私たちはだれもが

あることを願っていたりする??

と私は考えています。

 

 

 

☒そこに存在していい

 

 

病を患ったり、

何か失敗したり・・・・

力がなかったり・・・・・

 

 

 

いろんな理由を与えらえて・・・・・

私たちはそこにいられなくなる・・・・

 

 

こころが傷ついたとき・・・・

だれもが考えてしまうのは・・・・

自分の存在価値だったりする・・・

 

この社会はよわいものには発言の権利が与えられないような

錯覚が生まれていたりする。

 

 

例えば

立場が有利な状況のものは自分の意見を述べられて

立場が不利な状況のものは自分の意見を語る場をあたえらえなかったり・・・・

病人は・・・自分の気持ちを述べられなかったり・・・・

 

 

私たちがそこに存在してもいいんだよって感じるのは

そこにうけいれてくれるひとたちや場があるからだ。

 

 

 

 

 

映画「すばらしき世界」で

主人公三上(役所広司)が語っている。

彼がやくざの世界に足を踏み込んだのは

上記のような場があったからだと語る。

(たしか?ほめてくれる、認めてくれるというようなことを語っていた。)

 

☒認めてくれて評価してくれてそこに存在価値を見出

 

 

 

どんな悩み・きにかかるほんのささいなことであれ・・・・どんなことであれ・・・・

その人にとってはとても重要なことで

大切なことだったりする。

 

アナタが目の前の人に語ってもいいかなぁと思う

自分のこと・・・他人にみせたくないようなことって・・・

その会話ではなしてもいいかなぁ?と感じるのは・・・・

 

このひとだったらわかってくれるだろう・・・というような

そこにも何かしらの希望や要望や望みも

いろんなことが含まれて語れたりするのではないだろうか?

 

もしちょっとでも自分の弱みを語ったら

それが大変なことにつながるとわかるような相手には・・・

だれもが最初から境界線を引きながら警戒しながら

会話に参加しているのではないのだろうか??

 

 

らいふす^~~^と^^~り研究所