こんにちは、、


戦争で命を落とした人々の数は、何十万人、何百万人とも言われています。  

けれど、その一人ひとりには、家族があり、夢があり、日常がありました。  

その命が奪われただけでなく、悲しむことすら許されなかった時代があったことを、

私は忘れたくありません。




「国のため」「陛下のため」——その言葉は、誇りとして語られる一方で、  

多くの人の心を押し潰す同調圧力でもありました。  

声をあげたくても、あげられなかった。  


直接死ぬことはなかったとしても、

母親、娘、姉、妹、婚約者——

彼女たちの心は、静かに死んでいったように思います。  

それは、命ではなく「心の自害」だったのではないでしょうか。




私が「感覚の麻痺」と感じた話が、三つあります。


ひとつ目は、家系に男がいなければ出兵できないというの中で、  

戦死者が出ない家は「非国民」とされてしまう空気があったこと。  


ある家では、親戚から戦死者が出たとき、周囲に自慢して回っていたそうです。  

それは誇りではなく、孤立を避けるための防衛だったのかもしれません。

親戚が死んでしまったことを誇りに思えてしまうような社会だったんですよね、、




ふたつ目は、被爆した父親の足をノコギリで切断された子供さんの話。  

翌朝には亡くなってしまったにもかかわらず、この子は、悲しむよりも

「明日からどう生きるか」を考えていたといいます。  

悲しみすら贅沢だった——

そんな極限の現実が、そこにはありました。




みっつ目は、戦地で命を落とせなかったことを「恥」とし、自ら命を絶った兵士の方の話です。  

どんな思いが彼の心を追い詰めたのでしょう。  

それは忠誠心などではなく、社会の価値観に押し潰された魂の叫びだったのかもしれません。




そして、もうひとつ───

決して、忘れてはならないのが、

母の悲しみです。  

十月十日、大切にお腹を守り、ようやく

産み、育ててきた我が子。  

これからという少年、青年の命を失った母にとって、その悲しみと悔しさは、誰にも理解できないほど深いものであったはずです。  

戦死通達を受け取った母は、

周囲から「立派なご子息でした」と万歳される。  

その小さな背中を、誰が支えてあげられたのでしょうか。


かける言葉は、、思い浮かびません。  

言葉をかけられるわけがないのです。  

だからこそ、今は、ただ静かに、

その背中に手を添えるような気持ちで

世界中の母の悲しみが消えることを祈ります。




🕊戦後80年が経ちましたが、世界では今も紛争が絶えません。  

人が人を自分のように大切に思い、互いに「自分も、目の前の人も、同じ地球に住む仲間なんだ」と思えたなら、戦いには決してならないはずです。




自分の子どもには「喧嘩をしてはいけない、仲良くしよう」と教えます。  

きっと、世界中の親たちもそう教えてきたのではないでしょうか。  

そう教えられて育ってきたのではないでしょうか。



この地球から「戦争」という言葉が、いつか消えてなくなることを——  

心から祈っています🕊


最後まで読んでくださって

ありがとうございました。