本当に妄想だから気にしないでほしいんですけれど、
私は前から思っているんですけれど、
函館がまるごと大学になるのはどうかなって思っているんですよ。
キャンパスとしての大学、敷地としての大学、ではなくて概念としての大学。
大学というよりもむしろムラに近いのかもしれないけれど。
いま、世界情勢やグローバル社会の構造の変化とか、食料や環境の問題などがさまざまに影響しあって複雑な不安を感じる日々ですけれど、直接的には解決しないけれど今の次の次の世代くらいには、「すてきなムラ社会」みたいなのができていたらいいなあと妄想します。
そこではね、たとえばトマトづくりが上手な無口なAさんがいたとして、そのAさんのトマトが最高においしいことをムラのみんな知ってるんです。
特徴的な濃い味で最高においしいんです。
そしてそのトマトを使った料理をものすごくおいしくつくるめちゃくちゃ人見知りなBさんがいたとして、その料理をムラのみんなはすごく大好きでしょっちゅう食べるんです。
この場合、AさんやBさんのつくったトマトや料理はとても饒舌にその魅力を表現できており、彼らがおしゃべりなタイプではないことが問題にならなくなるんです。
そのうち、あの山の上のおばあさんにもトマト届けたいよねってなってじゃあ俺は車の運転が得意だから届けるわってCさんがいって、その車の故障を直すのはDさんが得意だったりして。
その山の上のおばあさんは人の良いところを見つけるのが上手で、若い人に「あんたはこういう仕事がいいんじゃない」ってキャリアデザインのアドバイスみたいなことして、子どもたちは安心できる広いところで思いっきり鬼ごっことかして遊べるからその中で自分のポジションや資質を見出すことができて。
ここはムラなんだけれど、さまざまな産業が適切規模であって、みんな得意なものを作っていて、できることをシェアリングしていて、医療や清掃や土木や交通の仕事をみんなが自分の仕事として分け合ってる。
みんなで鬼ごっこしたりして思いっきり遊んでみんなで見出した、あの人足早いよねとか、図にするの得意だよねとか、それからおじいさんおばあさんたちがふだんいっつもほめてくれる「あんたはこれが上手だね」と、ムラの仕事がつながっていく。
その人っぽい仕事をみんなが納得して「あー、ぴったりだねー」とかいいあう。遊びから、生活から、愛から、創出するマッチング。
小さい仕事から大きい仕事までいろいろあって、「これ、あの人うまいよねえ」という評価をみんなで共有していて、ほめられた人はとても嬉しそう。
まるで縄文時代やインディアンの生活を彷彿とさせるような大いなる自然への感謝と畏敬の念が日々の生活習慣に染み渡っていて、とても豊かに幸せにゆっくりと時が過ぎる。
しかし縄文時代と今と異なるところは、今はとてつもない量の知の集積がある。
このムラには莫大な知の集積を誰もが閲覧できるそれはそれはとても大きな図書館がある。
まるでかつてのアレクサンドリア図書館のように夢のように広がる知の無限の可能性を味わうことができ、とびきりの知的刺激をデイリーに受けることができる。それでね、とっぴょうしもないことを思いついたりする人がしょっちゅういて、みんな瞳をキラキラさせて胸をドキドキさせながらそのアイディアを話し合ったりするんです。
そう、ここは天才のムラなの。
ていうか、人はみんな天才だと知っているムラ。
このムラには、図書館だけでなく、美術館があり、音楽ホールがあり、スポーツ大会ができる設備がある。
そもそもこのムラ全体が大学という概念なのだ。
(たとえば函館であれば、海洋生物や海洋における発電など)ここだからこそできる研究が思う存分できる。
その研究が唯一無二の吸引力になってて、その研究で地球への貢献と自分の毎日がつながるの。その吸引力は、世界から志を持った人が来訪することになるの。
そのほかにもさまざまなジャンルの研究生が存在する。
何か研究テーマをもった人が世界中からこのムラに移住してくる。
その移住者はこのムラで仕事も持つんです。あ、そういえば僕は自転車が好きで早起きだから、朝みんなのところにトマト配る役やろうか、と。
あるいはすでにここに住んでいる人が、人生の中に学生としての自分の時間をもって生きる。はたらくと学ぶが混ざっている感じ。あと遊ぶとか愛し合うとかも。
彼らはとてもよく愛し合うのです。
たとえば朝トマトを配っている海外から来た青年が、みんなの名前知っていて「あ、〇〇さんおはよう。腰なおった?」「△△さん、おはよう。毛筆を教えてほしいんだけど、今週遊びに行ってもいい?」とかの会話が生まれたりして。
会話が愛だ、生きるが愛だって、みんな普通に知っているの。
そもそも、全体としてのムラ=大学というものが、「生きる」ということや「自分の住んでいるまち」というものと、概念として融合していく。
トマトの研究をとことんやりたいAさんはそれをやることを喜ばれ、トマト料理の研究をとことんやりたいBさんはそれをやることを感謝されるように、一人一人の喜びが機能してはたらく喜びにつながっていく。
長文になりすぎたのでまた今度にしますが、最近こういうことを考えているととても楽しいです。
これを小説にするところから始めてみようと思っております。