ハツラツルージュ | LOGLOG

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Yesterday and today I was happy. I may cry tomorrow. But I can surely laugh again, the day after tomorrow. That's good. Such a thing day by day.


1週間前の日よう日、いろいろ買うものがあったのと用事で、お昼からバスで外出。バス停でバッグと紙袋をガサゴソしてたら、同じくバス待ちのおばあちゃんに話しかけられた。グレーヘアで、ほほはほんのり血色がいい、小柄なおばあちゃん。私がバッグにつけてたパスケースが気になったらしい。「それいいねニコ」「これですか?これ伸びるんです〜ウインク」「ね、うん、キーホルダーかと思ったら(裏返って)ICカードが見えたからびっくり」「うん、いいな〜と思ってね。乗り降りする時ね、いいよねラブ」そこでバスが来たのでなんとなく前後の席に別れて座って、買ったお店を教え、おばあちゃんだし、覚えられないかもしれない…と心配になってメモを書いてお渡しした。おばあちゃん世代はまず行かないようなお店で、これからこのバスが行く付近(ちょっと売り場がごちゃついてて分かりにくい)と、別路線の付近(パスケース売り場が一ヶ所に固まってて見やすい)にもお店があったから、両方。でもようよう話を聞いていたら、そんな必要なかったかもしれないくらいシャキシャキしたおばあちゃんだった。話の流れで「そのどちらのお店の近くにもダイソーじゃない100円ショップがありますよー、セリアっていうんですけど」と、ついでにお教えしたら、「今はダイソーじゃない100円ショップがあるの!?」と驚かれたんだけど、私はおばあちゃんがダイソーを知っていることに驚いた。べつに驚くようなことじゃないかもしれないし、老人を見くびってると思われるかもしれないけど、私のおばあちゃんは知らないから。100均は知ってるけど、ダイソーの名前は知らないし、今は認知症になって症状が悪化して、家族じゃ看きれず、施設に入所している。認知症になる前からこちらの話は分かってるのか分かってないのか曖昧な相槌ばかりだった。

バスに乗っているあいだじゅう、ほかにもたくさんお話したけど、こんなに、打てば響くようなおばあちゃんは初めてで、逆に私が知らないおばあちゃんたちの世界の話を教えてもらって、すごく楽しく、勉強になる30分間だった。あっという間だった。いつも移動の30分って長いのに。私のほうが先に降りたけど、降りてからバスがまた発車するまで、おばあちゃんは窓から手を振ってくれていた。私も最後まで手を振り返した。

これからおばあちゃんは温泉に行くと言っていた。今日は行かないつもりだったのに、お友達から「おいでよー」と電話があったそうだ。そこから出かける気になるのがすごい。私なら、もうお昼だし…って、今日はいいやと遠慮しちゃう。だって、たんなる買い物でもなく、温泉ですよ。それもそこそこ有名な温泉地ですよ。なかなか遠いですよ。たぶん。お昼から出かけたんじゃ着くのは何時になるんだ…。だけど、そこで出かける気になれるバイタリティーがあるからあんなにシャキシャキしてるんだな、と思った。だって、一番驚いたのは、私のおばあちゃんと同世代くらいだった。かたや84歳で最近の話も分かる頭と、新しいものに物怖じするどころか知りたがる満開の好奇心と、私もほんのり疲れる距離をものともせず歩く体力、脚力、何事もめんどうくさがらず動くバイタリティー、物事を良いほうにしかとらない前向きさ。かたや同世代くらいの私のおばあちゃん…。脚力は未だそこそこあるけれど…。だからこそ家族で看るのが大変だったんだけれど…。いや、私のおばあちゃんを、責めてるつもりはない。病気であって、仕方ない。友達のおばあちゃん、おじいちゃんだって認知症になっている。でなくとも、出かけたりする気力や体力がないとか、少ないとか。脚がおぼつかないとか。どれかひとつには当てはまる老人のほうが多い。バス停のおばあちゃんみたいに、あんなに、頭も、体も、気も元気な老人のほうが、私が見たなかでは少ない。やっぱりというか、温泉仲間のあいだや入院した病室では、「話してみたら最高齢だった」という話を、笑いながらしてくれた。いたずらっ子みたいに目をキラキラさせて、うししと笑いながら、そんな口元を手でちょっと隠しつつ「私のほうが年下だと思って話してたらね、上なのよね〜」「どこ行っても上」「この歳になるとね、また逆に分からなくなるのよ、ひとの年齢が」と。

つやつやのお顔に明るいももいろの口紅をきれいにひいて。もしかしたら、上気していると思っていた血色のいいほほにも、頬紅をのせていたのかもしれない。どちらにせよ、健康で元気な証だ。化粧に義務を感じながら仕方なしにやっている私とは違うメイクアップを、おばあちゃんの化粧から感じた。

そういえば、一緒に過ごす時間は短かったからよく覚えてはいないけど、ひいおばあちゃんがこのバス停のおばあちゃんに似ていたらしい(過ごし方や元気さが)と、この話を母にして発覚した。ひいおばあちゃんはバス停のおばあちゃん同様、認知症にもならず、90何歳の最期まで自分のことは自分でできたひとだった。
私も長寿になるならそうなりたい。がんばろう。いや、がんばるんじゃなく、楽しもう。まずは化粧を。

あすはごきげんに紅をひく。