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全科目一回転したところで急激にペースが落ちてしまった。

答練開始まで2週間しかない。なんとかもう一回転したい。

単に一問一答ができたーでは網羅性に欠ける。原典も同時に押さえないと。

計算はもう伸ばせる時期ではないので年末の水準に戻すように。


機業…やはり後半が弱い。資本金減少決議の例外など

感作…だいぶ仕上がってきたがポロポロ穴が目立つ

官吏…計算もだが理論が一回転では足りない。

材務…計算のほうが理論より心配。

人生においては勝ち負けに拘ってもキリがない。上には上がいるし、たとえ勝ったとしても落ち込む敵側を見て釈然としない感情に駆られることもある。

そんなときは満足度を人生の物差しにすればよい。満足感が得られれば低収入でも幸せだし、高収入でも働くために生きてるようでは満足感が得られない。

そんな時、オリンピックではどうなのかと思う。勝ち負けを極限まで突き詰めたトップアスリートの世界。

そこにメダル抜きで得られる満足感というものは存在するのだろうか。勝たなければ意味がないと言われる中で、ベストを尽くした自分とどう折り合いをつけているのか。

個人的な話、受験はどうなのか。こればっかりは受からないと意味がないと思う。一度、ベストを尽くした悔いはないとして別の道を選んだが、今またこうして挑戦の途上にある。

競技・受験はやるからには勝たなければ意味がない。

しかし、人生は生きるからには勝たなければ意味がない、とはならない。

その辺の矛盾がイマイチ解決できない。

勝負事や受験に拘わらないで満足感を得られるように生きればよい、のかもしれないがなかなかうまくいかない。

・A社がX事業をB社に分離し、A社はB社からB株式を取得し、B社はA社の子会社となった。

私はなぜかこれを読むとA社に企業結合の会計処理がなされると思ってしまうがそれは間違え。

事業をあげて、対価をもらったA社には事業分離の会計処理を適用する。

でB社が子会社になったので投資の継続で簿価評価。

一方、事業をもらって対価を支払ったB社には企業結合の会計処理を適用する。

せっかく株を交付してあげたのに子会社となってしまったB社は逆取得になる。

批判された者は、批判した者に対して「価値観は個人の自由だということをわかっていない」と言うことがある。

しかし、実は批判するのもまた自由である。

段階別で行くと

①人それぞれが分かっていないレベル…自分と違うと即批判する

②人それぞれは分かったが他人の自由までは考えが回らないレベル…批判されると怒る

③人それぞれは分かったし他人も自由だと分かっているレベル…議論をする

って書いてみたけど私は②ですね。

だって批判されたらやだもん、批判もしないけど。

「○○ってダサ杉ワロタ」みたいな書込みを見て、条件反射的に「そんなの人それぞれだろ」と思ったけど前述のようにダサいと思うのもまた自由という。

じゃあどうすりゃいいんだよという所で過去記事を思い出した。

私がどんな考えをしようが私の自由。本を読み返したら他人の自由にも言及されていた。驚いた。

私の自由・相手の自由を徹底できたら怒りもしないし議論にも発展しないんじゃないかな。

「ダサいかな?私は気に入ってるよ」で終わりだから。

とすると③のレベルが存在するのかどうか怪しくなってきた。

第三者を批判している場合は、議論になるだろうけど、スポーツの試合や裁判じゃないので結論はでないだろう。




という漫画の中に上のような描写がある。

私は今でも思い当たる節があり、自虐・謙遜することで相手を敬おうとすることがある。

というかいまだにそれをすることで相手を傷つけたことはない(または自覚がない)のだが、

漫画の中では、主人公が自分を低く見ることによって、主人公を好いている女性が傷ついたとされている。好きな異性が自分を低く見ている→その人を好きになった自分までもが低くくされた という事か。


これを自分中心・他人中心理論に当てはめてみると

自分を低く見るというのはかなり他人中心の考えだということがわかる。低くみるというよりは低く見せるだ

自分よりまず目の前の相手の気分を良くさせたい、そのためなら自分を多少貶めても構わない。

自分中心ならばそもそも自分を低くも高くもみない、みせない。自分は自分。

自分を低く見ると自分を傷つけているし、しまいには漫画のように相手までも傷つけることになる。