おしゃれや綺麗なものが大好きなあなたへ

 

昨日の7月14日といえば、フランス革命フランスでしたね!

国旗の色はさまざまな意味を象徴しています。

フランス国旗の色が自由・平等・博愛を表している

のは有名ですね。

今日はフランス革命の流れと

国旗の色についてみていきたいと思います。

 

ちなみに

フランス革命といえば、私はやっぱり

「ベルサイユのばら」です。

 

 

 

 

 

私が小学生の時ベルばらが大好きな子が

友達で、その影響で私も大ファンに…。

 

今思えば、そのおかげで歴史が好きになった

きっかけの漫画だと思っています…。

 

それではフランス革命、、見ていきましょう爆  笑

 

1.フランス革命の流れ

フランス革命とは1789年7月14日から1799年11月9日

にかけてフランスに起きた革命をいいます。

(約10年続いたんですね…)

 

wikipediaでは

フランス革命とは、フランスにおいて領地所有の上に立つ

貴族と高級聖職者が権力を独占していた状況が破壊され、

ブルジョワジーと呼ばれる商工業、金融業の上に立つ者が

権力を握った変化をいう、とあります。

 

フランス革命は貴族と上層市民を対等の地位にしました。

 

フランス革命以前は

国王がフランスの5分の1の領土を持つ最大領主でした。

 

その国王のまわりで権力を組織していた

宮廷貴族は国王に次ぐ大領主であり、

減免税特権の最大の受益者でした。びっくり

 

しかし、ある段階で国家財政が破綻し、

もはや支払うべき財政資金がなくなったとき

権力を握っていた宮廷貴族は

自分の減免税特権を温存し、

ブルジョアジー以下の国民各層に対して

負担をかぶせようとしたんです。ガーン

 

そこで商工業者,金融業者が、

国民の様々な階層を反乱に駆り立てて、ムキー

領主の組織する権力を打ち破ることになります。

 

1789年7月14日のバスチーユ占領

その始まりで

この時点では上層銀行家と株式仲買人を

中核とする金融業者の一団が、

雑多な群衆を反乱に向けて組織しました。

 

さらにパリ駐屯のフランス衛兵が反乱を起こし、

国王軍と群衆の衝突の中で、国王軍を敗北させます。

この軍の反乱には下士官を構成する

下級貴族の役割が大きかったのです!

(漫画ではオスカルが衛兵隊長でしたね…照れ

 

 

 

この革命によって宮廷貴族の減免税特権は

廃止され家柄万能の時代は終わり、

フランスの近代化が始まった…とあります。

 

2.フランス革命の概要

①不平等な封建制度

革命以前の旧体制を「アンシャン・レジーム」の象徴、

階級制度は聖職者・貴族・平民がピラミッド式となっており、

特権身分(聖職者と貴族)と平民の割合はなんと

2対98。

特権身分の人間は税免除をされていたので、

平民たちは特権身分者たちの贅沢な暮らしのために、

働き続けなければいけなかったのです。

*2%の人のために98%の人が

食べるものも食べられないというのは

本当にひどい話ですね…ガーン

 

さらに、当時フランスは慢性的な

財政難に陥っていました。

そしてその補填は増税によってなされていたので、

平民の負担はさらに増え、聖職者や貴族に対する

不満は膨らんでいったのです。

(ベルばらでは

王妃マリーアントワネットを赤字婦人!ムキー

と民衆は言って怒ってましたね…)

②厳しい経済状況

当時のフランスはルイ15世時代から

続いていた負債に加え、

軍事費に莫大なお金がかかっていました。

というのも、フランスにとっても

最大の敵国・イギリスイギリスが、

アメリカ独立戦争アメリカを始めたため、

フランスはアメリカに

巨額の軍事支援を行っていた他、

欧州内での戦争も続いていたのです。

*· 自由の女神は、

アメリカの独立100周年etを記念して

1876年にフランスからアメリカに

寄贈されたものです…ニコニコ

 

このような軍事費への投資が、

厳しい財政状況を作り出していました。

 

それに加え、当時フランスは

歴史的な小麦の不作に見舞われ、

パンの価格が高騰。

市民の怒りは最高潮に達してしまうのです。

(マリーアントワネットは

「パンが食べられなければ

ケーキを食べればよいのに…」

といった、という話があり…

このずれっぷり…そりゃもう大炎上ですムキー

③啓蒙思想の活発化

この頃、ルソー、モンテスキューをはじめ、

多くの啓蒙思想家がこのような

旧体制のフランスに疑問を持ち始め、

新しい民主的な近代国家体制の考え方を

提案していきます。

 

このような提案は

新しい希望を示すというだけでなく、

現在いかに不遇な扱いをうけているかムキー

ということを

市民たちに知らしめる結果となりました。

そんな思想家たちの声が原動力となり、

市民を革命へと駆り立てていったのです。

 

④国家体制を再建したナポレオン・ボナパルト

フランス領コルシカ島出身の軍人ナポレオン・ボナパルト。

ちょうど彼が砲兵士官として任官した頃、

フランス革命は勃発します。

 

ナポレオンはその類い稀な

戦術力によって瞬く間に昇進し、

革命勃発から7年後の1795年、

パリで起こった暴動(ヴァンデミエールの反乱)を

大胆な砲術で鎮圧したことから、

国内軍司令官の地位を手に入れました。

 

そんな彼の率いるフランス軍には、

その後革命の流れによって次々と志願兵が入隊し、

欧州制覇への道を歩み始めます。

そして、1798年ナポレオン軍が

エジプト遠征に成功した後、

彼は側近者とともに

パリでクーデーターを起こし、

フランスフランス新領政府を樹立。

この出来事が、

実質的にフランス革命が終焉を迎えた瞬間と

されています。ニコニコ

 

 

*池田理代子先生の「エロイカ」では、

とてもわかりやすくナポレオンについて書かれてありますニコニコ

 

そして1804年、ナポレオンはフランス皇帝ナポレオン1世となり、

フランスに新しく軍事独裁政権を樹立するのです。

(作曲家のベートーベンはナポレオンの考え方に共感し、

そんなナポレオンを讃える曲を作りました。

この曲を完成させた後、ナポレオンが皇帝に即位したため、

それに激怒したベートーベンは

「奴も俗物に過ぎなかった」ムキー

述べてナポレオンに対する賞賛が書かれた表紙を

破り捨てたと言われています。)

 

皇帝になったことで

彼は欧州制覇を目指す一方、

民衆の自由と平等を実現するため、

現在のフランス民法の土台ともなる

「ナポレオン法典」を公布するなど、

今まで民衆を苦しめてきた封建制度に

代わる新しい社会体制づくりをしていきます。

しかしロシア遠征失敗によって

ナポレオン1世の時代は終焉しました。

 

4.フランスの国旗の色の意味

フランス国旗フランスというと

青と白と赤で、

一般的には、

自由・平等・友愛(博愛)という

フランスの国家としての標語と対応づけて

解釈されることが多くあります。

 

しかし、実際には、

フランス三色旗が生まれた

フランス革命の時代には、

こうした色と標語の対応関係は

存在しておらず、むしろ、

こうした国旗の色と国家の標語との対応づけは、

フランス国旗の色とフランスの国家としての標語が

それぞれ別々に選ばれてから、

両者を効率よく覚えるために、

後になって便宜的に対応づけられるようになって

いったと考えられます。

それではどのようにしてこの三色旗になったのか

流れを見ていきましょう!

 

フランス三色旗は、

フランス革命の指導者の一人であり、

フランス人権宣言を起草したことでも知られる

ラファイエットLa Fayette)、

または、革命政府において初代パリ市長に選ばれた

ジャン・シルヴァン・バイイJean Sylvain Bailly)に

よって発案されたと考えられています。

 

1789に始まるフランス革命は、

714、国王政府側の圧政に反発した

パリの市民たちによって、

バスティーユ牢獄が襲撃されることによって

その戦端が開かれることになるのですが、

こうしたフランス革命の原動力となった

パリ市民軍の民兵たちが身につけていた

花形帽章cockadeコケイド)と呼ばれる帽子に

つけられた記章が

青と赤の二色の組み合わせであったことから、

フランス革命の象徴となるフランス三色旗にも、

青と赤の二色が入れられることになります

 

そしてその後、権力を握った

ジャコバン派は、三色旗を掲げました。

 

それは

パリ市の紋章の色、青と赤の二色に

上述したラファイエットが言うところの

古代フランスの色」とされる

が加えられることによって、

フランス三色旗における青・白・赤という

三つの色が揃うことになったということです。

 

なお

フランス市の紋章を象徴する「青と赤」に対して、

「白」が古代フランスを象徴する色

とされることになったのか?

ということについてですが、

 

それは、一つには、フルール・ド・リス

呼ばれる白百合の紋章

フランス王室の紋章として

古くから用いられてきたことが

理由として挙げられることになります。

 

*ユリをモチーフにしたフルール・ド・リスは

以前ブログに書かせてもらいました。

 

つまり、フランス三色旗は、

フランス革命を象徴する「青と赤」

古代フランスを象徴する「白」

が一つに合わさることによって、

フランス革命によって生まれた

新しい力の内に、

フランスの伝統的な古い力が組み入れられる

という

国家全体の融和の象徴として

生まれたと考えられるそうです。

ちなみに

3つの色はそれぞれ

矢車草(青)、

マーガレット(白)、

ヒゲナシの花(赤)で表現されます。

 

5.フランス革命の三色旗のが社会主義の赤に

そもそも

赤の旗は本来はフランス王国において

戒厳令が発動されていることを示す旗した。

 

1791年、フランス革命において革命派の内部で

急進派をラファイエットが軍隊を率いて

弾圧したシャン・ド・マルスの虐殺事件を契機に、

これに対する抗議として戒厳令旗である赤旗を

革命旗に採用したそうです。

 

1848年の二月革命では、

バリケードに最初は赤旗と三色旗が

並んで掲げられますが、

ルイ・フィリップ王政にたいする

批判が高まるにつれ、

三色旗は少なくなり、

 

多くの死者がでた6月蜂起では

赤旗が高々と掲げられました。

マルクスは「6月反乱者の血に

ひたされてはじめて、

三色旗はヨーロッパ革命の旗―

すなわち赤旗となった!」

と書きました。

 

1871年、樹立された史上初の

労働者階級の政府パリ・コミューンは、

赤旗を標識にしました。

マルクスは「旧世界は、パリ市庁の屋上に

ひるがえる労働共和国の象徴、

赤旗をみて、怒りの発作に身をふるわせた」

と書きました。

 

こうしたフランスフランスでの経過をへて

赤旗は、世界の労働者、

人民の戦いの

シンボルになっていったのです。

 

この後も赤旗は、革命を象徴する旗とされ、

フランス革命の階級闘争の

側面を引き継ぐことを自称する

社会主義や共産主義団体、

特に社会主義国家が団体旗や

国旗に採用されました。

 

また、労働組合においても、

資本家と労働者の階級闘争のシンボルとして

赤旗が採用されます。

さらに国際主義から肌の色を問わない

全人類の血を象徴するともされます。

 

いかがでしたか??

国旗や旗に使われる色には

さまざまな意味が象徴されていますね。

 

現在、様々な国で

色々なことが起きています。

改めてフランス革命の意味を

思いかえしてもよいですね。

 

 

明日も素敵な1日をすごしてください虹

 

 

ありがとう、ありがとう、ありがとう!