ネプちゃんの便利隊 -16ページ目

ネプちゃんの便利隊

コロンビアネットのブログです。

(1)からの続き
 
寝不足ですが、6時半に起き、船長の中村さんからの電話を待ちました。外は小雨が降っています。7時に電話が入りました。
「大丈夫みたいだからいこうか」との船長さんからの一言、決行です。
皆にそれを伝えると、
「はいっ!」と一斉に明るく元気な返事が返ってきました。皆さん心待ちにしていたのです。
 
 8時に「民宿つわせ」を出発し港に着くと、早朝から参加組の3人と合流し総勢29人が高速船アクア号に乗り組みました。というのも紅一点の草野さんは、女人禁制の島へは渡航できません。波止場から一所懸命に手を振っておられました。私個人的には、女性と一緒に行き、禊をしたいという思いは満々なのですが、古来からの掟を破るわけにはいきません。
 8時15分に出航し、時速55kmで一路沖ノ島に向かいました。船酔いが心配という人が船酔いの薬を飲み乗船しましたが、比較的海は穏やかで、快適に航行しました。

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高速船アクア号
直線距離で49kmです。船の後方部分では歌会が催されていました。長谷川会長が一首詠むと生野眞好さん、奥山篤信氏、冬至氏、吉田氏、橋本氏、稲葉氏など一所懸命に歌を詠んでおりました。下を向いて一心に書いていたので、船酔いしなければよいのにと心配していましたが、なかなかの傑作を詠んでおられていたようです。これを見てもこの仲間の民度の高さがうかがい知れるでしょう。
約一時間で神の島である沖ノ島が見えてきました。全員船酔いも無く元気に外に飛び出し、沖ノ島のお姿をカメラと心の中に収めていました。
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             (写真の+印をクリックすると拡大します。)
上陸後、桟橋で全員が整列して、神職のお話を神妙に聞きます。もう期待で胸がいっぱいの顔をしています。神職の坂本さんが、「禊はすべて脱いで一分ほど首まで浸かってください」といわれると、すかさず私が「いっぱい汚れている人は3分浸からねばならない」というと、ドッと湧きました。
もう皆さんは子供のような純粋な心になっています。そして少しでも早く奥に進みたくて仕方が無いのです。
海は冷たいから心臓麻痺起こしたらどうしようと心配していた奥山氏もこれくらいの温度ならちょうど良いわとその脂ぎった顔をほころばせていました。
すると突然「プォープォー」というほら貝の音が響き渡りました。京都大学の鎌田東二教授が素っ裸で持参したほら貝を吹かれていたのでした。振りチンでほら貝を吹く様にみなさんから笑い声がおきましたが、それは嘲笑の笑いではなく、よくぞここでほら貝を吹いてくださったという感謝の気持ちでいっぱいの笑い声でした。
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                  禊の場所(小屋の前の海岸)
準備のできた人から鳥居をくぐり、神域に入っていきました。急な勾配の階段が続き、息がすぐ切れ始めますが、長谷川会長と話しながら上へ上へと向かいました。第一の坂を上りきり海を見ると海上保安庁の船が私たちを見守るように停泊していました。
いや、われわれを不審者と思ったのか?いやそんなはずが無い、こんなお行儀の良いそして品の良い不審者はいないでしょうから。
途中で最年長の圓藤会長がへばっていました。その横に最年少組の渡辺圭介くんがぴったりと寄り添い、ちょうど孫がおじいちゃんをいたわるようなまなざしで付き添ってくれていました。この神の島では、みんながいたわり、相手の事を思いやり、感謝しあう島だったのです。
私も圓藤会長を「後ここを登れば、くだりになる」とか、「ほら沖津宮が見えてきた」などと励ましながら、どうやら着きました。前回はきつくてきつくて仕方が無かったのですが、今回は寝不足にもかかわらず、簡単に登る事ができました。
そしていよいよ今回のクライマックスの沖津宮の正式参拝です。
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                     沖津宮拝殿 
神職が厳かに神事を執り行いました。それを見守る人々も神妙な面持ちです。お宮は狭いので、65歳以上の方々にお上りいただき、後は周りをぐるりっと囲みました。
団長の長谷川会長が玉串のきびきびとした所作で行われ、一緒に二礼ニ拍手一礼をした時には、皆さんの心が一つになったように思えました。皆さんの手によって打ち出された拍手の音があたりに響き渡り、田心姫様にしかと届いたように思えます。
吉田城世上席師範の奉納詩吟が行われ、明治天皇陛下の御製と船で詠まれた生野先生の歌が高らかに吟じられました。その後には、鎌田教授の横笛の奉納演奏もあり、笛の音が心に染み渡るようでした。
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沖津宮
その後、あまり時間が無いのですが前回行きそびれた巨石祭祀場跡を見て回りました。殆ど人が来ないため、木々が生い茂りかろうじて細い道があるだけです。しかし、途中には巨木が横たわりこれ以上の進入を拒否するかのようでした。直径1mほどの大木を乗り越え、古代の日本人の先人たちが国家存亡の折に国家の浮沈を占った神聖な場所にたたずみ、その声を聞こうとしましたが、今回はその声は聞こえてきません。
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巨岩(岩上、岩陰には祭祀跡がある。)
ただ、あるのは「懐かしい」という感覚だけです。またここに戻ってこられたという「懐かしい」感情は、私をここに導いてくださった田心姫様から、「よくみんなを連れて来てくれたね」とお褒めの言葉を頂いているようでした。その場に立っている事が何の違和感も無く、当たり前の感覚でした。そこに自分は受け入れられているだけでなく、その一員として属しているような感覚です。気温は暑くも無く、寒くも無く、息をしているかどうかも分からず、空腹かどうかも気にならないような体を超えた魂だけの存在になったように感じられたのです。
今ここに立っていることは、前回来たときに決まっていたのだと思えてきました。思えば、前回上陸後すぐにまた行きたいと思い始め、そのために長谷川会長の予定を秘書の菅井さんに聞き、この10月の24,25日の日程を決めたのは、8月の事でした。そして大社の許可をいただけるように活動しながら、参加者を募っていったのです。
一人また一人と参加したいという方が集まり、それを聞きつけてぜひ私も参加したいという方々がでてきました。日曜日・月曜日という不利な日程の中、遠くは東京の奥山さんや京都からの蒲田教授をはじめとするこれほどの人が集まっていただいた事は感謝の極みです。
これら一人ひとりが日本が大好きで、日本の原点が身近に残るこの宗像大社沖津宮へ来たいという方ばかりだったのです。その一体感たるやこれほどの喜びはありません。
日本文化は、むすびと調和によって形成されてきました。それは相手を受け入れるという気持ちから出てくるものだと思います。その結集できるところが日本最大のパワースポット沖ノ島ではないでしょうか。つまり、私たちの魂から出るパワーが一つになり同一方向に向かうエネルギーになるということなのです。私たちが受けるエネルギーではなく、私たちの内に秘めたるエネルギーが具現化し火山のように湧き出してくるように思えました。
前回の上陸では、すごい気に包まれていると感じたのですが、今回は参加者一人ひとりからのエネルギーが一体化してすごい気になっていると感じたのです。
高速艇の最後尾に座りいつまでも沖ノ島を見ながら帰路に着きました。長谷川会長の興奮はさめやらず、島に向かって手を合わせその興奮を楽しんでおられるように見受けられました。
曇り空にもかかわらず、沖ノ島はいつまでもそのお姿をお見せになっておりました。そしてその島から発せられる気と船の皆さんとの気がいつまでも繋がっているように思えました。これが、「紐帯(ちゅうたい)」というのだと感じた瞬間でした。
私たちは、神様と繋がっている、神様の一部であると実感できたのです。しかし、普段は世俗の垢にまみれ、その絆が見えなくなっているのです。
この神様からの細い糸は誰にでも繋がっているのですが、殆どの現代人が見えなくなっているのではないでしょうか。しかし、この太古からのタイムカプセルのような沖ノ島はその片鱗をわれわれに見せておられるような気がしました。だから、価値の分かる人は一度行ってみたいのだと思う島で、行くとその価値が実感できる島なのです。
またこの島に戻りたいと思っています。たぶん今回参加された方々の殆どがまた行きたいと思われているに違いありません。それほどこの島は生命力にあふれ、魂の源に近い島だからです。
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                   沖ノ島上陸の皆さん
高速船が神湊へ到着すると同時に雨が本格的に降り出しました。玄海ロイヤルで昼食を取って解散したのですが、翌日は風雨が強く、JR九州の水中翼船は欠航しました。そして気温もぐっと下がってとても海での禊など考えられない天気になりました。
 やはりここで奇跡が起こっていたのです。
   
                                  完