よく母と話す。

 

今のテレビは薄いね・・・・

昔(昭和)のテレビは・・・・

 

昔の電話は・・・・

 

 

車を運転していると・・・・

ラジオで・・・・・今の子供たちは・・・・

公衆電話を知らない?回す電話を知らない?・・・・・

 

 

 

一時期ワイドショーで

高年齢者の孤立、孤独について議論していたのを思い出す。

 

高年齢者を対象にして考えを議論していたけれど・・・・

現代の社会は

文明の発展によって・・・・

 

???

個人主体の社会が再構築されていきている・・・・

簡単に言ったら便利になってきている。

 

 

??

そこには孤立化や孤独化、離された?区切られた社会環境が

再構築されてきていて・・・・

いいこともあるけれども

わるいことも

 

いろんな部分で見直されてきているような気がする。

 

 

どんなことにも多面的な要素はあるけれど・・・・・

 

 

 

 

 

ちょっと気になることもある。

 

 

ひとりという孤立と孤独。

 

 

よい部分もあるけれど・・・・

悪い部分???寂しい部分で考えてみると・・・・

コトバのリフレーミングではないけれど・・・・

 

ここではあえて寂しいという言葉を使って

改めて考えてみたいけれど・・・・

 

 

孤独や孤立は素敵な部分もある。

だけれども寂しい部分もある。

 

 

孤立や孤独は自己を尊重することが簡単にできる。

けれども・・・

それについての責任は自分が負担する。

孤立や孤独は自分が考えたことを達成することが簡単にできる

だけれども・・・・

孤立や孤独は、考えたが単位化してしまう。

 

 

 

 

 

少しこのことについて考えてみたい。

 

孤立や孤独が与えてくれる

考えかたが一つの思考にとどまりやすいこと。

 

 

私たちは誰もが・・・

自分の考えが正しいことを証明しようと試みていたりする。

 

 

孤立や孤独がいけないということではないけれど・・・・

孤立や孤独が…招きやすい傾向‥‥特性はあったりする。

 

 

 

現代は簡単に安易に孤独や孤立化しやすい環境が

それが当たり前のように再整備されて作られてあたえられてきている。

 

逆に言ったら

個人に責任が強く求められる時代になってきている。

 

 

知らない間にも、

知らないことはあなたの責任よと言われそうな速度で・・・・

コンビニでの自分だけでの清算方法だったり・・・・

病院でのタブレット操作だったり・・

 

ある年代には便利である年代・・・の中の機械に抵抗があるひとたちを孤立させていたり・・・

 

子供を守るために

地域で挨拶を不要にすることで・・・・

子供を守ることと引き換えのように・・・・・

そこに住む他人との関係を引き離して・・・・・

他人がどんなひとなのかもわからないようにしていたり・・・

高年齢者との境界を高くしてしまったり・・・・

(子供や親が近隣に住む高年齢者やおじさんたちとすれ違ってもわからない状況など)

 

 

これらが・・・家庭外だけで起こっているとは限らない。

孤立化や孤独化は…家庭内でも作ら得ている。

 

昔から家庭環境で子供が孤立孤独化していることに注目されていたけれども・・・・

いまではそれがどの家庭でも当たり前のようになっていて・・・・

 

 

それらについてあの震災や現在の環境によって

改めて見直されてきたとは思うけれども・・・・・

 

 

 

便利になることで

私たちとつながっていくネットワークやコミュニケーションや

関係性は改めて見直されて創られては改めて見直して創られていく

 

その過程で・・・私たちは便利とは別に・・・・

私たちにとってどのような社会や家庭、かかわる社会的な環境が

私たちの日常的な生活を営むのに助けてくれて

心地よい環境下を与えてくれるのかについて常に問われている。

 

 

孤立や孤独の特性を考えて・・・・

わたしやあなたにとって心地よい孤独や孤立の再構成を

考え続けていきたいものです。

そして

他者をかかわるときそれらが活きるような関係がそこに

再構築されていければ・・・・