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ごっちゃんのブログ

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5月が終わった。

GWはなんかダラダラして、中旬には極度のやる気喪失に陥って焦った。

でもラスト2週間、租税一本に絞ることで一定の成果は得られたと思う。

それまであれもやらなきゃこれもやらなきゃ状態で何も手に付かなかったが、とにかく1日1日を租税の問題集、答練、アクセス、理論に費やした。

例えば法人税なら

・租公…事業税、罰金

・受配…原則法、例外法

・減償…中古、受贈益、5%

・交際…分類、接待交際費の50%

・寄付…限度額

・貸倒…貸倒→個別→一括の流れ

・給与…同族非同族よりもその後の計算過程を重視


所得、消費、理論も着手できた。

模試でボトルネックだった科目を底上げしたのは良い選択だったと思う。

ただし、その他の科目の精度が減退しているのは明らかなのでそこはまた6月から上げていかなければならない。その時、多科目同時並行なのか5月のように一科目ずつやるのかは悩ましいところだ。

本番では運も味方につけなければならないだろうが、できるだけその比重を減らしていきたい。

良いね。俺は好きだねこういうの。

喫茶店、キャバレー、公衆電話、手編みのマフラー、電報など今や古臭いと言われるようなもの全てが愛おしく感じられる。

五代くんは「惣一郎さん、貴方を含めて響子さんをもらいます。」と言った。

それは音無さんの中に故人が存在し続けることを許す行為だ。

それによって音無さんは、故人を裏切ることなく自らの幸せを歩んでいいということが分かった。

故人を偲ぶ思いと、新たに人を好きになることは相反することじゃないと愛する人から認められたのだ。

あたかも意思決定との関連性と信頼性が両立したかのように。

そして音無さんは「あなたに会えて本当に良かった」と言った。

言われてみてー。

私は以上の場面で泣いた。次は「私より一日でも長生きして」で泣くのかもしれない。

ところで、聲の形でも言ったが私の感情移入度はヒロインの美醜に大きく関係している。

美形のヒロインが怒ったり泣いたり笑ったりしている姿を見ると、こちらの胸も大いに揺さぶられる。

嫉妬する音無さん、箒をブチ折る音無さん、イライラする音無さんの方が真面目モードの音無さんよりも魅力的だ。

本当に良い漫画だった。次はブラックジャックを読もうかな。

勉強?そうだよ、やらないとやばいよな。現実は漫画のように甘くないからな。

現実なら五代くんも、音無さんを三鷹さんにとられ、こずえちゃんには振られ、保父さんの試験に落ちても何ら不思議じゃない。しかも悲しいのは本人だけで本当の痛みなんて世間の人は知ったこっちゃない。

そうなんだ、懐古主義の自分を否定する必要は全然ない。そうやって自分を癒すのが私だから。

でも、現実世界で幸せをつかみたいなら必死で今を生きる必要がある。

最近、勉強以外の時間はパズドラをやるかギターを弾いている。


そこで思いついたことが2つある。


①パズドラの天元の黒龍は本試験に似ている

→天元の黒龍とはノーマルダンジョン最後の関門でスタミナを99消費する。

最初突入して、いきなり一発でクリアできた。

しかし、その後2回3回とやってもクリアできない。なぜ最初すんなりクリア出来たのかは思い出せない。

その場のノリと気合でクリアできたものが、その後、回を重ねてもクリアできず長期化している。

一方、初年度合格者はノリと気合(だけではないが)その他もろもろの追い風を味方につけて試験を突破した。対して私はその時流をつかめず受験を長期化させている。

初回クリアした私=初年度合格者であり、その後クリアできていない私=その後合格できていない私である。

だから、黒龍は本試験と似ている。


②ギターと試験勉強の共通点

→ギター、特にソロギターをもっぱら練習している。

コード譜をみて音をだしてみるが、運指がうまくいかない。

なんだこりゃ、弾けねぇじゃねーかとなる。付属のCDを聴いてももちろん運指は分からない。

しかし、youtubeでプレイ動画を見てみると、あっそうすればいいのかと気付くことができる。

これがどう試験と関係するのか。

コード譜=問題の解答冊子である。だから解答を読んでも、運指=効率的な解法、が明らかでないため疑問が残る場合がある。

付属CD=解説講義である。残念ながら解説を聞いてもダメなときがある。

プレイ動画=講師の解答作業実況中継、ではないだろうか。

そこまでのサービスはアテに出来ないので仕方なく自己流の解法・勉強法をとる場面があるがそれは

非効率な運指=非効率な解法・勉強法となっている可能性がある。


朝起きたときに「今日はあれもやりたいこれもやりたい」とワクワクしながら目覚めて、

夜眠るときは「あ~もっと楽しみたかったのに」と後ろ髪引かれる思いで夢の中に落ちていく。


…そんな人いるの?衝撃的だった。ワクワクねぇ…そんな感情、とうの昔に置いてきてしまった。

義務感を感じながら目覚めて、解放感とともに眠りにつく。思えば高校時代からそんな感じ。

なんのために生きているのか分かりゃしないね。

自分にとってのワクワクってなんなのか、意識しながら生きてみよう。

もう一度、嫌われる勇気について自分なりにまとめ直してみたい。

最近では、自分への過度な期待値を下げることで自分による自分への攻撃頻度を減らすと同時に、他人への過度な期待値も下げて相手が自分の思い通りに動かなかったことのよるイライラの頻度を減らすことに成功していると思う。期待ギャップの解消を感作論以外で使うとは。

あとは自分の個人的意見を一般的・社会的という枕詞によって正当化しようする輩への警戒心が強まった。

しかしいまだに自分中心に生きるって自分勝手なんじゃないのという疑問と、試験合格によって幸せは得られるのかという疑問を払拭できずにいる。


第一夜のテーマは原因論・目的論に尽きると言える。

怒ったから怒鳴ったのが原因論。怒鳴るために怒ったのが目的論。

そういわれても…という感じなのだが医者の例は良かった。

風邪の原因はこれこれですね~以上。じゃ困るもんね。その後に治療がないとね。

でも、両者は一つの事実を別の側面から見ているに過ぎないとも思えるんだが。

屋根を修理したという事実があったとして、そこには台風という原因があると同時に雨風を防ぎたいという目的もある。どうもピンとこない。

私は上司や異性との食事が喉を通らない癖を持っている。

それには様々な原因がある、と今までとにかく原因を探ることしかしてこなかったが

これが上司や異性と食事をしたくないから喉を通らないという症状を作り出しているとしたら。

それは新しい考え方ではある。

とにかく、過去(原因)は変えられないのだから、これからどうしたいのか(目的)を考えましょうということを言いたいがためのアプローチだと思うことにする。