ずっと考えていることがあるので、

今日はそれを書きたいと思います。

 

最近、瞑想をしているといつも出てくる考えなのです。

 

まず、どうしていつも瞑想をするようになったのかからお話ししたいと思います。

 

それは、自分が自分じゃない感じがだんだん強くなってきたからです。

 

自分がまるでロボットのように感じるようになってきたから。

 

わりと精密でよくできたロボットです。

 

これまでずっと生きてきてつくってきた基本ルーティンのパターンみたいなものが数百種あり、

その数百種を繰り返しているロボット。

 

思考すらもひょっとしたら、熟考のすえのものではなく、わだちのように何度も通ってパターン化したものを使用している。

 

思い出せない漢字やわからないことは、すぐにスマホを取り出してググって調べる。

 

「ああ、そうか」と思い出し、そしてまた忘れる。

 

気温の変化も雨が降りそうかどうかも、スマホを取り出して確認する。

 

今日のニュースに対する人々の意見も、自分がまず考えるのではなくすぐにコメント欄を読み始め、評価の高いコメントに納得したりする。

 

「わたし」はどこへ?

 

そんな危機感を感じるようになった。

 

それで、ときおり瞑想をするようになった。

 

ジェレミー・ハンター教授が書いた『ドラッカー・スクールのセルフマネジメント教室』という本があって、

その中にマインドフルネスとマインドレスネスについて書かれている。

 

マインドレスネス。人が無意識に働く状態。いつの間にかスマホに勝手に伸びていく手がそうです。

 

怖いなあと思いました。

 

マインドフル。いま、ここに、自分がいる、と意識する。

 

私はいまこの行為をしているな、私はいまこう考えているな、と意識する。

 

それには瞑想がいいといいます。

 

瞑想についてはいろいろな本が出ています。

 

私の手元にある『スタンフォードの自分を変える教室』には、

 

①動かずにじっと座ります。

②呼吸に意識を集中します。

③呼吸をしているときの感覚をつかみ、気が散り始めたら意識します。

 

というように手順が書かれています。

 

じっと座るのです。動かずに。

たとえどこかがかゆくなって手や足を動かしたくなっても我慢します。

 

私は最初なかなかこれに慣れることができませんでした。

 

まるで新米の修道女のように、

「動かないでじっとしているなんてムリムリ!」となっておりました。

 

それでもいつの間にか10分、30分とできるようになっていきました。

 

そして瞑想をすることが心地よくなってきた頃、ふと思い浮かんだことがあるのです。

 

本当は瞑想中に何か考えが浮かんでも、それを追いかけず呼吸に意識を戻すのですが、この考えは高速に展開していったので思わず巻き込まれてしまいました。

 

それでもとてもよい考えに思えたので、忘れないようにここに書いておこうと思います。

 

それは「ヤ・マト理論」ともいうべきものです。

 

「ヤ」は矢印、矢ですね。

 

「マト」は的です。

 

人はついつい「矢印」になってしまうのではないかと思うのです。

 

自分から何か、誰か、に対して矢印のエネルギーを向け、

 

ああ、なりたいなあ→

あの人から連絡来ないなあ→

あの会社に入りたいなあ→

 

みたいに。

 

自分の外へ向けて矢印のエネルギーを放っているような感じがします。

 

でもでも、

 

チャクラの学びなどを通じて感じることですが。

 

私たちの中心に第3チャクラの黄色のエネルギーがあるように、

 

まわりにはオーラがあり、肉体をもっていますが、もっとど真ん中はみぞおちの第3チャクラに存在する「中心点」なんじゃないかと思います。

 

あまりに「矢印エネルギー」を外に向けて放っていると、

この「中心点」、真ん中の点に居るはずの「自分」が「不在」になってしまうのではないかと思うんです。

 

ちょっと席を外して矢印のほうに数歩歩いていたり、あるいはちょっと腰を浮かせて後ろを振り返っていたり。

 

ちゃんと中心点に在席していないお留守状態になっているんじゃないかと思うんです。

 

それを、ちゃんとど真ん中に「居る」。

 

これが瞑想時のイメージとしてよく出てきます。

 

その、真ん中に居る自分の(ずれないでちゃんと中心の点に意識が在る)エネルギーが黄色く水紋のように周囲に広がっていく。

 

真上からみたらこんな感じ。

 

 

この真ん中の点が現住所で、ちゃんとエネルギーが在宅していると黄色いインフルエンスを周りに波動として広げていくことができるような感じがあります。

 

まさしく、この点に自分がいると、

もう矢印を外に放つことはない。

 

むしろ自分が的(マト)そのものです。

 

だから自分という的に、外から矢が来ます。

矢のほうからやってくるのです。

 

そして明らかに自分をもっていると、ちゃんと矢も真ん中に「ビンゴー」という感じにきます。

 

つまり、ズバリなものがどんどんやってくるということです。

これ、最高です。

 

でもついつい気が付けば矢を放つ自分になっています。

ついつい気が付けば中心点からずれまくっております。

 

中心点にいるときは、

とても安心して、

心穏やかで、

非常に平安な感じになっております。

 

ずれると不安や心配が出てきて、

もっと外に答えを見出したくなり、

スマホに手を伸ばして答えを探してしまいます。

 

その前に、

自分の中心軸に戻れば平安に戻れます。

 

今日は「志喜彩会」の瞑想の日でしたので、

生徒さんたちとこんな会話で盛り上がりました。

 

備忘録的に、書いておきたいと思います💗

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

happyday✨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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