「SHOGUN 将軍」10話

「夢の中の夢」

 

大阪より藪重たちは藪重の領地に戻る。

 

裏切った藪重・・・

虎永により切腹が言い渡されて・・・・

解釈人として虎永を指名する。

 

 

当日、藪重は・・・虎永に尋ねる・・・・

虎永はこれまでの経緯を話し出した。

 

 

 

按針の船が燃やされたのは・・・ポルトガル宣教師や商人たちで結成されている イエズス会 (カトリックの男子修道会) たちが按針の命を狙っていたが、鞠子は守るために交渉していた。

 

按針の命と引き換えに船を燃やすことで和解していたのだった。

 

自分の死よりもまもりとおしたかった鞠子の最後の願いは

按針が殺害されることなく・・・虎永がいる領土に戻ることができたのだった。

 

9話で鞠子はポルトガル宣教師アルヴィド司祭に赦しをこう。多分その時に鞠子は・・・按針の安全(命)をアルヴィドにお願いする。

 

自分の死よりも好きになった彼の命の安全を考えていたのかもしれない。

 

 

 

 

 一人の女性によってながれがかわったことを。

そしてこれから起こるだろう戦場で・・・・

石堂たちが道理を失うことを。

(鞠子によって落葉の方のこころもようをうつろかせた。(八重千代を戦場に出陣させないと虎永に文を渡した。。)

 

 

 

この文を桐の方から渡されて読み終わった後

かれは歌を歌う。

 

「はなみだれ、ことのはちりてたきびかな」

 

それは鞠子が残した句であった。

 

 

ところどころで・・・

按針の最後(老人となりベットで寝ているシーン)の

回想と現実をリンクさせるかのように映像がつながるシーンがある。

 
このシーズン1を観て・・・・
多くの虎永を助けてくれた人たちが旅立っていった。
そして長門、広松、鞠子、藪重、その他多くの個性的な豊かなキャラクターたちが物語を語った。
もしシーズン2が描かれるとしたら・・・彼らが託したことはどのように変化していくのか??
そしてそれらはどのように物語で語り継がれていくのか???
さらに虎永は・・・戦のない世界をつくるというが・・・
どんな世界を・・・・その前に・・・石堂たちはどのようになるのか??
 
さて個人的には日本文化での死の美徳的な解釈があると思う。それは広松の死しても貫くことの大切を伝える自害、鞠子の忠義の中にある守ろうとする自害(自爆)、そして藪重の潔い自害にもみられると思うのだけれども…・その辺についてもちゃんと理解してみてみたい。
どれもただの死ではなく日本的に解釈したもしかしたら美しい最後の儀式(死してなお美しいこころであるため)