素晴らしき哉、先生!
朝日放送。
最終回。
ラストは・・・・りお先生のSNSによる投稿
すばらしき哉、先生
それぞれの道を見つけた生徒たち。
玲奈ちゃんから語られたこと
りおちゃん先生うれしかっただろうなぁ~
たぶんあれが先生の醍醐味ですよね笑。
りお先生が何度もにげだしたくなりそうになりながらも・・・かれらとむきあってきたからこその・・・
彼女が彼らの自分の時間をついあしてくれたからこそのかけがえのないかわりのない贈り物ですよね。
「高校の先生になる」
たぶんりお先生が・・・恩師演先生の背中を追いかけてきたように・・・・彼女の生徒と向き合う姿勢を彼女も観ていた・・・
りおちゃん先生が言っていた・・・・
学校は何もしてくれない・・・って
使い捨てのように切る・・・
私的にはそうではなくって
社会が何か???学校や先生に押し付けてしまっていて・・・許容範囲を超えたことまで‥学校や先生の押し付けすぎることがそもそもも課題だとおもうだけれどなぁ。
りおちゃん先生が言っているように・・・
基本や基礎の部分は家庭・・・親との関係にある。
もっといえば・・・コミュニケーションネットワーク
親や子供と交わるあらゆることとの関係がある。
それらをべーすとしたとき
学校や先生はそのベースに関わる・・交わる他のものの一つであると考えられた場合の教育部分に影響をあたえるのだけれども・・・学校だけが教育・道徳・教養を与えている部分ではない。
初めに親と子が関係を育む過程でそれらは学習していく。
と考えた時・・・
子どもは親の背中を観て・・・親を観て学習している。
なので学校や先生が関われる部分というのは…実際は限られていて・・・・メインはやっぱり親や家族や親族やらになる。
それを私たちは勘違いして・・・学校のことは学校・・・
学校で起こったことは先生・・・
そんな感じで片づけてしまっている。
けれども学校でのことは…そんな感じで片づけることできない。
だって彼らの人生はいろんな交わりによってつくられているのだから。
翔平くんの場合は・・・・
彼が同級生に助けられた。
もしかしたら・・・親が彼の行動の変化にきづけたかもしれないけれども‥親も親なりの問題を抱えていて・・・・自分だけのことで一杯になっていた。
思うだよね。
私は教育とかにかかわっていないし、親にもなっていないけれども・・・・子育てや教育や道徳というようなことって・・・社会にはとても大切なことなのに・・・どこか???価値を低いかのように現在の社会が評価している。
自分だけに利益や恩恵がって感じで・・・人を育てたり・・・未来に人たちへの希望になるような環境づくり・・・見えるものではなく・・・見えないものに対して・・・そして現在価値がないように評価されていることについて・・・・例えば、家事やら子育てやら・・もしくは介護やらも含めて・・・・
わたしたちって人から学んでいく部分があると私は考えていて・・・。理論や学門からも学ぶ部分はあるけれども・・・ワタシタチ人間は人間から学ぶ部分が基礎ベース的軸にあるとかんがえているのだけれども・・・
このドラマで言えば・・・・自分のことも考えているけれども・・・できる限りに頑張るりお先生のような大人だったり、光源くんを想う父のような大人だったり、
大それた社会的地位がある人たちのような人柄とかはなくって・・・ただ普通に向き合って育ませてくれるような他人が
大事なんじゃないのかなって考えてしまう。
どこか人付き合いも損得で考えてしまうような感じがしてしまって笑・・・・
翔平くんのお母さんが‥先生たちの前で
私たちの教育がまちがっていましたというけれども・・・
それは少しだけ違うと思っていて・・・・
いまのこの瞬間もその教育は続いているのであって・・・
お母さんたち親も試されている部分もあったりするんだよね。
だから彼はお母さんのそんな仕草を観て・・・・
自分を守って…というような言葉をお母さんに投げかけた。
こんなことよりも・・・
ところで・・??
学校てて?
先生って???
私たちが当たり前のようにおもっていることについて
このドラマは改めて考えてみようって提案しているのかもしれない。
それは学校という場と
関わる先生・・・そして親御さんたち・・・
それぞれの物語(悠馬・光源・玲奈・翔平)を通じて・・・
親って???
教育って???
育むって
人を育てるって??
あなたが何を大切にしたいのか??
もしかしたら誰もが問われているのかもしれませんよね。