さてさて・・・・

季節ない街を観た後で・・・

 

気になっていた映画

「流浪の月」

 

を観ることにした・・・

 

 

のだけれども・・・・

 

この内容が続くとは・・・

それは・・・性的虐待・・ネグレクト・

 

そして・・・この映画で見られる虐待

そして社会的なスティグマと日本社会の一般的な人たちと都は違う認識や価値観がある人への配慮や一度どんなことからでも過ちや失敗した人への再学習・・そこから学び成長する過程をはく奪してしまう環境‥‥その他・・・

 

 

 

さて改めてこの映画を観ていながら・・・・

私の思考はちょっとだけ変わっていたり

お馬鹿さんなので・・・

この名称をあえて外したくなる笑。

 

誰からか与えられた名称の「ロリコン」

 

 

どうもこの映画を観た後で・・・・

彼が文が抱えている身体的な障害についてや

家庭内にある問題などがすごく影響していることが見えてくる。

 

そして主人公である更紗も同様に父が病で他界しその後母に捨てられて・・・母方の叔母に引き取られる。

ここで大事になってくるメッセージが・・・

叔母の息子である孝弘から性的虐待(性的暴力)を受けているという。

 

その前に・・・・

もし更紗のような子が公園で一人で悩んでいるとき

社会は・・・誰が助けてくれるのだろうか???

自分から率先して助けを求めなければ…社会はその子を

助けようとしないのか???

もし率先と助けた人が文のように若い人で会ったら・・・・

社会は文に与えたようなことを与えずに・・・・

彼女を助けてくれるのだろうか???

どこか私たちは罰を受けたくないがために・・・

もしくは誤解されたくないために・・・目の前に困っている人たちを助けることを難しくしている要因があるように見えてしまう。

 

さてここで書きたいのは・・・・

 

私から見たら・・・・文と更紗は互いに助け合って

成長を施した同士だったように見えて仕方がない。

 

私の小さな知識の浅い私の中でも通称ロリコンという人たちが犯罪的な行為って考えると???

*何もロリコンが悪いというわけではなく・・・・

このような行為をするとだめだよという対象に該当するかであって・・・その人の趣味や好みだけで決めつけることは・・・それこそ冤罪だと私は考えしまう。

 

物語なので・・・ストーリー的に見ていると・・・

公園で一人雨に濡れている少女がいたので・・・

少女が自宅に帰りたくないということで自宅に誘った。

そして居たければいてもいい、戻りたければ戻ればいいと

彼女に選択を与えて‥彼らは時間を共にして

その間に彼女はそんな文の向き合い方に心地よさを感じて

彼だけに秘密・・・いままで語ることがを難しくしていた

ことを語った。(叔母の息子からわいせつなこういをされていること、性的暴力)

 

このあたりを見ていると

たわいのない街のかつ子を連想してしまう笑。

 

おおよそ立場の弱い人へ暴力(身体も精神も)がなされる。

もしくは立場を利用してそれが行われていたりする。

 

 

私はちょっとかわっているのかもしれないのだけれも・・・

文が起こした???ことと

亮(更紗の元彼氏)が起こしたこと???を

二つを比べた時・・・・・

どうしても亮(更紗の元彼氏)のほうが・・・・・と考えてしまう部分が・・・・・

どうしても文がとった行為は・・・

少女を守ったというか?助けたって感じで見てしまう笑。

だだ・・・社会的に考えたら・・・・

速やかに警察や専門的機関に相談しなかったことが・・・

このストーリーでかれが誤解されてしまう要因にもなったのかな?と考えてしまう。

 

逆に訴えがなければ・・・・加害者は罰せられることなく・・・普通にすごしていることの・・・・・・

 

ストーリー中に

文が更紗に

更紗のことがテレビでニュースで放映されていた時・・・

出所しようかと相談したとき・・・・自由にすればいいといいそれから二人の会話が続いたシーンで・・・

かれが・・・かたくなにというか??・もし誘拐犯として捕まったときに知られたくないことがある言う。

 

それがロリコンなのかと思っていたのだけれども・・・・

私的にはそうではなくって…たぶん身体的な障がいや

自分のおいたちでの母親から言われてきた「失敗作」ということではないだろうかと私は考えてしまった。

 

彼のたんたんとした仕草や表情は何か??

それらとリンクしていて・・・・

そんな状況下に・・・・

自由気ままな彼女と出会うことになったのだから・・・・

多分文からしても・・・・更紗と同様に救われたのではないだろうか???

 

 

マスコミも好き勝手に・・・・彼らを知らずに追い詰めていく・・・

 

けれども・・・

もし文が逮捕されたとき・・・・

叔母の宅で性的暴力がありそこから逃げるために家出をしていたということが社会で知ったら???

どうなっていたというのだろうか???

 

そして時が流れても・・・・

彼らをしている人たちは・・・・

彼らに成長の機会を与えてはくれず・・・・

どこかで?

「また同じことが」

もしくは・・・

事件のことをラベリングしては

彼らを渡したとと同じようには見てはくれない社会がそこにある事に気づかされる。

 

また個人的にはいつも思うことがあって・・・・

それは‥容疑者などになると

ドラマだけの話なのか分から泣けれども・・・・

お店の前に誹謗中傷的なことをペンキを使って書いてあったり・・・紙などで嫌がらせをしたり…ネットで・・・・

というひとたちについて社会は・・・

その人たちの行為は何も問われない。

どうもその仕組みが何がおかしい感じで鳴らない。・・??

 

それらの行為をしているひとたちだって・・・・

知らず知らずに他者を傷つけるような暴力をしているにもかかわらずに‥‥正義や正当性を語って・・いく。

そしてそれらの人たちは自分の行為に責任をあまり持っていないような気がしてならない。

そう考えると・・・

私もここで好き勝手に書いているように・・・・

自分が書いたことに責任を感じて書いているかと言えば・・・・そんなことも改めて考え直して・・・

責任を持てるように努力しなければいけないと思う。

 

 

 

このストーリーを通じて

・・・

やっぱり考えてしまうのは・・・・

彼らの成長に・・・・・

 

バイト先の店長湯村さんが言うように・・・

彼らを応援してくれる側の人たちも必ずいる。

そちらを見てほしいと願う店長が語ったように・・・・

 

そちら側の人たちが多く広がっていればいいなと考えてしまう。

そしてもし考えるとしたら・・・・

誰にでもその人が幸せになる権利を奪う権利はもっていない。自分のことばかりを優先したくなる現代だけれども・・・すこしでも周りの人たちを尊重しお互いに尊重しあい・・互いに互いが成長を助ける社会がそこにあってほしいとこの映画を観ながら願ってしまう。

 

やっぱり思ってしまう。

罪がそこにあるんじゃなくってやっぱり罪を生み出すのは

人間でその人間がその罪と言われるものになる前のそれとどのように向き合っていくのか??

 

 

最後にひとつだけ

更紗が預かっていた梨花ちゃんは???

お母さんと連絡が取れないのは

旅行でだよね??

どうも???預けたのではなくって・・・と考えたくない自分がいたりする笑。

 

 

 

もしその後のストーリーがあるとしたら

 

文と更紗が誰が理解者と出会って・・・・

文が入れるコーヒーを出す喫茶店を二人で経営していたらいいなぁ。