超短編! -8ページ目

超短編!

短編小説、中編小説、映画の紹介記事とかを思うままに書きなぐってます

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〈9から続く〉

 基地に戻ると、艦長が待っていて今度は別の部屋へと移動した。
 中に入ると、かすかに見覚えがある場所のような気がした。
 部屋の中央に、ほぼ床に直角に立てられたベッドが二つ、向かい合って並んでいた。
「ここを覚えているか」
「ここが……何なんですか?」
「そうだな。敢えてこういう言い方をするが、ここは、君とエリザが初めて出会った場所だ」
「えっ……そんなはずは」
「覚えてなくて当然だ。ここに居た時、君とエリザはどちらもまるで意識がなかったから。あの頃と同じ状態にしようと思って準備してたんだ」
「意識がなかった?」
「君がコールドスリープを解除された第四次フラワルド覚醒周期には、覚醒処理時の事故率は一パーセントを切るまでに技術が安定していた。しかし君は、肉体的には生命活動を取り戻せたにもかかわらず、精神的な活動がまったく認められなかった」
 初めて知る事だった。
 どんな状態だったのか、上手く想像が出来ない。
「僕が、ですか?」
 そう聞くと、艦長は頷いた。
「簡単には信じられないだろうな。状態としては脳死に近かったが、ちょっと違う。言うなれば、魂が抜けていた、と言う表現がぴったり来る」
 艦長はそう言いながら、部屋の中央へと足を向けた。
 僕も付いていく。
 艦長は一方のベッドに手をかけ
「ここに君が眠っていた」
 と言った。
 僕はもう一つのベッドの側に居た。
「じゃあ、こっちは」
「ああ。エリザのベッドだった。彼女も、君と同じ状態だったんだ」
 僕は二つのベッドを見比べた。
 どうしてこんな配置になっているんだろう?
「君達二人はきわめて特殊な症例だった。ここの技術者たちは問題の解決に全力を注いだが、原因が解らない。どこをどうテストしても肉体的には充分に健康な数値を示していたが、周辺の情報には何の反応も示さないし、ぴくりとも体を動かさない」
「僕らは、こんな状態で眠っていたんですか?」
「いや、始めは普通に横になって寝てたさ。君の肉体が目覚めてからちょうど一年目の記念日に、関係者たちが集まって、ここで覚醒記念パーティーを開いたのさ。お祭り騒ぎに反応してこっちに首を動かしてくれるんじゃないか、なんて期待もあった。結局は何も起こらず、途中から皆やけ酒みたいになってきて、どんなきっかけだったか、ベッドの位置をこうしてしまったんだ。体を無理やりベッドに固定させてね。心無く見つめあう君達を肴に、また飲んだ。みんな酔いつぶれてしまって、その後は適当にお開きになったんだが……どうやら君達はこのままほったらかしていた。そして、翌朝やって来た時、君とエリザはここに立て掛けられたまま、お互いに手を伸ばして相手に触れようとしていた。その姿を見た時、一発で二日酔いが冷めたよ」
 僕は、自分の手を眺めた。
 艦長の話が本当なのか、分からなかった。
 まるで覚えていない。
「それから、しばらくの間は定期的に君達を向かい合わせるようにした。君達は徐々に精神活動を回復して、他の皆と同じプロセスに合流出来た。エリザはしばらく記憶障害に苦しんだが、君はその辺は苦労しなかったな」
「覚えて……いない」
 僕は自分の手を見つめながら、そう言った。
「覚醒直後は皆そうなるんだ。目覚めてすぐ、全てが元通りという訳にはいかない」
 僕は何とかここでの出来事を思いだそうとしたが、それはまったく記憶から抜け落ちているようだった。
「非科学的な言い方になるが、君達はお互いの魂を呼び戻しあったんだと、今では思っている。他に説明のつく言い方が無いんだ。まあ、そういう事があったからね、ステーションで君達が仲良くしている様子は、傍から見ていると、何と言うか、納得のいくものだったよ」
 艦長はそう言って僕に笑いかけた。
 それは、何か懐かしい感じのする、優しい笑顔だった。
「艦長はここの職員だったんですか」
「そうだ。ずっと君達を見ていた。ステーションの艦長に任命されたのは、君達の移動と同じ時期だったんだ」
 僕は何か言おうとして口を開いたけれど、何も言葉が出なかった。
 取っ掛かりにするべき言葉を探して、下を向いた。
 一度にいろんな事を見せられ、知らされて、それらをどうまとめるべきなのか、考えが追いつかなかった。
「考えるな」
 艦長が言った。
「過去の記憶と一緒にステーションに縛られている事は無い。お前はもう未来に生きてるんだ。ユータ。もう一度だけ考え直せ。俺と一緒に地球に降りろ。そして、エリザを支えてやれ」
「考えるなとか、考え直せとか、どっちなんですか」
「うるさい。自分で考えろ」
「言ってる事、無茶苦茶ですよ」
「そうだな。じゃあ、黙って俺についてこい」
 僕はぽかんと口を開けて、何も言えなかった。

 結局、艦長は僕の返答も聞かない内に地球へ降下する準備を進めた。
 その中に僕も当然のように組み込まれていて、始めからそのつもりだったのだと言うのが分かった。まんまと乗せられた感がしないでも無かったが、僕にしても、もう抵抗や反論をする気は起きなかった。
 「エリザを支えてやれ」と言った艦長の言葉は、僕の中で何度も繰り返されていた。今まで思いつかなかったけど、それはとても大事な事だと、理解出来た。受け入れる事が出来た。
 僕らの乗った船は、地球に向けて短い旅に出た。
 おそらくは一方通行に終わる旅に。
 そして、船は何の問題も無く地球圏に到達した。
 一旦、衛星軌道に乗り、それから大気圏への突入になる。
 地球を眼下に見下ろして、何度か地上の管制センターと通信を交わし、それから大気圏突入シーケンスに入る予定だ。
「大気圏を突破すれば、戦闘機が出迎えと護衛を兼ねて近くに来る予定だ。見物だぞ」
 艦長はそんなことを言って、僕の気を和らげようとしていた。
 僕らはコックピットの中、操縦席のすぐ後ろに並んで座っていた。
 船が高度を下げ、いよいよ衛星軌道を離脱する。
 機体が大気に触れ、その摩擦で周辺の空気が赤く燃え始めた時だった。
 パイロットが異常を告げた。
「艦長。当機の進路上に高速に接近する飛行物体があります」
「何だ? 出迎えには早過ぎるな」
「識別確認しました。これは、ミサイルだ」
 その光は、コクピットの向こうに見えていた。
 まっすぐこっちに向かっている。
 ああ、そうなのか。
 溜息のような思いと、
 ただ一人、彼女の名前が頭に浮かんだ。


 誰かに呼びかけられた気がして、空を見上げた。
 淡い色の夜空に、たくさんの星が流れている。
 何だろう?
 ステーションから地上に降りた私たちは、仮住まいのキャンプ地で、それぞれの受け入れ先に出発するまでの日々を過ごしていた。
 かなり人は減っているけれど、それでもまだ見知った顔がたくさん近くにいるのは、安心感がある。
「凄い眺めだな」
 サカガミ君が話しかけてくる。
 彼とは、地上に降りてから、少し話をするようになった。
 ユータとの事を、気遣ってくれたのだと思う。
「一人で突っ立ってないで、こっち来なよ」
 その先には、ユータと同じ島国出身の人たちが集まっている。
 焚き火をしているようだ。
「夏なのに、焚き火?」
 私は聞く。
「俺達の国ではさ、この時期にはこうやって、ご先祖様の魂を迎える習慣があったんだよ」
 私たちは、火を囲んで地面に座る。
 揺らめく炎を、無言で眺める。
「歌ったり、踊ったりはしないんだね」
「キャンプファイヤーじゃないからな。でも、悪くないだろ」
 私は皆に混じって、揺らめく炎をじっと見つめた。
 見上げると、最後の流れ星が、夜空を貫くところだった。



〈了〉

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〈8から続く〉

 月面の国際技術開発研究基地は衛星軌道周辺での騒ぎをよそに、人類が初めてその地に降りたと言う『静かの海』の名の通り、未だひっそりとした空気をまとっていた。
 海と言ったって、もちろん月に水がある訳では無い。
 地球から見上げた時に暗く見える部分を、昔の科学者が海と呼んだ事からその習慣が定着したらしい。
 現実の月面は、カサカサと言う音が聞こえそうな、瑞々しさの欠片も無い硬い砂漠のような場所だ。
 連絡艇はそんな砂の海をしばらくは舐めるように飛び、やがて基地の港へと入港した。

 基地の中へ入ってからは、ほとんど何もする事がなかった。
 事前に艦長に言われていた「補佐役と言ったら言い過ぎだが」という言葉はかなり控えめな表現だったと言えるだろう。
 僕はただ、艦長の後についてあっちへこっちへと移動しているだけだった。
 それでも、基地の中の風景はやはり目に新しいもので、ずっとステーションでの生活を送ってきた僕にとっては、新鮮なものがあった。
 艦長は基地の中でも知り合いが多いらしく、通路を歩いているだけで何人もの人に声を掛けられては挨拶を交わしていた。
 ただ、艦長が挨拶をしていく相手の内、かなりの割合で何か意味あり気な視線を僕に向けてくるのは、どうも不思議だった。
 どの顔にも見覚えは無い。
 確かに僕はこの月に存在するコールドスリープの施設で百年近い眠りについていた訳だけど、その施設は月の裏側に造られていて、この基地に駐在する基地職員たちでもそう何度も訪れる場所では無いと言う話だし、何よりこっちは百年そこに居たとしても、普通に生きている人がここに居るのは長くて十年がいいところで、覚醒後すぐにステーションに移送された僕らの顔をいちいち覚えていられるものでも無いだろう。
 僕の顔に何かついているのか?
 そんなに物珍しい類いの人相では無いはずだと思っているのだけど……

 艦長は散々いろんな場所で人と話したり挨拶を交わしながらも、足早に目指す場所へと向かっていた。
 当然と言えば当然の成り行きだが、僕らが最終的に行き着いた所は基地の責任者である所長の部屋だった。
 基地の所長は、僕らを見るなり大きな声で話しだした。
「遅いぞ。着いたらすぐに来いって言っただろ」
「いや、すまん。懐かしくて、つい、な」
「相変わらずのんきな奴だ」
「俺にそんなこと言うのはお前だけだ」
 艦長は苦笑いで応えた。
 ほんの二言三言の応酬で、彼らの関係が解った気がした。
「メールは見たか」
「ああ。ボートを一隻貸せって話か? 自分の乗ってきたのでいいだろう」
「あれは大気圏突入の為に補給中なんだ」
「何に使う?」
「彼にフラワルドを見せてやりたい」
 艦長はそう言って親指で僕を示した。
 基地所長はいったん僕に視線を移し、何やら得心した様子を見せた。
「いや待て、それ、プライベートだろ」
「馬鹿言え。緊急事態だ」
 艦長の言葉に、所長はにやりと口元を歪めた。
「なら仕方ない。使用記録は消しといてやるよ」

 所長の計らいで、ハルオウという名のガイドが同行する事になった。
 艦長も一緒に来るものと思っていたが、「他にやる事がある」の一言で僕を送り出し、自分は基地に残ってしまった。
 これでは補佐役どころか、ただ社会見学に連れて来られただけだ。どのあたりが緊急事態なのか、僕の方が聞いてみたい。
 ハルオウは見学にきた人の為のガイドの経験が豊富で、それが彼の仕事のひとつでもあるらしい。
「ガイドには一般者向けの内容と関係者用のものがあるんだが、君には後者を話して良いと言われた。かなりの特例だよ」
 そう前置きして、施設までの航行の間に、彼の話は始まった。
「月にコールドスリープの施設を建設し、次世代の生命をそこに保存する、その一連の計画を我々は『フラワルド計画』と呼んでいる。当時の技術はまだ百パーセント安全と言い切れるレベルには程遠かった。それでも計画を強行せねばならないほどの食糧危機が地球全土で起こっていた。それが、約百年前の話だ」
「食糧危機の原因は何だったんですか」
「人口の増加と気候の急激な変動が最悪のタイミングで重なった時期があった、という話だ。あらゆる植物、作物は枯れてしまい、生き物は飢えに苦しんだ。その数年間で絶滅した動物は数万種類とも言われている。金はあっても食い物がないから、誰もが働く意欲を無くした。産業は壊滅状態で人間社会には失業者が溢れた」
「そんなひどい状態で……僕はあまり記憶にありませんが」
「人間、嫌な事は忘れちまうもんさ」
「そんなものでしょうか」
「君の場合、それだけじゃないかも知れないけど……。とにかく、人類の遺伝子をいかに守るか、と言う議論の末に、コールドスリープによって若い世代を先の時代へ送り出す事が決定され、臨床実験の被験者が公募された。実験の危険性は事前に公表した上でだ」
「僕が思っていたよりずっとひどい話だ……ステーションのカリキュラムではそんなことは知らされなかった」
「当然だろう。何でも知れば良いと言うものじゃない」
「でも、そんな計画に乗る人間はそんなに居なかったでしょう?」
「ところが、そんな理屈がまかり通るほどに、世界は追いつめられていた。かなりの数が集まったんだ。人間はやっぱり食えるかどうかと言うのが一番大事という事なんだろうな」
「そんな」
「そういう時代だったと言う事だよ。俺だって納得はできない。でも、当時の事は当時に生きていた人にしか解らない。文句や不平を言っても、もう変えようがない。歴史ってやつさ。ほら、見えてきた」
 ハルオウが示した先に、巨大な建造物があった。
 月の地面に埋め込まれた、円盤のような形をしている。
 近付けば近付くほど、その大きさに圧倒された。
「ここに何人眠ってると思う?」
「かなりの規模ですね……」
「約三億人だ」
「三億……」
「そうだ。この建物自体が『フラワルド』と名付けられた。天界から地上に降りてきて人間を支えるエネルギーとなるゾロアスター教の守護天使の役割になぞらえ、君らに託された願いが込められた名だ。君達、ひとりひとりがフラワルドとなるように。
 確かに犠牲は多く出した。凍結処理段階でも、覚醒処理段階でも、実験の失敗例は数え切れないほど出た。つまり、多くの死人が出た。だが、我々はそれを無駄にしないために努力している。三億と言う数字はその成果だと思っている」
 ボートが建造物に近付いた。
「こんなものを作る金があって、食べ物を作れなかったんですか」
「僕もそれは考えたけどね。飢えた人間の思考回路はどうやら普通では無いらしい、と言うぐらいしか、答えられる事は無いな……」
 それを聞いて、つい先日まで大騒ぎだったステーションの事を思い出した。
 ボートは『フラワルド』の上空まで達し、しばらくその場を周回した。
 施設内の環境維持のための制限とか、もろもろの理由で中に入る事は出来ないらしく、僕らの乗ったボートは、しばらくその場をうろうろしつつ、建物の周辺を飛び回った後で、基地へ戻った。
 僕はその間、ずっと窓に齧り付いて、月面に根を張ったような『フラワルド』の姿を見下ろしていた。




〈10へ続く〉

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〈7から続く〉

 僕は船窓に映る惑星の自転活動を眺めていた。
 故郷の島国が、目の前を通過していく。
 思い出の中で、ロケットが、空へと吸い込まれていく。
 あれは、本当に起きた事だったのだろうか。
 そんな疑問が湧く。
 通路の向こうからエリザが姿を現し、僕の隣にやって来る。
「待った?」
「いや、全然」
 何度となく交わした会話が、不自然に響く。
 どのように聞いたらいいか、僕はずっと考えていたけれど、どう聞いた所で同じだ、と言う結論にしか達しなかった。
 それでも、言葉が出てこない。
 問題はどう聞くか、という事では無く、答えを聞くのが恐いのだと、自分でも薄々感じてはいた。
 かつての祖国が地平線の彼方に消え去った時、口を開いたのは、エリザだった。
「ユータ、私……」
 窓ガラスに映った彼女を見る。
 目が合った。
 それまで考えていた事は、ばっさりと刈り取られた髪の毛みたいに頭の中から取り払われた。
 何も聞かない内に、僕の方が答えていた。
「僕は、残るよ。ここが僕の居場所だって、今は思えるんだ。仕事もあるし」
「ごめんなさい……私は」
 エリザはどうしてもそこから先の言葉を言いだせなかったけれど、もう、言わなくても分かる事だった。
 僕はエリザを抱き寄せ、
「君が無事に地球に降りれるように、祈ってるよ」
 と、告げた。

 それから帰還計画当日までの日々は、多忙を極めた。
 降下希望者名簿の作成は簡単に済ませられるつもりで居たが、思いのほか回答を保留にする者が次々と現れ、結局ギリギリまで各々の意志確認に走り回る事になった。
 その合間にも他の仕事がどんどん追加され、結局、帰還船の出発当日まで目まぐるしくステーション全体を駆け回ることになった。
 ただ、僕にとっては余計な事を何も考えずに済んだので、それはありがたい事かもしれなかった。
 帰還計画は、館長と数名の教官たちの手によって秘密裏に作成されたスケジュールに沿って進められており、そのどの部分を切り取っても隙間なく成すべき仕事が満載だったのだが、その中には意外な発見があった。
 それは、艦長は帰還船には乗船しない、というものだった。
 この計画の立案者であり、実行責任者でもある彼が地球に降りないとはどういう事なのか、不思議に思った僕は作業の進捗状況を報告するとき、ついでに質問した。
「いや、地球には降りるよ」
 艦長はそう応えた。
「そうなんですか? でも、帰還船には乗らないって」
「ああ、始めは乗るつもりだったんだが、ちょっと変更になってな。帰還船の発進と同時に、私は月に向かう」
「月へ?」
「うん。おそらく、いや、ほぼ間違いなく、この作戦が一段落すれば、私は艦長の任を解かれる事になる。二度と宇宙には上がって来れないかもしれない。そうなった時に備えて、最低限の引き継ぎは必要だ。それに、どっちにしろ騒ぎは起こすから迷惑もかけるんで、ちょっとした挨拶も兼ねてな。それが終わったら、すぐに地球に向かう」
「あっちこっち大変ですね」
「バカ野郎。他人事みたいに言うな。お前も行くんだ」
「僕が?」
「そうだ。私の補佐役と言ったら言い過ぎだがな。それに、どうせここに残るんなら、月の施設を一度しっかり見ておいた方がいいだろう」
「艦長はいつ地球に降りるんですか」
「月から直接向かう」
「僕は地球には降りませんよ」
 そう言うと、艦長は呆れたように笑った。
「月まででいい。付き合えよ」
 そんな訳で、僕は月に行く事になった。

 出発の五日前になると、予定通り地上への帰還船がステーションと同一の軌道上までやって来て、ランデブーを果たした。
 帰還船の機体は、海に棲むエイのような形を思わせ、こんなものが大気圏に突入出来るのかと不思議に思ったが、艦長の話では、これが最新テクノロジーの結晶だと言う事だった。
 ロケット世代の僕にはどうも理解出来ない。
 帰還船の乗組員との事務的手続きが終わると、休む間もなく荷物の積み込み等が始まった。
 この頃になると帰還計画の運営に走り回っていたサカガミ達も、少しずつ業務を離れ、自分たちの帰還準備に入りだす。
 それから先は、あっという間だった。
 常に動き回りながらも何もしていないような錯覚に陥りながら、目の前の仕事をひたすらに淡々と消化していった。
 荒れ狂う台風の中心に居ながらその台風をメンテナンスし続けているような、妙な気分に包まれている内に、帰還船の出港日は訪れた。
 通常の起床時間から二時間後に、帰還船への搭乗が始まった。
 興奮のあまり眠れぬ夜を過ごした者が多かったようだが、眠そうな顔をしている者は一人もいなかった。
 僕は、皆が列をなして並ぶ先、帰還船への搭乗口で乗船するひとりひとりの名前と名簿上の記載を突き合わせるという、この作戦での最後の仕事をしていた。
 サカガミは、通過するとき握手を求めてきた。
「お前もいつか降りてこいよ」
 そう言って乗船していく。
 そして、エリザの番が来た。
 僕は形式としてエリザの名を聞き、確認して名簿にチェックを入れた。
 顔を上げると、目の前にエリザの顔があった。
 彼女は唇を重ねてきた。
 僕は目を閉じた。
 体が硬直したみたいに動かない。
 抱き寄せる事も出来なかった。
 やがて唇に触れていた感触が失われ、僕がようやく目を開けた時には彼女はもうそこに居なかった。
 どうにかして自分の仕事に戻るまでに、しばらく時間がかかった。

「どうした? いつにも増して元気がないな」
 月への連絡艇に乗船し、それぞれの席に着いた時、艦長は僕の横顔に向かってそう言った。
 僕は軽口で応じたかったけれど、上手い返しを思いつかず、肩を竦めて見せるだけになった。
 帰還船はもう地球に向けて出発していた。
 僕は休む間もなく月への連絡艇の乗船に掛かり、ステーションから離れていく帰還船を見送る事もろくに出来なかった。
 視線はついつい連絡艇の窓の外に引っ張られ、そこで固定されるのだが、そもそも角度的にこの船から帰還船を見る事は出来ない。
 無為に星を眺めるだけだ。
「エリザの事が気になるのか?」
 艦長はそう聞いてきたが、どことなく芝居がかった感じがある。
 敢えてその問いかけには答えなかった。
 程なくして連絡艇も出発する。
 月に着くまでは三日かかる。
 帰還船は天候に問題がなければすぐにでも大気圏への突入を開始する予定だが、地上への着陸が無事果たされたか否かの経過報告はあらゆる情報網を通じて知らされる事になっていた。
 だからその連絡が来るまでは、連絡艇の中の空気も重力圏に引けを取らない重さを僕らの肩に落としていた。
 月への航海に進発してから二日目の早朝時間に、帰還船が無事に安全圏で着陸し、宇宙からの帰還民として受け入れられた、と言う報告が連絡艇に送られてきた。
 その報告を聞いた瞬間、艦長は長い安堵の息を吐いた。
 その表情を見て、この計画がいろんな意味で本当にぎりぎりの計画だったんだと言う事を悟った。
 この瞬間まで、そんな雰囲気をおくびにも出さなかった艦長に、僕は素直な尊敬の念を覚えた。
「これで、まずは一安心だ」
 艦長がそう言うと、船内のクルーが口々に艦長に労いと称賛の声を掛けた。
 艦長はクルーのひとりひとりと握手して回り、最後に僕に手を差し向けた。
「よかったですね」
 と僕は本心から言った。
「他人事みたいに言うな」
 艦長は笑いながらそう言った。



〈9へ続く〉

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