彼女は、

「お父さんが食べる楽しみに協力させていただきます」

と引き受けてくれてました。

 

病院に難色を示されている中で、介護士が食べさせに来るのは

本来、大変なことなのです。

 

実際に、実家にはいくつもの介護の事業所が入っていて、

父が在宅中は毎日沢山の介護士が出入りしています。

 

彼女よりも、もっと古くからのお付き合いして来たところも

ありますが、

「リスクがあるから行かれません」とあっさり断られました。

むしろこちらが当たり前。

 

「何かあって訴えられたら困るので」

とまで言われました。

 

父の嚥下状態はほとんど変わりないですが、

病院にいるということで、みんな一斉に距離をおきます。

 

医学的には不可能というレベルの寝たきりの父親に

口から食事を取らせる娘が、父親が入院しても病院の勧める

胃瘻を断り、摩擦を起こしても、経口で食事を取らせようとする。

困った娘。

 

冷ややかな空気の中で、父に食事を与える。

 

私はこれまでも、この孤独を繰り返して来ました。

 

でも私自身がこの孤独を選択しているのです。

 

そんな事を痛感した時、入院後初となる父の食事を

食べさせに行くと、予想外に病院食が出されていました。

そこには

「当院スタッフ介助なし ご家族の食事介助」

のメッセージが・・・

出せないと言われた、病院食が出ていたことにも感激しましたが

このメッセージをつけないと出せなかったのだと、

すぐにわかりました。

 

逆にこのようにして、食事を出すように指示してくださった

ドクターに、とてもハートが暖かくなりました。

 

するとその時、このお食事を準備してくださった栄養士の方が

病室にいらして

 

「よかったらお父様のお好みを聞かせてください。

出来るだけお好きなものを食べて頂きたいので。

何かこうして欲しいなどありましたら言ってくださいね。

お時間もお見えになるお時間がわかれば

温冷庫に預かって、出来る限り温かいもの冷たいものを

食べていただけるようにしますね」

 

とわざわざ伝えに来てくださいました。

 

どんなに孤独へ向かう選択をしても、いつも気がつくと

必ずこうして天使のような方々が、現れては助けてくれます。

 

まるで神様が

「一人じゃないよ」と囁いてくれているかのように。

 

父の食事についているメニュー書きは今では

私を助けてくれると名乗りを上げてくれた

唯一の介護士と、病院の栄養士の方、そして私の三人の

大切なコミュケーションツールとなっています。

そして食事再開後初めての夜、介護士さんが父に食べさせていると、

ドクターが部屋にいらしたそうです。

 

そして介護士さんに

「病院が出来ない分、よろしくおねがいいたします」

と深々と頭を下げてご挨拶をされたそうです。

 

「いい先生ですね」と介護士さんからメッセージが来ました。

 

介護士さんも必ず病院に行くと父の様子をメッセージして

くれます。

 

「食欲ありますよ〜」

「嚥下しっかりしてますよね〜」

「最善を尽くしましょうね」など・・。

 

自分で選び譲らなかった孤独の先には、

沢山の愛がありました。

 

毎回、父に病室で食べさせていると同じ事を感じます。

ご家族が全く来ていない方があまりに多く

私の声が看護師なのか区別がつかない他の患者さんが

 

「食べられません、、食べさせてください。。」

「僕もリンゴが食べたい」

「すみません、来てください。」

とカーテン越しに私を呼びます。

 

私はいつも、ちょっと手を貸すくらいなら。。

という思いに葛藤します。

 

家族ではない私が他の方を手伝って何か合った場合に

責任が取れないのだから、当然何も出来ないのです。

 

つまり看護師さんたちが父にだけ食べさせたり出来ないのは

そういったこともあるのです。

 

食事介助が必要な方は沢山いて、父にだけするわけにはいかないし

胃瘻や点滴だけで我慢している方々が沢山いるのですから。

 

同時に、今、私と交代しながら毎日父に食事を食べさせに

来てくださっている介護士さんにも深い感謝をしています。

 

私も両親も彼女へのご恩を一生忘れる事はないです。

父は明日、93歳の誕生日を迎えます。

食事を再開してから、目を開けたり笑ったり、

声も発するようになりました。

 

本当に、みなさまへ感謝でいっぱいです。

ありがとうございます。

 

今、介護している方も、されてる方も、どうか幸せで

ありますように。

 

        LoveラブラブSatya