なにかこのドラマは

見ている人たちに・・・

 

「本当にこれでいいの」って感じで

 

問いを与えているような気がしてならない私。

 

ドラマ「不適切にもほどがある」

 

 

 

今回のストーリーで

かんがえてしまうのは・・・

 

「ジャッジ」「ラベリング」

「評価」「きめつけ」

 

 

 

渚っち(このあだ名も昭和館ですよね笑)

 

企業からハラスメントに該当すると言われて・・・懲罰委員会にかけられたる。

 

 

たしか??

小川さんもいっていたかもしれないけれども・・・

 

私たちは社会や企業などでルールを設けるけれども・・・・

 

おおよそ

「こんなかんじのことは改めようよね」

「みなおそうね」って

 

けれどもどこかで・・・ジャッジメントだけの行為で終わってしまっている。

私たちの

この行為って・・・

相手を傷つけるよね

不愉快をあたえるよねっていうことを考えてのことであって・・・

 

ジャッジメントすることではない・・・・はず??

 

お互いによりよい関係を造りましょうねっていうことを

お互いに努力して協力して創ろうとする姿勢(マナー・エチケット)を通じて互いに互いを(成長や維持・持続)育てている(形成/構築)。

 

けれども

その趣旨とは違って・・・

ジャッジしたり、評価したり・・・

さしも「あのひとはこうだ」というように言わんばかりに

すぐに簡単に意味をあたえる・・・

 

どうも

そもそもものかんがえから

遠く離れてまるで真逆に歩んでは遠ざかってしまっている。

 

 

 

さて・・・ハラスメントについても考えるとき・・・
被害者が時には逆転して加害者へ知らない間に変わっていることがある。
この辺りも本当はかんがえてもらいたいことなんだけれも・・・。
 
 
 
前回のストーリーだったか??
 
一回失敗したらそこから修復や再生の機会を奪われるって
それでいいのかっていうような内容だったと思うのだけれども・・・・その内容にもよるのだけれども・・・・
(前回のストーリーも被害者が加害者に変わっていて・・・
その力を利用して奴隷化のようにして拘束して束縛しているにもさも自分はあなたたちのためにって感じを醸しだして・・・私たちは苦労していることを理解しろと言わんばかりの傲慢さ)
 
 
渚っちのようなことで取り上げられたとき・・・
社会は彼女に再度再生や修復する機会を与えてくれるのか??
それとも一度だけで・・・・あの人はもう駄目とラベリングして何かのハコに分別するかのようにしてしまうのか???
 
 
私は個人的にはもったいないっておもってしまう笑。
(パッケージして分別化して・・・優越があるかのようにしていることっていっぱいあるよね。また対立化もあるよね笑)
 
企業や社会には多くのチャンスが与えられてほしいと願ってしまう。
 
会社社会で
業績が良ければなんでもして許されるのか?
そんな企業社会はよくないし、それだと人は成長する機会さえ奪われる。
 
口他者なひとだけは許されて・・・
口下手な人が損をする社会でいいのか?
こんな社会もよくないはず。
 
どちらが一方が強いほうだけが恩恵を与えられる社会でいいのか??
 
社会や企業は
企業は評価主義的な取り組みをしてきたことによって
本来の従業員たちの能力を育てることができたのだろうか??それとも教育分野への活動をおろそかにしてきたことによって・・・いまの現象(状況)が生成されているというのか????
 
家庭はどうなのだろうか???
教育分野はどうなんだろうか???
 
みんなジャッジメントする人になってしまって・・・
本当に人が育つ(育む)社会に豊かな社会になったのだろうか??・
 
渚っちのあのほそっと語った言葉が頭をよぎる。
 
本当に住みやすい過ごしやすい社会って??
会社空間って?
家庭空間って関係って???