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「卑弥呼の墓」との説がある箸墓古墳(奈良県桜井市)の築造時期について

国立歴史民族博物館の研究グループが240‐260年とする調査結果をまとめたとのマスコミ報道が5月29日にあった。
 同グループの春成・同博物館名誉教授は「これで箸墓古墳が卑弥呼の墓であることは間違いなくなった」と得意げに話していたが、私はどうかと思う。
 
 箸墓については、日本書紀に詳しい記載があり、この墓は倭迹迹日百襲媛命のものであることは疑いなく、卑弥呼のものだとは日本のみならず中国の文献にも書かれていないし、物証もない。
倭迹迹日百襲媛命(Wikipedia)

 日本書紀・崇神天皇に項に百襲媛命が「すなわち箸に陰(ほと)をつき、かむさりましぬ。すなわち大市(桜井市内)に葬りまつる。時の人、その墓を名づけて、箸墓という」という記載があり、これを覆す根拠は何もないのである。
  
 中国の文献では卑弥呼は247年ごろ死んだとされているので、春成教授は卑弥呼の墓としたいのであろうが、そもそも卑弥呼については、古事記にも日本書紀に記述がなく、また国内にその伝説、言い伝えの類が全く無いばかりか、昔からの正式の神社も存在しない。
 
 魏志倭人伝には日本人は蛮人のように書かれている。曰く、「男子は皆露かいし、木綿を以て頭に招け、その衣は横幅、ただ結束して相連ね、ほぼ縫うことなし。 婦人は被髪屈かいし、衣を作ること単被の如く、その中央を穿ち、頭を貫きてこれを衣る」とあるが、筑紫でも寒い冬があるのに、頭からすっぽり被る衣服で事足りるとは思えないし、また「皆徒跣なり。 屋室有り。父母兄弟の臥息処を異にす。朱丹を以てその身体に塗る。」とあるが、裸足で狩や農作業は出来ないであろう。 たかだか四十数年で滅びてしまった魏の国の歴史書を信じて疑わない学者先生方には、もう一度「記紀」を真面目に読むことをお勧めしたい。

 なお我々の古代史研究会では、高木書房「神武天皇と卑弥呼の関係」の中の159ページに卑弥呼等の活躍時期を次のような表にして纏めている。
http://www.geocities.jp/jp6gfa/kodaisi/hyou2.jpg
表2はクリックすると鮮明になります。

以上(宮内)