お母さん | コリンのブログ

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日々の出来事や趣味の事 ~たまに愉快な仲間が遊びに来るよ~ 
「膵腺房細胞癌」でこのブログにたどりついた方がいましたら、2014年5月20日以降の「お母さん」というテーマで書いてます。

コリンのブログを読んで下さる皆様へ

この度は、母へのたくさんのお悔やみのコメント、メッセージ、いいねを頂きまして、ありがとうございました。コメントのお返事ができない事ご容赦下さい。一つ一つのお心遣いの言葉に、涙が止まりません。

母は1月2日に亡くなりましたが、「音楽葬」ということで、葬儀は今週末になりました。娘として最後までしっかりと母を送りだしたいと思っております。

葬儀を前にして、自分のブログを自分の為に使わせて下さい。
闘病で頑張っている方、大切な人を亡くして悲しみの中にいる方は、どうぞ読むのはここまでにしてください。

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ねぇ、お母さん。
どうしても心から離れない事があるんだよ。

暮れから熱が37℃台が続いたけど、調子はとても安定していたじゃない?それで年越しそばも食べたし、元旦に一緒にお節料理も食べたじゃん。家族みんないて、お雑煮も食べたよね。だから、そのまま死んでしまうなんて思わなかった。

元旦の朝に、お母さんの胆嚢の排液を片付けた後に、チューブ内の小さいゴミが動いてないから、いつものようにミルキングして、それでも動かないからしばらくやってた。排液の色も正常だし、「おかしいな?」と思ってズボンを下げたらスムーズに流れだしたの。良かった、なんだチューブが曲がってたんだ。詰まったんじゃなくて良かった、曲がらないようにこれからはこっちも気をつけてみなくちゃって思ったんだ。

元旦の夜から熱が更に上がって痛み出して、看護師さんがきてクラビットを置いて帰った。だから熱が下がれば大丈夫なんだと思ってたんだ。それでもオキノームを何回飲んでも痛かったね。自分じゃ飲めなくて、姉が水で溶かしてスポイトで何とか飲ませようとしたね。

2日の朝10時に、痛みとだるさで苦しんでいる時に「これ飲んだら苦しくなくなる?」って小さい女の子のようにお母さん言ったね。だから「楽になるよ」って姉と一緒に何とか薬を飲ませた。飲めば熱が下がって落ち着いてくれると思ったんだよ。手がすごく冷たくて、ずっとさすりながら、それでもオキノームも効いてくると思ってしまったんだよ。
何て大きな読み違えをしてしまったんだろう。

10時40分頃から、どこを向いても痛みが取れなくて、あの時あまりの痛みで気を失ってしまったのかな。後から見たらお腹の左側が変な形で膨らんでた。あれは腹水じゃなくてお腹の中で何かよじれたのか、破裂したのかな。

それから目の焦点が合わなくなり、呼吸が下顎呼吸に変わった。もうダメだとわかってしまったよ。だからお父さんと姉と弟で母の周りで「大丈夫だよ!大丈夫!お母さん心配ないよ!何も心配ないよ!大丈夫だからね!ゆっくり呼吸してね。ゆっくりでいいんだよ。上手だよ。大丈夫だよ」ってずっと体をさすってました。
看護師さんも先生も電話したけど、くるのが遅くて、家族だけで母を看取りました。きっとエンドルフィンが出たよね?亡くなった後のお母さんの顔が、いつもと変わらない寝ているだけのような顔だから、きっとエンドルフィンが出たと信じていいよね?

ねぇお母さん。
調子良かったのに、こんなに急に逝ってしまったから、もしかしたら私が元旦の朝にチューブを触り過ぎたから何かの引き金になってしまったのかな?それが原因でお母さんの死期を早めてしまったのかな?
ごめんね、お母さん。痛くはしないからって約束してたのに痛い思いをさせてごめんね。苦しくないようにするからって笑って話していたのに、最後はやっぱり苦しかったよね。苦しみをとってあげられなくてごめんねお母さん。その事が、ずっとずっとずっとずっと頭から離れないんだよ。父も姉も弟も、「そんなことない」って言ってくれるけど、どうしても頭から離れないの。

お母さん、娘の懺悔だよ。
もし私のした事がお母さんの命を奪ってしまったのなら、もし私のしたことがお母さんを苦しめ死なせてしまったのなら、許して下さい。この先、私が生きて命を終えるその時に、どうかお母さんと同じ苦しみ、同じ痛みを私に与えて下さい。それで許してね。
そして、その後には前に約束したようにちゃんと迎えにきてよ。1人じゃ嫌だから、お願いだよ。ちゃんと迎えにきてね。