2010年4月上旬、ようやく入院となりました。


担当医師から、

受けた検査結果の説明をされます。


扁平上皮癌

ステージⅢである

手術は不可能

リンパへの転移あり

抗がん剤治療が耐えられる体ではない


そして選択。

進行を遅らせる治療をして1~2ヶ月寿命を延ばす

なるべく苦しみを和らげる緩和ケアをおこなう


前者は寿命をわずかに延ばすために

本人もかなり苦しむ事になる・・・との事。


それならば、少しでも苦しみを和らげてあげていく

方法を選ぶ事も間違いではないと。


要はもう助からないわけです。

余命数年ではなく、たった半年。

それほどまでに癌は父の身体を蝕んでいたのです。


私は話を聞いてすぐに決断しました。

緩和ケアの方向で・・・と。


父に治療に対する前向きな気力がなく

最初から自分の死が近い事を感じて受け入れていた。

はっきり口にはしてませんでしたが、

私にはわかりました。


近所の病院での紹介状の話になった時、

先生はがん治療に向いている病院を薦めましたが

父は通いやすければどこでもいいよと答えてました。


入院でお世話になる病院で

抗がん剤治療の話をされた時、断固拒否してました。




・・・そして約2ヶ月の入院生活が始まりました。

主な治療は

放射線治療・飲み薬。


最初は温熱治療もしていましたが、

苦しくて我慢ができないと父が拒否しました。


放射線治療をする事で

父の場合ですが一時的に癌組織を小さくする事ができます。

しかし背中広範囲に赤黒いやけどのような跡ができます。


ほぼ毎日面会に行き、一時間弱くらい病院の広いロビーで会話をします。

と言ってもほぼ私の話を父が聞いてるだけでしたが(笑

私が帰りやすいように、自分から「そろそろ時間だろ?」

と切り上げてくれたり、

帰るときは必ず見送ってくれたり、今思い出すだけでも涙が出ます。

凄い事に、病気である事の愚痴や弱音は一言もいいませんでした。

逆にそれが私には心配だったわけですが。


入院生活後半に差し掛かる頃、小走りができるくらいに

父の体調は良くなっていました。

放射線治療の成果でしょうか。


父の久しぶりの、そして最後の笑顔でした。


もう丸5年過ぎました。


2010年の秋分の日。

意識が戻らぬまま静かに永遠の眠りにつきました。


肺癌です。


10代の頃からずっとタバコを吸い続け

しかもヘビースモーカーでした。


亡くなる2年前から禁煙をしてましたが、

すでに肺はタバコのニコチンで汚れきっていたのでしょう。


最初は風邪のような症状だったらしいです。

体がだるい・疲れやすい・熱っぽい

咳は・・・普段からよくしてました。


なので本人すら気付かなかったようです。


2010年、春になったばかりの頃

痰に血が混ざっていたため近所の病院へ。


私も一緒に行きました。

レントゲンを撮ると、右肺に直径4~5センチの

大きな影が。


私と父、診察室で先生から説明を受けました。

肺癌と思われるので大きな病院で検査を受けてくださいと。

そしてこの大きさになると手術も難しいだろうと。


その後看護師さんに

書いてもらいたい書類があると

呼び出された私。


その時、父が余命6ヶ月だと告げられました。


病院からの帰り道、これから大変になるね

と微笑みながら父に語り掛けました。

父は多分この時、自分がもう長くない事に

気付いていたと思います。


さて、癌で病院に入院する前に

色々な検査を受けます。


最終的にはPET検査ではっきり分かるのですが

すべて終わるまで1ヶ月弱もかかりました。


その間にも

父の体調はどんどん悪化していました。

入院前はもう顔色が土気色で、

座っているだけでもだるくて疲れて仕方ないと

いった感じ・・・検査の先生にも心配されるくらいに。。。


そして桜が咲き始めた頃、緊急病院に入院となります。



ちなみに

この頃の母は父と仲が悪く

一切の事を手伝ってくれませんでした。

父の余命を話しても・・です。


病院の付き添いや色々な手続きは

すべて私一人でやりました。

 


特養に入園している母ですが


最近食事の飲み込みがうまくいかず

むせてしまう事が多くなりました。


かなり細かい刻み食でしたが、

引っかかってしまうのか数日前に

吸引を行なったそうです。


そしてとうとうミキサー食に

なっていまいました。


食事すべてがドロドロの流動食。


見た事が無い人も多いかもしれませんが、

パッと見どういうメニューなのか

さっぱりわかりません。


噛む事が出来るのにもったいない、と

職員の方がギリギリまで様子見を

してたようですが・・・


そしてコップを持つ事も出来なくなっていました。

1ヶ月くらい前は自分で持って

たどたどしいながらも飲めてたんですが。


数ヶ月前にかろうじて出来ていた事さえも

出来なくなってきています。


今の母ができるのは、

車椅子に座っている事だけ。


感覚も衰えているので

鼻水やよだれが垂れていても

気付かない。


何かをしたいという欲求や

喜怒哀楽の感情も無い。


人間・・こんなになってまで

生きないといけないの?


母の心の奥底に感情が残っているとすれば

100%、もう終わりにしたいと思ってる。

楽になりたいと思ってる。


私にはわかります。

 


母が緊急入院してから1年も経ってませんが

じわじわと悪い方向へ進行しているようです。


最近では声を掛けてもほぼ反応が

返ってきません。


肩をゆすっても、頬をつついても

顔も目も向けることはなく・・・

焦点の合わない目でじっとどこかを見つめたまま。


以前は問いかけにもやや反応してくれてたけど

ここ最近はまるで人形のようです。




食事もむせる事が多くなり

刻み食を一段階細かくする事になりました。


口を開けて噛んで飲み込む事は出来るので

食事はまだ大丈夫そうですが、

また数ヵ月後はどう悪化してるものやら。



施設の職員の方々は実に細かい事まで気が付いて

よく報告をしてくれます。

他にもたくさんの方のお世話をしているはずなのに

母の事を聞くと細かい事を色々と教えてくれます。


よく思うのが


自宅介護で自分で面倒を見ていたら

手が回らない事や気付かない事だらけで

すぐ入院・・・となっていただろうなと。

ちょっとした事でも体調がガタガタと崩れるほどに

母のからだはデリケートになってます。


食事一食だけでも


バランスの取れたおかずの準備

ご飯はおかゆ

おかずの刻み

食事全介助


考えただけでも

仕事しながら一人でとなると無理ですね。。。

一食でも結構な手間と時間が掛かります。



本当に施設は有り難い。


悪く言うと時間や手間をお金で解決しているという事になるし、

本人にとっても、どんな状態でも我が家で過ごす幸せに

勝るものはないと言う事。


そこらへんは常に申し訳ない・・と感じてます。

母に言ってももう理解できないだろうし

それが辛いですね。 

 


そんな母を見ていると昔の事をよく思い出します。

母と過ごした幼少の頃

小学の授業参観

家計を助けるため賢明に働く母

高校見学

家族でよく行った旅行

母と一緒に過ごした思い出の数々。 


こんな風になるなんて・・・と

母に会うたびに寂しく感じます。 

 

 


最近、母に会うと思います。


ああ、こわれちゃった


って。



月日が経つにつれ、

痴呆が進んでいるのがわかります。



今ではもうまともに会話もできません。


意味不明の言葉を繰り返したり

何を話しかけても泣きじゃくったり



母が今できることは・・・


うがい(かろうじて。飲んでしまう事もある)

コップを持たせると自分で飲み物を飲む

口に食べ物を入れると、きちんと噛んで飲み込む


このくらいでしょうか・・・


他は誰かの介助がないと何もできません。


かろうじて出来ている事も、

数ヵ月後には出来なくなるかもしれない。


もう二度と、普通だった頃の母は戻ってきません。


ほんと、憎たらしいくらいに

口が悪くて自己中で気分屋で


お喋りが大好きで


私が仕事に行く前に

「気をつけていっておいで」

とよく言ってくれた母。


たった半年で、こんなにこわれてしまった・・・。

 

 


この前、母の大好きなペットのワンコを

連れて行って会わせたんです。


こんな状態でもきっと喜ぶだろうなと。


でも


促されてかろうじてワンコの名前を呼ぶけど

すぐにボーっとして無関心になり・・・。

目の前にワンコが居ても

視点が定まらず、認識していないかのよう。


数ヶ月前は「会いたい」「抱っこしたい」って

泣いてたのに・・・。


母とワンコはすごく仲がよく、

いつも一緒でした。

母は、もう溺愛って感じで。


だからワンコに会わせれば少しは

前の母が戻るかなと

喜ぶのかなと


期待してたんですが・・・

もう、ダメなんですね。