母に面会に行く時は

必ず食事の時間で、私が食べさせてます。


最近はミキサー食なんですが、

パッと見どういうおかずなのかわからない。


なにもかもドロドロなんです(笑


私が味見をするわけにはいかないので

メニューを見て確かめるんですが、


なんにしろ原型をとどめていないので

この色は何の食材なんだろう?

って感じです。


ちなみに今日は天ぷらでしたが

天ぷらをミキサーにすると

どんな味なのか・・・?

果たしておいしいものなんでしょうか・・?


それでも毎回なんとか完食してくれます。


そのうちこのミキサー食さえも

むせて食べられなくなる日が来るかもしれません。



今日は終始抜け殻のような状態で、

私の言葉に一切反応してくれませんでした。


一度でいいから

私の名前を呼んで欲しいな・・・。

 



5年前に父が亡くなってから、

母の体調(精神面も)徐々に弱っていきました。


同じ事を何度も話す。


怒りっぽくなる。


曜日・日にちがわからない。


過去に自分が言ったことを忘れる。


電話番号・住所などをサッと言えなくなる。


携帯電話を使えなくなる。


銀行等の用事ができなくなる。(ATM操作が分からない)


電卓で計算ができなくなる。


字がうまく書けなくなる。


物をしまった場所を忘れる。(お金とか)


固定電話の使い方が分からなくなる。


物の名前が思い浮かばない。

「あれをこうして」←まんまこのように言われます。


自分の思った事を言葉になかなかできない。

(どもりが酷くなる)


お風呂・台所コンロが上手く使えなくなる。

(火を点けるということができない)


使っていない蛇口を閉める・電気を消す・TVを消すなど

できなくなる。


常識的なことが理解できなくなる。


上記の他に、

すり足で小刻みに歩く・バランスがとれなくなる(転倒する)

排泄管理が出来なくなるなど

色々な異常な症状も出てたんです。



多少の事は、高齢なのと父が亡くなったショックから

・・・だと思ってましたが、


かなり病的な事も多くなってきた頃、

私は母の機嫌のいい時に指摘して

何度も何度も「一緒に病院に行こうよ」と言ってました。


しかし母は拒否。

あまりしつこく言うと、怒って手がつけられなくなるので

お手上げ状態でした。


その当時、私は『水頭症』も知らなかったし

まさか脳梗塞になるとも思ってませんでした。


もしかして、アルツハイマーの初期症状かもと

心配はしていましたが・・・。




緊急入院した当初は、

外傷性硬膜下血腫・水頭症

としか診断が出ておらず、


医師に水頭症の手術をしますか?


と言われてました。


私はそれで良くなる可能性があるならばと

お願いしますと返事をしました。


この時私は、水頭症の手術をすれば

母は回復し、また家で過ごせるようになると

期待をしてたんです。


しかしその後


医師に呼び出され、MRIの画像を見せられました。


私「この白い大きな影は何ですか?」

医師「脳が壊死しています」

私「え・・?という事は??」

医師「脳梗塞です」


水頭症の手術どころではなくなったんです。


医師「水頭症の手術をしても良くなるとは限りません。

 お母様の場合、足腰の状態・痴呆、そして脳のダメージも酷く、

 手術自体も身体に大きな負担となります。

 もし多少歩けるようになったとしても転倒の危険性が増し

 介護する家族の負担もかなり大きなものとなります。」


この後しばらく話し合い。

介護する私の立場を考えての

医師の言葉に有り難さを感じました。


水頭症の手術に関してはかなり悩みました。


母も自分の足で歩きたいはず・・・でも・・・。

私は手術を受けない選択をしました。


思っていた以上に母の身体はボロボロで

私一人では、もうすべて・・・抱えきれなかったんです。


この選択は今でも

間違っていなかったとは言い切れません。

 

 





母の面会に行ってきました。


くるぶしから下がパンパンに浮腫んでました。

怪我をして腫れ上がったかのように

異常なむくみ具合。


利尿剤を処方されているようです。

身体の代謝機能が落ちているのでしょう。


私が声掛けをしてもほぼ反応なし。

しつこく話しかけて、フッと気が付くような感じで

たまーに相槌をするくらい。


一日中

ただ座ってるだけ

ただ寝てるだけ

寝返りさえできない

毎日、毎日


TVも、音楽すら認識できない

何もできない。


生きがいや

日常の当たり前の行動。

それらをすべて失ってしまった母。

普通だったら気が狂ってもおかしくないです。


病気の影響で酷い痴呆になってますが、

それに救われてるという面もあるかもしれません。


ただ、正気に戻るわずかな瞬間に

絶望感に襲われていると思います。


少しでも長生きしてもらいたいですが、

こんな状態で生きていかなければ

ならないのは残酷です。


いつ以来か

母と意思の疎通ができました。


私の顔を認識したのか、

わずかに笑顔


私の問いかけにたまに

うん

と相槌


最後は泣きながら

ごめんね、ごめんね

と何度も・・・


本当に久しぶりに

きちんとした母の声が聞けました。


これだけだけど

嬉しかった。


やっぱりどんな状態になっても

心の奥底にちゃんと居るんだと、

そう思うことができました。

父がこうなって、

本当に助かったなと思ったのは

がん保険です。


これに入ってなかったら

金銭的に詰んでいました。


父のようにたった半年、

しかも抗がん剤などの治療を

していなくても、ん十万単位で

お金が無くなりました。


一時期個室に入ったせいもありますが・・・。


母が脳梗塞で入院した時も

医療保険に助けられました。


大病になると、とにかくお金が掛かります。



そして何気に困ってた事、


癌になり残り短い余命宣告を受けた人。

どういう心境になるのかは

自分がそうならないとわからない筈です。


父は自分の心境や病気の事に関しては

一度も、何も言いませんでした。

愚痴も泣き言も言いませんでした。


そんな父に

頑張ってとか

なくざめの言葉なんて言えません。


健康で、これからも元気で過ごしていける人から

そんな事を言われても安っぽい言葉にしか

聞こえないんじゃないか。


・・なんと言っていいのかわからないんです。

ただいつものように

何気ない会話をする事しかできませんでした。


長年夫婦として連れ添ってきた母にならば

父も何かを伝えたかもしれない。
母が普通の状態だったら・・ですが。



癌も含め色々な病気は早期発見に越した事は

ありません。


がん検診やら呼びかける声もありますが、

行こうとは思わない人も多いのでは。


まさか自分は・・・ってね。

私もそうです。


でも、いつもと違うな・・と感じたら。


放置せずに病院へ行ってほしいです。


私の父も母も、放置したために

手遅れになりました。


みんなが当たり前にできる事が

出来なくなる。


ご飯を食べて

トイレに行って

趣味を楽しんで

外を歩いて

仕事をして

夜ぐっすり眠る


できる事が当たり前なので

気付かない幸せ。


これらが普通にできることは幸せなんだと

時々思うようにしています。