考えるコリン | コリンのブログ

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日々の出来事や趣味の事 ~たまに愉快な仲間が遊びに来るよ~ 
「膵腺房細胞癌」でこのブログにたどりついた方がいましたら、2014年5月20日以降の「お母さん」というテーマで書いてます。

今、コリン自身、感情のコントロールはできていますので、大丈夫です。自分の心を整理するために、文章にしてみようと思います。

 これは、コリンの性格からくるものだと思うのですが、「悲しい」「寂しい」という気持ちは、いつまでたっても消えない気がして正直怖いのです。


 母の為に、そして自分の為に、後悔はしたくない・・・でもどんな状況でも後悔は出てくるもの、ならば少しでも後悔を減らすために今を大切に生きてます。
 母の為に、そして自分の為に、今という時間を大切にして、一瞬一瞬を忘れないように胸に刻み、毎日を大切に生きてます。
 人は必ず死ぬもの、遅かれ早かれ必ず死ぬ、だったら楽しい人生を送ろう、いい人生だったと言って幕が引けるように笑って生きていこうと思っています。

 でもですね、母がいなくなった後のことを考えると悲しくて悲しくて、とてつもなく寂しくて仕方ないのです。実家に帰り、ずっと一緒に過ごしてたくさん笑っても、自分の家に帰ると寂しくてたまらなくて涙が出てくるのです。今、母は生きているのに、そんな寂しさを感じてしまう自分に反省しちゃいます。

 コリンは、思いました。
「悲しい」「寂しい」という気持ちは、この先一生なくなることはないんだと。生きていくには日常が待ってるから、御飯を作り洗濯や掃除や買い物したり、人と話したりして過ぎていくけど、寂しさを無くす術はないのだと。

 すでに、大切なご家族を亡くされた方達はこういう寂しさを内に秘めて生きているんだなぁと。
「寂しい」という感情は、日々を過ごす中で、他の「喜怒哀楽」と一緒にされがちですが、コリンは違うものではないかと思っています。

 う~ん、また混乱してきました。もう少しで、コリンの中の真理を掴めそうなところまで来ているんだけど・・・。もう少し、考えてみます。考えることはコリンの趣味だと思って、これからもこの問題を突き詰めてみようと思います。

 それから、病気になったのは、母です。大切な大切な母だから、母の気持ちになって、母が一番望むことをして、母の為だけにと考えていましたが、それは所詮無理な話ですね。感情というのは、その人本人のものだから、その人の心に勝手に入り込み勝手に想像して、勝手に感情を決めてしまうというのは失礼なことですよね。病気になって受け入れて立ち向かうのは、母本人の役割。コリンは寄り添うだけ。
 コリンは娘としての自分の気持ちを整理するために、いろいろ考えようと思います。自分のことなら、どれだけ考えても想像しても問題ないもんね。人はよく、「時間があるから考えちゃうんだよ」「生きるのに必死ならそんなの考えてる暇はないよ」なんて言いますが、そうです。コリンには今、考える時間があるんです。生きるのに必死だからこそ、考えなければいけない問題なんです。考える暇がない人は、考えなければいいんです。
コリンは、生きるために考えます。どこが矛盾してるのか、どこで躓いてるのか、考えます。

 最後に・・・、どんなに偉そうなこと言っても、どんなに自分が納得しても、寂しいものは寂しい!コリンはお母さんがいなくなったら寂しくてたまらない。それだけは絶対のことです。