今日は息子の誕生日です。

1974年(昭和49年)6月5日生まれ。

50才になりました。

人生100年とすれば折り返しに来ました。

息子は息子の人生を一生懸命生きています。

息子が50才なんて不思議な気がします。

私自身が82才なんて不思議な気がしているのですもの爆笑

今朝から息子の生きた半世紀を振り返っていました。

上の子とは1年2ヵ月違いで生まれたので、上の子に手を取られて、あまり構ってあげてません。

小さい頃の息子は辛抱強いと言うか忍耐強い子供でした。例えば積み木があれば、半日でも積み木をしている。公園の砂場に連れて行くと半日でも、砂で遊んでいました。一点集中型でした。

本は物語より、図鑑が好きで、魚、動物、車などの図鑑を、おばあちゃんに何度も読んでもらい、暗記しているので、字は読めないのに、内容を全部私に教えてくれてました。

末は博士か大臣かと思いました。爆笑

小学三年の時、担任の先生から、◯◯君はラサール高校に行かせるつもりでは?なんて言われたり、6年の時には、おそらく学年で1番でしょう、と言われました。テストはオール100点でした。

先生からそう言われて、私と夫は嬉しくなって、息子に期待をしました。

中学に入ると、偏差値が60以上の生徒が行く塾に行かせました。ところが、この塾には近隣の中学生のトップクラスの生徒が行く塾だったのです。

そこで息子は挫折したようです。

勉強をしなくなり成績は落ちていきました。

しまいには、高校も大学も行かん、中学出たら働くと言い出しました。

夫は仰天して、大学に行かないならせめて高専に行け、と説得して高専を受験。中学の先生から、高専は無理でしょう、と言われていましたが、2週間の受験勉強で合格しました。たった2週間の勉強で偏差値50くらいから偏差値60以上の高専に合格したのですから、集中力はすごい子供でした。しかし高専に入ってからは勉強はしないで遊んでばかり。髪は伸ばして赤く染めて、Xジャパンの真似してバンドを作り、ライブに出たりしていました。私が、髪はどうかならんのね、と言いますと、今だけよ、18になったら切るから心配すんな、と言い、本当に18才の誕生日に髪を切って帰ってきました。

それでもパチンコ、マージャン、ゲームセンターで遊び、アルバイトをしたりして勉強はしていませんでした。私が、もっと学生らしい生活をしなさい、と言うと、「母ちゃん、俺はシンナーも吸わん、暴走族にもなっとらん、引きこもりもしとらん、この三つの一つでもしたら、母ちゃん、アンタ心配せにゃならんけど、この三つをしとらんから何も心配せんでよかよ」と言うのでした。

しかし高専は自分には合わんと言って退学。飛び込んだ世界が美容師の世界。

10年間、同じ店で修業をして独立開業。

開業したものの、思うようにはいかないで何度も倒産寸前まで行きましたが、Mちゃんという良き伴侶に巡り合い、Mちゃんの前職を捨てての献身や私の後方支援などもあり、現在は繁盛しております。

今日は私の手料理でささやかに祝いました。

息子に50才なった抱負を聞くと、これからも楽しく生きていきたいと言いました。


手は50を表しています。

私に似てひょうきんです。

優しく、明るい性格ですので、誰からも好かれ、お客様も30年前から贔屓してくださる方が多いです。Mちゃんも明るくて、癒し系の人柄ですので、お客様の評判も良いです。

2人がこれからも健康で仲良く生きていくことを私は願うだけです。