指輪物語 | コリンのブログ

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日々の出来事や趣味の事 ~たまに愉快な仲間が遊びに来るよ~ 
「膵腺房細胞癌」でこのブログにたどりついた方がいましたら、2014年5月20日以降の「お母さん」というテーマで書いてます。


 

トールキンの指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)をまた読み始めてる。コリンの中で、「指輪物語」と「風の谷のナウシカ」と「デルフィニア戦記」、この3つの作品は生涯にわたり楽しめると思っている。

 

これらの本は、その物語の中に入り込めるので、好きなセリフを時々声に出して読んでしまうことがある。スタバなどで、思わずそれをやってしまうと危険人物に思われてしまうから、要注意。

 

今のコリンには、その時間が大切だと感じる。

1月に母が亡くなり、当初は大きな悲しみの中で過ごしていた。でも、母の変わりゆく姿を間近に見て、それでも生きてそこに居てくれるという実感があったので、現実を受け止めていたと思う。亡くなってからの数ヵ月間も、「死」があまりに近過ぎて母の死を受け止めていたと思う。

 

いつの頃からか、たぶん無意識下で自己防衛が働いたのだと思うけど、母の事を考えなくなった。それよりも、お友達とランチすることを楽しんだ。体を動かして汗をかくことを楽しんだ。英会話教室に通って、カッコいい外人の先生との会話を楽しんだ。実家に帰っても、母の話は別にしない。家で面白いテレビを見てゲラゲラ笑い、悲しいニュースを見て他人事としてそれなりに悲しんだ。

 

そしたら、いつの間にかもう12月になってた。

 

なぜ、そのように変わったのか自己分析してみると、「元気な頃の母が普通にいる」ような気がするからである。いつものように実家に帰れば、母がいて洗濯物を取り込んで午後のお茶を飲んで、たわいない会話をする母がいるような気がするから。

 

でも、実際には死んでしまっていない。その「死んだ」という事を自分の中で認める為に、頭の中で過去が繰り返されるのが辛いのである。

 

あの日の朝、体調が悪いとメールをもらい、実家に駆けつけて、ちょっと落ち着いてきたねってホッとしたのに、急に痛みだして、コリンの目の前でふっと瞳孔が開く瞬間を間のあたりにして、必死に呼吸を繰り返そうとする母の息遣いが再現されるのである。

それらを自分の中で再現したあと、「あぁ、母は死んだんだ。」と改めて自分の中で認めることが今もまだ辛いのである。

 

だから、思い出さないように無理やり思考を変えて過ごす習慣が最近はうまくなったと思う。

 

もうすぐ1年がたつ今、やはりどうしても去年の今頃を振り返ってしまう。でも、それでいいと思う。今まで無意識で抑え込んだ気持ちが出てこようとしてるなら、それはそれでいいと思う。そういう事を繰り返しながら生きていくことがいわゆる「時間薬」というものなのかもしれない。