家族 -8ページ目
約一年二ヶ月ぶりに
母が家に帰ってきました。
おかえり。
でも私は・・・
目の前の遺骨と母が結びつかなくて、
不思議な気持ちです。
母が死んでしまった事が
まだきちんと受け入れられて
ないんでしょうか?
生きている母の夢を見て、
朝起きてハッと認識する。
そっか、もう居ないんだっけ、と。
父の時と同じです。
泣き崩れる事もなく、ポカンと
している感じ。
母の葬儀は(通夜・告別式)
行ないませんでした。
火葬式というものです。
家族葬や火葬式、結構多いみたいですね。
ウチの両親は生前から、
「葬式には金を掛けなくていい」
「気持ちだけで充分でしょ」
という考えでしたし、
うるさい親戚もいません。
ひとりでも、ふたりでも
自分が死んで悲しんで見送ってくれる人が
居れば充分だと私も思います。
母の遺骨の周りには
大好きだった百合の花
お寿司
日本酒
たばこ
大切にしていた舞踊の看板
少しは喜んでくれてるかな?
それとも、やっぱり
死んだら無になるのかな?
年末からずっと仕事です。
世間一般の正月休み明けからは
年金など色々な手続きを
していかなければ。
納骨が済むまでは忙しい日々に
なりそうです。
12月25日 クリスマス
午前8時頃
母は静かに旅立ちました。
表情はとても穏やかで、
苦しまず眠るように逝けたようです。
皆さんに
お顔も身体もとても綺麗だと
言っていただけました。
点滴をしなくて良かった。
伝わったか分からなかったけど
ここ2~3日でたくさん
「ありがとう」と言えました。
一昨日はその言葉に反応したかのように
口を動かしわずかに声を出してくれました。
か細い声でしたが
「あー、あー」と。
母が発した最後の声、聞けて嬉しかった。
母にとって、父が亡くなってからの
数年間はとても辛いものでした。
色々な困難から開放され
自由になり楽になった母へ・・・
「おつかれさまです」
そして心からの「ありがとう」
母が一生を終えようとしています。
もう水分すら摂れず呼吸も浅い。
穏やかな顔をしています。
もう栄養分を吸収できる状態ではないので
点滴などの措置は母を苦しめるだけ。
なので静かに逝かせてあげようと思います。
まだ私の声は聞こえてるようなので、
「ありがとう」
「ごめんね」
「おつかれさま」
たくさん言っておきました。
ここ数日食事と水分が殆ど
摂れなくなってしまっていると
連絡をもらいました。
心配になり、
仕事帰りに施設に行き
母に会ってきました。
母の顔を見て、私の中に迷いが生じます・・・
できるだけ長く生きて欲しいと
先日の打ち合わせ時には
迷わず延命治療(点滴など)はしない
方針でと言葉にしました。
母は100%早く終わりにしたいと
思ってるはずです。
正気の感情が残っていれば。
早く楽にしてあげたいと
私はずっと思ってたはず。
でも私は迷ってしまった。
どうすればいいのか分かりません。
あんなに母の事が嫌だったのに、
今ではいい思い出しか浮かんできません。
早すぎなんです。
病気で入院してからまだ一年ちょっと。
4~5年は生きていてくれるだろうと
思ってました。
来週、医師との話し合いがあります。
その時までに決めなくては・・・
施設で見取り時のお話を聞いてきました。
終末期の説明と
私の意志の確認です。
施設の職員さん達は
何人も見送ってこられたので
『近い』人は分かるそうです。
母にもとうとうその時が
近づいてきているようです。
延命措置をしない方向で
という意思は変わりません。
ただ、肺炎など本人が苦しむような
病気の場合は病院にお世話に
なります。
母の場合は多分
食事や水分を摂れなくなり
身体の機能が停止して亡くなるのでは
ないかと思います。
命の炎があるならば、
少しずつ小さくなりフッと消えてしまう。
そんな最期だと思ってます。
飲食が出来ないと言っても
苦しむ訳ではないそうです。
本人が、身体が必要としなくなるのだそうです。
延命措置なんてしたら
絶対母に叱られます(笑
『余計な事をするな』と
どなり声が聞こえてきそうです。
覚悟はしていましたが
やはりショックでした。
亡くなった時の色々な準備や整理を
しておかないといけません。
今日の母はいつもと同じでしたが
食事は6割くらいしか食べませんでした。
食事時間は30分位が限界のようです。
母をベッドから車椅子に乗せる時に
いつもと違う感じがしました。
表情がですね、
亡くなった人のような顔つきでした。
生気がないんです。
今までそんな事感じなかったのに。
かなり早いペースで命の火が小さくなって
きているようです。
次の年末年始、母にとって最後になると思います。
しかし
私は年末も正月もずっと仕事です。
悲しい。
お金に余裕がないって
なんて惨めなんでしょうか・・・

