前回TGVでレンヌ駅でモン・サン・ミッシェル行きのバスに乗換えたところからの続きです。

 

 モン・サン・ミッシェルに行く~PART1~は→  こちら

 

 読んでくださる方のために一言だけ<長いです>

 

 満員の乗客約60人を乗せたバスはレンヌの街を通り抜けて一路モン・サン・ミッシェル目指して走り出した。

 昨年パリ郊外の町で暴動事件が起きた中にレンヌ市も含まれていた。

 昨夏、バスでほんのひととき街中を通過しただけでは、そんな苦悩を抱えた町であるとは想像も出来なかった。人影のまばらな街だなとは少し感じたが。

 

   

 広くてきれいなレンヌ駅前広場、なぜか人影はまばら 

 

 レンヌ市内を抜けてもしばらくは道路の両サイドに家屋が途切れることはなかった。

 それからさらに走ることおよそ10分程度で、辺りは一面に広がるトウモロコシ畑となった。

 牧草を刈り込み干草を丸めたところもあったが、ほとんどはトウモロコシ畑。

 フランスという国家が、ボルドーやブルゴーニュといった地域に代表されるワインと、トゥルーズ地方をメインとする軍事大国といった面だけではなく、豊かな農業大国であることを充分体感出来るくらい、どこまでも続く丘陵地帯全部が畑だった。

 小さな町を3つほど過ぎ、かれこれ1時間近く走り終えた頃、わりと大きな交差点にさしかかったとき、バスが速度を落とした。

 交差点は少し渋滞気味だった。

 レンヌを出てから初めてといっていい渋滞だった。

 どうやら目指すモン・サン・ミッシェルにかなり近づいたようだ。

 渋滞の交差点を過ぎてまもなくバスは大きな駐車場の前で停車した。

 乗客の何人かがバスを降りた。

 モン・サン・ミッシェル行きの直行バスだと思っていたので、途中で留まるとは意外だった。

 だがすぐに理由は判明した。

 今バスが停車した地点から、もうモン・サン・ミッシェルが見えていた。

 モン・サン・ミッシェル内に宿泊しない人たちはこの辺りのホテルに泊まるのだ。

 

  

 レンヌ駅からモンサンミッシェルへの直行バス

 

 

 草原の向こうにモン・サン・ミッシェルが

 

 そこから湿原のように見える草原の中を進むバスの車窓から、モン・サン・ミッシェル全体が見えてくる。

 幸い引き潮の時間だったため、バスはモン・サン・ミッシェルのある「島」の入口のすぐ近くに停車した。

 バスを降りるとそこはもう人で溢れかえっていた。

 どう行けばいいのか、などと迷う心配すら無意味なほど道は一本。

 時間はまだ3時にもなっていなかったが、とにかくまずは今夜宿泊するホテルを探そうと一本道を先へと進む。

 

 しばらく行くと城壁に囲まれた門がある。

 昔はここで外部と行き来を完全に遮断していたのだろう。

 アーチ型の門を過ぎると車が1台かろうじて通れるほどの狭い路の両側にはとてもここが聖地とは思えないくらい、土産物、カフェ、レストランなどがびっしりと並んで店を開けている。

 関西在住の私は清荒神か京都清水寺へと続く産寧坂を思い出した。

 道幅はそれらよりもっと狭い、立止まるためには路幅が少し広くなっている場所を探さねばならないほどだった。

 

      

  京都の産寧坂というよりはドイツのリューデスハイムに近いかも

 

 

 少し進んだ先に左に折れる小路があった。

 小路は急な階段を上がって奥に進まなければならなかった。

 10mも進むと目指すホテルの看板があった。

 中に入るとブロンドの女性が笑顔で迎えてくれた。

 予約してある旨を伝え、チェックインしたいと申し出るが、まだホテル内のレストランが混雑している関係だろう、1時間後に来てくれと言う。

 重い荷物だけを預かってもらい先ほどの本道に戻って時間をつぶすことにした。

 時間をつぶすと書くと退屈なように感じられるかもしれないが、これだけにぎやかで人が多く、店がたくさんあれば、1時間などあっという間だった。

 先ほどのホテルに戻るとフロントには同じ女性がいて、宿泊場所はこことは別な場所だという。

 フランスでパリに到着して以来ホテルの部屋ではそこそこひどい目に遭っていたので、内心は「ここじゃないのかよ!」という気持ちもかなりあったのだが、冷静に場所の説明を聞いた。

 小路をさらに奥へ上へと上がると大きな緑の扉があり、その扉の中がコテージタイプのホテルになっているとのことだった。

 そして入口はナンバーロック式でその暗証番号は「1 2 3 4 ж ж」だと説明してくれた。

 正確には彼女はこう言ったのだ「ワン ツー スリー フォー アスターリスクチョンチョン OK!」

 こんなわかりやすい暗証番号で大丈夫なのかという気持ちもあったが、忘れないという点では文句なしだ。

 「ワン ツー スリー フォー アスターリスクチョンチョン」とリピートして部屋の鍵を受け取り部屋に向った。

 階段は急だが、上に登ると先ほどバスで通ってきた道路や広大な草原が見渡せる素晴らしい眺めだった。

 

  

  これがホテルに入るための扉

 

 目指す扉はすぐに見つかった、見つかったというよりも他にそれらしき扉は見当たらなかったからだ。

 説明にあったナンバーロック式の鍵盤も扉の横にあった。

 これだな、「1 2 3 4 ж ж」完璧に押した。だが扉が開かない。

 何度もやってみる、「1 2 3 4 ж ж」ダメだ。開かない。

 10回はチャレンジしただろうか、ふと後方を振り返ると一組の中年カップルがこちらの方を伺っている。

 なんなんだ彼らは、ナンバーロックを盗み見しようとしたって見せてやらないぞ。

 そんな心配をしながら、暗証番号を押すところを彼らから隠すようにして押してみる。

 やっぱり開かない。

 もういいや!、もう一度フロントまで戻って聞いてこよう。そう思って扉の前から離れようとしたとき、さっきのカップルが近づいてきて言った。

 「教えてあげるよ、こう押すんだ1 2 3 4 # ж」

 カチッ、扉のロックが解除された。

 「なんだ、アスターリスク2回じゃなくてシャープ・アスターリスクじゃんか!」

 ほんの些細な違いだけど、暗証番号が違うというのは些細なことではないのだから開かないわけだ。

 ちゃんと説明してくれよフロント係さん。

 

 中は4階建てになっていて、壁や階段には、これまでモン・サン・ミッシェルを訪れたであろう有名人たちの記念写真やサインが所狭しと飾ってあった。

 

  

  顔は知っていても名前のわからない有名人ばかり

 

 荷物を部屋に置いてすぐにモン・サン・ミッシェル最上部に行くことにした。 

 夕食はチェックインのときにホテルが経営する海の見えるレストランを予約しておいた。

 レストランは予約客には眺めのいい席をちゃんとキープしておいてくれるからだ。

 

 人込みは相変らずだが、観光客の半分はフランス人、そして4割がドイツ人とアメリカ人、残り1割がアジア系だ。(アジア系といっても日本人と韓国人、中国人だけだが)

 そのため人数のわりには人の流れはゆったりとしていた。

 石段も登りばかりだが、ずっと階段が続くのではないので、それほど苦しくはなかった。

 

 最上部にいるとき、潮が満ちてきて、それまで駐車場だった部分が潮に埋もれてなくなっていくため、至急車を移動するようにというアナウンスとサイレンが鳴っていた。

 

 

 干潮のときは干潟が巨大な駐車場(硬い粘土)

 

 

 

 満潮になると右にある道路以外は水没する

 

  

 ☆最上部の僧院はいろんな方が書いておられますので、省略させていただきます。

 

               

                朝日に輝くモン・サン・ミッシェル

 

               

              最上部にはアルハンブラ宮殿を連想させる中庭も

   

               

                聖ミカエル像

 翌朝、前日と同様のバスに乗って帰るわけだが、前日は満員のため乗車出来なかった人たちがいたことを考慮し、バスの発車時刻よりも30分前に、昨日バスを降りた場所に向った。

 昨日バスを降りた場所はまだ潮が満ちていて車が入って来れないようなので、潮の干満に関係のない道 路上まで荷物を持って移動した。

 そこまで移動したとき日本語が聞こえてきた。

 昨日のTGVやバスの中でも日本語は聞かなかったので随分久しぶりな気がした。

 というよりも、そんな早い時間にそんな場所まで重い荷物を持って移動して来るのは日本人しかしない行動パターンだっただけなのだと後で気がついた。

 やがて、見覚えのあるバスがやってきた。

 昨日のドライバーとは違うが、同じバスだ。

 バスは一段高くなっている道路上で待つ私達日本人の一団のほうには来ないで、手前にある側道を降りて、さっき私が出てきた島の入口まで走って行った。

 そう、さっきまで水位が高くて通れなかった下の道が、わずかな間に潮が引いて通れるようになっていたのだ。

 結局、昨日バスを降りた場所にそのままいればよかったのだ。

 私を含む日本人一行はあわててバスまで走った、必死で走った。

 走りながら、どこに行っても日本人は同じ行動するんだなあと、つくづく思った。

 でもそのため息は、それなりに満足したものでもあった。

 バスは発車時刻を過ぎる頃になったが、半分も座席は埋まっていなかった。

 考えてみればそうだ、朝から帰りのバスに乗るなんて、日本人以外には考えられない行動なのだと思った。

 そして昨日留まった場所から乗ってきたのもやっぱり日本人。

 

 レンヌ駅に到着して最初に考えたことといえば、今から乗車するTGVの先頭車両はいったいどっちだということ。

 パリのモン・パルナス駅では進行方向に向って最後尾が1号車だったのだから、帰りは1号車が先頭だというのが当然のことながら常識なのだが、久々のパリで変にヨーロッパ的な思考が頭に入ったばかりの頃だったので再確認したいと思う慎重な気分になっていたのだった。

 幸い1号車が進行方向(パリ)に向って先頭だということはホームの掲示板で確認出来た。

 しかし、自分が乗る22号車がホームのどのあたりに停車するのかはいぜんとしてわからなかった。

 プラットホームが500m近くあると、最後尾だとわかっていても本当にホームの一番端にいていいものかどうか不安になるのだった。

 結局ホームの端から50mくらい中よりの、そして他にTGVを待っている人がいる場所を選んだ。

 極めて日本人的発想だ。

 定刻にTGVがホームに入ってきた。

 先頭が1号車だというのは車両に表示があったのですぐにわかった。

 5号車くらいまでは各車両にそういった表示があった。

 だが、その車両以降表示がなくなった。

 真剣に目の前を過ぎていく車両の数を数える。

 やがて列車は止まった。

 目の前にはちょうど連結機。

 20両目と21両目間の連結部分で先頭車両タイプ同士が連結していたのだ。

 ここより前で乗車してしまっては後方に移動出来ない。

 とにかく目前の車両は21両目だと信じることにした、目指す22両目なら車内から移動出来るはずだと乗車した。

 

 話は少し戻るが、昨日モン・パルナス駅から乗車したときも同じ車両内の端に別な扉があり、そこは8人から12人くらいがゆったり座れそうな個室があった。

 そして向かい合った座席と座席の間にはテーブルも設置されていて、サルーンカーのような特別室の雰囲気だった。

 

 指定座席は22号車の13。

 22号車と思われる車両に移動してきた私の目に入った最初の座席番号は56、そして55、54、だんだん数が減ってくる、もう少しだ30、29・・・21。

 21の座席まで来たらそこで席は無くなっていた、その後ろは扉だった。

 車両を間違えてしまった!

 Oh My GOD!私がプロテスタントならそう叫んでいただろう。

 あわてて今通ってきた通路を引き返す。

 通路や列車の入口には、自由席のチケットしか持っていない乗客が大勢立っている。

 立っている彼らの荷物で狭くなった通路をなんとか移動して手前の車両に戻った。

 やはり座席は21番からしか表記がない。

 仕方なく一旦列車から降りた。

 最後尾の車両はどう見ても運転車両なのだが。

 人間、こういうあせっているときは何を考えるかわからないものだ。

 いきなり私は最後尾の運転車両に向って走り出した。

 たどり着いた時点でやっとどこにも乗車扉のないことがわかって、この考えの間違いに気がついた。

 そこからまた元の車両まで走って戻る。

 TGVは、既に5分は停車している、いつ扉が閉まってもおかしくない時間だ。

 とにかく乗車することにした、乗車してから考えようと。

 もう一度最後尾から2両目の車両の中を移動しながら座席番号13を探す。

 何度も通路を通るから、立っている乗客は露骨に迷惑そうな顔をする。

 そんなとき、席に座っていた男性がチケットを見せてくれという。

 チケットを見せると、隣の最後尾の車両だと教えてくれた。

 礼を言って移動する。

 車両がわかった以上、今度こそ座席を探すぞ、と幾分元気が出てくる。

 しかし、56で始まる座席はやはり21で終わる。

 そしてそこには扉があり、その向こうには又別な扉があって、サルーンカーのような特別室の中は家族連れが8人くらい座っていて、にぎやかに談笑している。

 仕方なくその扉と扉の間に立っている人たちの間に割り込むような形で立つことにした。

 とてもバッグを置くスペースは空いていないため両手で抱えるしかない。

 ああ、この体勢のままの2時間は辛いものがあるとな思った。

   

 そんなとき、さっきチケットを見せてくれといった男性乗客が隣の車両からわざわざ来てくれた。

 「俺について来い」そう言うとサルーンカーの扉を開け、中にいた家族連れに何か言っている。

 かなり強い口調でまくしたてている。

 テーブルを挟んで向かい合って座っていた母親と十代と思われる姉妹が、これ以上愛想の悪い顔は出来ないというくらいの顔をして渋々席を立った。

 「ここが座席13だ」

 男性はそう言い残して自分の車両へと戻って行った。

 わざわざ隣の車両から、席がわからなくて困っているだろうと心配してきてくれたのだった。

 親切な乗客に丁寧にお礼を言って席に座った。

 そして先ほど席を立った家族連れはと見れば、対面座席ではないけれど、ちゃんとベンチシートのような座席に座っていた。

 自分たちの席よりもこっちの席のほうが勝手がいいからこちらに座っていただけなのだ。

 そして彼女らが席を立った後のテーブルには食べ散らかしたゴミとこぼしたジュースがそのまま置いてあった。

 席がわからない人間のために、わざわざ教えることはしなくてもいいけど、自分たちのゴミくらい自分で片付けていけよな、と思いつつも親切な人に出逢えた喜びのほうが勝ったTGV車内での出来事だった。

 

 モン・サン・ミッシェルは映像や画像で見ていたとおりの、あるいはそれ以上に素晴らしいところでした。

 そしてまた他の地域の世界遺産にも旅してみたいという意欲をくれた場所でもありました。

 

 長い記事を最後まで読んでくださった貴方にも「神のご加護を」。

 

 おわり