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ネプちゃんの便利隊

コロンビアネットのブログです。

先日、或るネットで数名の会員の有意義な議論がありましたので掲載いたします。

(N氏)
もう三十年近く前になりますが、チリ海軍の大佐とエスメラルダの船上で話をした時のこと。南米国の将校なのに珍しく英語が苦手な人だったので、スペイン語で話しました。

アジェンデから米国の話となり、太平洋戦争の話題となったが、話しているとどうもかみ合いません。

「私が話しているのはWWⅡの日米の戦いのことだ」と話して、 やっと話が通じました。

思えばチリの人たち、特に軍人にとっての太平洋戦争とは
別名硝石戦争、対ボリビアとペルーの戦いのこと。

日本は米国と太平洋で戦ったが、大東亜解放の最前線の一つにすぎない。太平洋戦争の呼称は、大陸に展開していた部隊を無意識でも軽視することに繋がります。

それが大陸で布団爆弾を抱いた陸の特攻隊は忘れ去られ、空の特攻隊だけが特攻のような扱いを受ける戦後です。数だと陸の方がずっと多い。

大陸で散った英霊のためにも正しい歴史認識のためにも、大東亜戦争の呼称を普及させたいものです。防衛省の軍事史学会さえもが太平洋戦争で出版しているのは情けないです。

(M氏)
 大東亜戦争か太平洋戦争かと言うことについては、学問的にも種々論争があります。曰く、「支那事変を含め大東亜戦争と称する」という日本政府の決定からすれば、12年からの支那事変も含まれるので、大東亜戦争というのはおかしいと言う説。この説は、予算、論功行賞からみれば法的に正しいとのこと。
 と言うようなこともあり、太平洋戦争と言う人は、その根拠をしっかり示さなければならないでしょう。

 日本の戦争目的は、「自存自衛」、そして大東亜の国々を欧米列強から解放するためのものでした。
 昭和16年12月8日、大日本帝国が国際法に則り、宣戦布告したのが大東亜戦争であり、太平洋戦争はその一部分である日米間の戦争です。

(I氏)
 ご説ご尤もです。寧ろ大東亜解放戦争と謂うべきものですね。
白人世界の植民地支配という侵略に対する開放であったと思います。
シナも朝鮮併合も同様の恩恵を受けていると思います。
昨日出された総理謝罪談話は間違っていますね!

>  大東亜戦争か太平洋戦争かと言うことについては、学問的にも種々論争があ
> ります。曰く、「支那事変を含め大東亜戦争と称する」という日本政府の決定か
> らすれば、12年からの支那事変も含まれるので、大東亜戦争というのはおかし
> いと言う説。この説は、予算、論功行賞からみれば法的に正しいとのこと。

Mさんの文書の意味から「12年からの支那事変も含まれるので、大東亜戦争というのはおかしいと言う説。」の文中の「大東亜戦争」は「太平洋戦争」のミスプリントではないでしょうか?

(M氏)
Iさんの質問に関してお答えします。
 シナ事変は昭和12年から始まっており、昭和16年12月8日までに使われた軍事予算は、シナ事変のために支出され、この間の論功行賞もシナ事変として行われているので、これらを昭和16年12月に始まった大東亜戦争に組み入れるのはおかしいという説もあるということです。
 分かり易くいえば、例えば昭和12年にシナで戦死した人の墓には、シナ事変で戦死と刻みこまれており、昭和16年になって、大東亜戦争で戦死して書き換えるのはおかしいという人もいるということです。
 以上ですが、私の説明不足をお詫び致します。この部分は次のように書くべきでした。
『大東亜戦争か太平洋戦争かと言うことについては、それぞれについて学問的にも種々論争があります。例えば大東亜戦争の定義にしても「支那事変を含め大東亜戦争と称する」という当時の日本政府の閣議決定からすれば、12年からの支那事変も含まれるので、これまで大東亜戦争に組み入れるのは、おかしいと言う説を唱える人もいます。この説は、予算、論功行賞からみれば法的に正しいとも言えます。』

(I氏)
Mさん、よく理解できました。

> 次のように書くべきでした。
> 『大東亜戦争か太平洋戦争かと言うことについては、それぞれについて学問的
> にも種々論争があります。例えば大東亜戦争の定義にしても「支那事変を含め大
> 東亜戦争と称する」という当時の日本政府の閣議決定からすれば、12年からの
> 支那事変も含まれるので、これまで大東亜戦争に組み入れるのは、おかしいと言
> う説を唱える人もいます。この説は、予算、論功行賞からみれば法的に正しいと
> も言えます。』

もともと、支那事変は戦争ではないとする見解だと思っております。
田母神さんが講演会で例に出している「在日米軍基地に日本の革命分子がゲリラ活動で攻めるのと同じ状態が支那事変である。」と
当時、条約に基づいて駐留していた日本軍&家族に対して通州事件のような虐殺事件が起これば日本軍としても制圧行動を取らざるを得ない状況であったと思います。
従って、支那との戦いは戦争以前の同盟違反の事変というしかありません。

福岡郷友連盟では毎年、福岡市内にある陸軍墓地の慰霊を定例の行事として実施しています。
添付の組写真はその陸軍墓地の「大東亜戦争戦没者之碑」と「支那事変戦病歿者之墓」は別々になっております。
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+印をクリックすると拡大した写真が見れます。
(まだ議論が続きましたが以下割愛いたします。)