先日、テレビを見ていたら、新入社員が2日勤務して辞めた、という話でした。
えっ!たった2日で 辞めるなんて!
その新入社員は、自分には合わない会社だと思ったと言ってました。別にパワハラやセクハラがあったわけではない。就活の時、聞いた話と食い違うと言うのです。私はただ驚きました。
それは入社前の話と実態が違っているかもしれないけど、時代が変わったなあ、と思いました。
現代は雇う側より、雇われる側の方が情報量が多い時代ですね。
そこで私は自分が11年間勤務した銀行時代のことを思い出しました。私が就職した銀行は地方銀行でした。地方銀行と言えど地場企業です。大きな組織です。あの頃は何も知らない無経験の新入社員を1年かけて育てていました。
現場で仕事の一つ一つを先輩行員が教えてくれました。一年経った頃には戦力になっていました。 あの頃は社会全体にも余裕があったような気がします。
入行して1年後、銀行には本店に研修室なるものがあり、支店から女子行員を1人ずつ集めて研修をしていました。3泊4日の研修で研修室外に宿泊施設もありました。
研修では、主に行員としてのマナーを勉強しました。
その時、ロールプレイングで、クレーム客の対応する場面を実際にさせるのです。
クレーム客には研修室長がなり、電話で応対する役を、誰かするように言われても誰も手を挙げません。こういう時、やったろかの気分になるのが、のぼせもん気質の私です。
研修を受けていたのは50人くらいでした。
約20分間、クレーム客と電話応対をする私。
クレーム客はクレームの他に銀行の義務についてもいろいろ聞くのです。それは銀行側が、私達行員がどれくらい業務を取得しているかを知る要素でした。私の澱みない対応と完全にマスターしていた義務知識に研修室長はベタ褒めしました。
その夜、宿泊施設に戻ってから、他支店から来た人達が私を囲み、一斉に親しくなり、毎日が楽しかったです。
それから1年後、私と同じ年に入行した私の友達(高校のクラスメイトで仲が良くて親友だった)と研修室を訪問したことがあります。
事前にアポは取っていましたので、研修室長が迎えてくれました。とても喜んで、お昼前でしたのでホテルに連れて行き、食事をご馳走してくれました。多分予約してあったようです。
田舎娘の私達は、そんな高級そうなホテルで食事などしたのは初めてでした。
テーブルの後ろにはボーイさんが立っていて、椅子など、さーっと引いてくれるし、穏やかで竣敏な応対に、大いに勉強になりました。これも研修室長の狙いだったかも?
ブラック企業だった銀行
私が入行したのは昭和36年4月。
日本が戦後の貧困から、抜け出し、経済が目覚しく発展していく時期でした。
入行1年後には戦力になっていました。
窓口での応対は主に女子行員。
銀行の発展は、貴女達の窓口での応対にかかっています、と言われて、愛想よく、テキパキと仕事をしたものです。
経済成長の途上の真っ只中、銀行の仕事量は増大していきました。
窓口は午後3時までですが、それから内部の事務処理は毎日8時より早く帰れないほどでした。
8時に帰宅できるのは週一回くらいでした。
月のうち、20日過ぎると事務量は半端なく増えて、帰宅時間は11時、12時。
残業の毎日でしたが、女子行員の残業は一日2時間、週6時間の労基法に縛られて、毎日6、7時間残業しても1ヵ月24時間しか残業手当はつくだけ。労基署の視察があると情報が入ると、私達女子行員は8時になったら私服に着替えさせられ、仕事をしました。労基署が来たら遊びに来ています、と言いなさいと言われて、私達女子行員は言われた通り働いたものです。労働者意識なんて皆目なく、真面目に働いていました。
事務量は人力でするピークに達して、私が退職してから、コンピュータが導入されました。
今でも、その当時一緒に働いた後輩と話します。
"私達はよく働いたよね。ただ働きばかりしてさ、今でいうブラック企業だったよね"
そんなことを思い出しました。
半分休日のフリーデー
今日は洗濯はありますが買い物は休みますので、半分休日です。 夕食は作ります。
夕食作りをしない日は月のうち一回か二回。
洗濯は毎日。給料なし、食費出して働く私はブラック企業にいるみたい
昨夜は洗濯したマフラー、ショール、ストールのアイロンかけをして収納しました。
片付けをすると気持ちが清々しくなります。そして更なる意欲も湧きます。
今日は映画見に行こうかと思ったけど、雨も降るし、見たい映画がないし、家で読書でもしましょう。
今朝は5時に目が覚めて、眠れなくて、ブログ訪問と投稿と相成りました。
皆様にとって今日も佳き日になりますように!