余命宣告どおりに

丁度6ヶ月で父は亡くなりました。


体格が良く、丈夫だった父ですが

あっという間に骨と皮になり

死を迎えました。


父が亡くなるまで体に掛けて

使っていたバスタオル。


ボロボロですが捨てられず

枕の上にかぶせて

いまだに私と愛犬が使ってます。



緩和ケア

と言っても、父はすごく苦しんでいました。

薬など効いていないかのようでした。

痛み苦しみは個人差があるようです。


父よりも、もっと苦しむ人もいると

看護師さんから聞きました。


癌とは・・恐ろしい病気です。


え、ヤバイかも!?

という症状が出てから病院に駆け込んでも

遅いんだと思います。


初期症状は疲れや風邪や・・・

そんな症状に似てる場合もあるので

早期発見を逃してしまう人も多いのかも

しれません。


年に一度、健康診断をしてた父ですが、

終わった後に癌が出来始めたんでしょうね。

こういう運命だったのでしょうか。




この時期に関してのみですが

私は母を恨んでいます。


夫婦間でしかわからない

子は立ち入れない


そういうのがあるのは分かってますが。


父が自宅静養になった3ヶ月間、

母の父に対する言動は酷いイジメそのものでした。


子供の陰湿ないじめのような事が色々ありました。


本当にどうでもいい事で

具合が悪い父を怒鳴って呼びつけたり


父が手を付けたものは食べられないと

怒鳴りつけ目の前で捨てたり


目の前でタバコを吸ったり

ご飯を食べさせなかったり


どうせ長くないんだからと、本人に言ったり

もっと色々ありました。


私が食事を持っていくと父は、

「勝手に食べると怒られるから・・・」

と言いました。


一番弱ってて、しかも先が短い人間に

こんな仕打ちがあるのだろうかと。


私は母の目の届かない時に

父をフォローすることしか出来ませんでした。



父の入院中は私の行動も制限されました。

病院行き帰りの移動も合わせて1時間半。


10分でも帰りが遅くなると

私は酷く怒られました。


ある日母に

「(父は)どうだった?」と聞かれたので

「大変そうだったよ」と私が答えると・・・


自分の方が大変なんだと酷くぶち切れられ、

数日間いびりが続きました。


もう・・異常です。


葬儀の時に涙を流す母を

私は冷ややかな目で見ていたと思います。


私を怒鳴りストレスを解消する母。

これが、母が脳梗塞で入院するまでの5年間、

ずっと続きました。

 

 


病院で亡くなると、

すぐに出て行かなければなりません。


私は母に一報を入れ、父の身の回り品の

片付けに追われました。


葬儀屋さんが、なかなか来ない・・・

母に電話をすると、何もしていないとの事。

もしもの時にと、連絡先は自宅に置いてあります。


手帳に葬儀関係の電話番号が

控えてあったので助かりました・・・。

慌てて葬儀屋さんに連絡をしました。


エンゼルケア(遺体を綺麗にする処置)、も

終わりかけてましたが、

看護師さんに頭を下げ、もう少し待ってもらう事に。



そして父の遺体につきそい

病院裏手にある霊安室へ。


葬儀社の車はすぐに来てくれました。


その時居合わせた医師と看護師が

数人来てくださり、私達を見送ってくれました。


その後葬儀の打ち合わせをし、

自宅に帰ったのは夜23時。


葬儀は身内だけのこじんまりしたものに

なります。

遺体は葬儀社に預かっていただきました。


簡易なだけに火葬まですぐでしたし・・・。

出棺の日は自宅前を通っていきましょうと

気を使っていただきました。


出棺の時、母も父の職場の方も

皆泣いてました。

しかし私は泣きませんでした。


火葬の時もお墓に入るまでも

一度も涙を流しませんでした。



しかし、しばらくの後

書類を貰いに、父が亡くなった病院を訪れた時。


父と過ごした思い出のあるロビーを見た瞬間

胸が締め付けられるほどの悲しみに襲われました。


毎日通い、父と会話し

出口まで見送ってくれた父の姿。

父との最後の思い出の場所。


人目をはばからず

ぼろぼろと涙を流しながら家に帰りました。


本当にいなくなってしまったんだと。


私が泣けなかったもう一つの理由は

頼れる人が居なかったからです。


泣いている場合じゃない
自分が泣いて弱ったら

誰が父の面倒をみるのか


父の前では毅然としていなければ。


すべてが終わるまで絶対に泣かないと

自分を奮い立たせてたんですね。

これも今だからわかる事です。




そして母の面倒を見ていかなければ

ならない不安。


案の定、父が亡くなってから

母は精神的・肉体的に不安定になっていきます。

本当に大変なのはこれからだったんです。

 

 


2010年9月21日

この日面会に行った私は

父の壮絶な姿を目にしました。


眼球(白目)がぶよぶよになり

腕もパンパンにむくみ

いつもより激しくもがき苦しんで・・・


涙を流しながら私の腕を掴んできました。


苦しい

助けて


言葉は出ずとも伝わります。

父の涙を見たのはこれで2度目。


それほどに、肺癌とは

苦しいものなのかと。



タバコは依存性が強く、

一度始めてしまうとなかなかやめられません。

ヘビースモーカーになると

食事は抜いても我慢できますが、

タバコは我慢できません。

(個人差はあります)


父がタバコを吸ってなかったら

もっともっと早く禁煙してたら


こんな風に苦しむことなく

元気で仕事をしていたかもしれない。


今更こんな事を思っても遅いのですが。




2010年9月22日AM

病院から呼び出されました。


血圧上が50を切る

意識が戻らない。


私はすぐに駆けつけ、数時間

意識のない父に付き添いました。

穏やかな様子で、何をしても

指先一つ動かない。


きっともう目覚める事はないだろうと

そう感じました。


本来なら

家族が代わる代わる付き添って

傍に居てあげるものなんでしょうが、

私一人。

仕事をしながら

色々な雑務に追われ

忙しさと気の休まらない毎日で

心身ともに疲れ果ててました。


この時も母は自宅にいるだけ。

入院中は一度も面会に来ませんでした。



そして2010年9月23日18時頃

病院から呼び出しの電話。


病室の父の元に行くと

すでに息を引き取ってました・・・。


慌てて駆けつけましたが

間に合いませんでした。


腕に触れるとまだ少し体温が残ってました。


TVドラマなどではこういうとき

泣き崩れ死を悲しむ様子が

映しだされますが・・・


私は涙も出ませんでした。

「え・・・」

という感じで、驚くほど冷静で落ち着いてました。

自分でも不思議なくらいに。


私は3人兄弟の末っ子で、女一人。

なので父は私を溺愛していたそうです。

私もお父さん子で、幼い頃からベッタリでした。


年頃になっても大人になっても

反抗期とやらでも父を嫌だと思った事は

一度もありません。

逆らった事もありません。


父が絶対の存在だった

そんな私がどうして泣けないのか。


今だから思うのは、私の場合ですが

心身ともに疲れ果てていたからだと。


「終わった・・」


あの時心のどこかで、そう感じていたんです。

 


緊急入院となったものの、

ベッドが個室しか空いていませんでした。


一日1万5千円


とてつもなく高い。

民間のがん保険のお金が

振り込まれていたのでなんとか助かりました。


父の病室に入って目にしたのは

見慣れない医療・・装置。


胸腔ドレナージ術というもので

父の左肺にドレーンチューブで繋がっていました。

癌があるのは右肺上部。

左の肺は穴が開き、肺がしぼんだ状態だったそうです。


癌によって体の様々な機能が低下し

筋肉も落ち足はガリガリ。


父は力仕事をしていたせいもあって

ガタイがよかったんです。

癌が発覚するまで仕事をしてました。


ベッドに横たわった父は

変わり果てた姿になってました。



さらに父を苦しめたのが

全身拘束と痰吸引です。


両手足は紐でベッド柵に繋がれ

腰もある程度固定されていたので

寝返りも困難

ミトンもつけられ、まさにベッドに貼り付け状態

それが24時間毎日。


でも拘束をしないと、点滴やドレーンチューブを

抜いてしまうので(苦しいため)

仕方の無い処置でした。


私が面会に行くと真っ先に

取ってほしいと意思表示してきます。

一番困りました。ごめんと謝るしかできなかった。


意思表示・・・この頃はもう

言葉を聞き取るのが困難なほど

声が出なくなってました。


そしてもう一つの痰吸引。

自分で痰を排出することが出来ないので

ストローほどの太さのチューブを鼻から通し

痰を吸引するんですが、

ものすごく苦しいらしいです。


痰がすぐに溜まって呼吸が苦しくなるのか

頻繁に処置しなければなりません。

その様子があまりにも苦しそうで、

私は直視できませんでした。


看護師の話によると、時々うわごとのように

名前を呼んでいるとのこと。

家族の誰かでしょうね・・・。


薬のせいもあって、意識は常に朦朧とし

意味の分からない言葉も発します。

痛みや苦しみを和らげる薬を使っていても

あまり効果はないらしく、

ずっと苦しんでいました、毎日毎日。


この入院から2週間程経った頃から

病院から呼び出されるようにもなりました。

血圧が急激に下がり意識が無くなる。


いつ・・そうなってもおかしくない状態でした。




この時からナースセンターと隣接している

症状が重い人たちのいる特別病室へ

移ることになりました。

 

頻繁におこなっていた痰吸引も

最低限の回数のみとの説明を受けました。


痰吸引をおこなうと、その苦しさから

ベッドサイドモニター(心拍・血圧を表示する装置)の

数値が乱れまくるのがわかります。


それが状態の悪化や命に関わるからだそうです。

2ヶ月ほどの入院生活を終え、

自宅で静養となりました。


月に数回放射線治療を受け

薬を貰いに通院となります。


退院の日、AM10時との事なので

早めの9時半ごろ病室に行こうとしたら

すでに荷物をまとめた父がナースステーションの前で

待っていました。


そうですよね、早く家に帰りたいはずです。


しかし問題は、とある事が原因で

仲の良くない母が家にいる事。


仲が良くないといっても、心配はしてるようですが・・




2010年6月上旬から約3ヶ月弱

父は自宅で過ごす事になります。


夏の暑い時期と言うこともあって、

食の好みも変わり(病気のせい?)

しつこいものや、クセのある食事を嫌いました。

そうめんをよく食べてましたよ。

あと、具合が悪くてもケーキだけは喜んで

食べてました。


父の好きなものを食べさせる予定でしたが・・・

そうめんがいいとそればっかり。

さすがにソレだけだとダメなので、

栄養価が高いものも与えました。


やはり体調は徐々に悪化し始めました。


特に痰の量が凄かったです。

ゴミ箱はティッシュが溢れんばかりに。


日にちが経つごとに、

お風呂や近所の散歩も辛くなり

部屋でTVを見ながら横になる毎日という生活に。


家に居る3ヶ月間で、入院前よりも

体調が悪くなっていました。




そして2010年8月26日

その日はちょうど病院へ行く日でした。

朝、父の顔を見てすぐに異変に気付く私。


目の焦点が定まっていないんです。

意識や反応もあり、会話もできました。


自分で歩ける様子だったので、

タクシーで病院に連れて行きました。

まだ予約の時間より早いけど

様子がおかしいからみてもらおうと。


病院前でタクシーから降りる時です。

私が支払いをしていると、先に降りた父が

前のめりになって止まれずに

そのまま転倒してしまったのです。


苦しそうに呻く父。


近くの男性が助け起こしてくれて、

車椅子に座らせました。

その転倒のショックからか、

父の様子がさらに酷い状態に。


最初から救急車を呼べばよかったのか・・・

私は後悔しました。


車椅子に座ってても苦しそうに呻く父。

内科受付に連れて行き

事情を話しました。

先に検査を受けてくださいと・・・。


それどころじゃないんだけど


採血も介助しないと出来ない

レントゲンもうまく撮れない


さすがにもう一度内科に行き

今度は処置室に居る看護師に

事情を説明しました。


看護師は父の様子を見るなり

酷い状態だと認識してくれたようで

すぐにベットに寝かせて

簡単な処置をしてくれました。


この後移動ベッドで運ばれ検査を受けた父。


この日が自宅で過ごした最後の日。

・・・そして緊急入院となりました。