昨夜11時15分頃、入浴を済ませて、寝ようとベッドに腰掛けた時、スマホからのけたたましい音。"地震です。地震です!"程なく、揺れた。身体に感じるか感じないかの揺れ。すぐに自室を出てリビングに行くと、息子夫婦は起きていた。
息子は食器棚を押さえている。
「何してるの?本当に倒れたら怪我するよ!離れなさい!」と言ったら、息子は食器棚から離れた。すぐにテレビをつける。
四国の愛媛県、高知県が震度6と出ていた。
北九州は震度3。揺れは一度だけで、すぐに止んだ。
それから眠れず12時過ぎまでテレビを見ていた。
ピピはハンモックの中で寝ていて微動だにしない。あの揺れは感じなかったのかしら?
インターホンの音にはビビッて、家の中を逃げ回るピピなのに悠々と寝ている。
翌朝が早い出勤と言う息子夫婦。
「起きていてもしょうがない。寝よう!」
で寝ました。
ここまでは昨日のこと。
福岡西沖地震
地震で忘れられないことがあります。
それは2005年(平成17)3月20日のことでした。
その頃は八幡に住んでいました。
その日は以前、習っていた踊りの流派の先生の踊りの会があるので、近所の踊り友達7人で車二台で観に行くことになっていました。
私宅の隣りの家の前で車に乗り込んだら、何やらガタガタという音がしました。
皆んなは外にいて私と運転する人だけが乗っていたので、多分エンジンの振動だろうと思っていたら、外にいる友人達が騒がしい。出てみると"地震よ!" って皆んなが言っていた。
地面が揺れている。しばらくしたら止んだ。
すると私の夫が外に出て来た。
「あ、お父さん、大丈夫⁈」と言うと夫は私を睨みつけて、黙って家の中に入った。
すぐに出発すると言うので、家に戻るわけにもいかず、そのまま出発した。
会場に着いて家に電話をした。
一回目は夫が出た「あ、私」と言うなり電話はガチャンと切られた。それから何回電話しても出ない。
踊りが終わって帰宅。
「お父さん、地震大丈夫だったみたいね。何回も電話したけど出なかったね」と私が言うと、「お前は地震というのに家が心配でないのか!それにお前達仲間は誰一人として家に戻るやつはいないで踊り見に行った。実に薄情な女房ばかりだ!」とカンカンに怒っていました。
そんなことを思い出しました。
今朝は6時に目が覚めましたが、息子夫婦はまだ起きていないようでしたので、自室に戻り、今日午後から踊りの稽古ですので、持ち物点検したり、ブログを訪問して、7時になったので、洗面所に行き、洗濯機にスイッチオン。
ここは集合住宅で、しかも私は最上階ですので、朝早く洗濯したら階下の人に迷惑かけると思い、7時まで待ちます。お風呂も夜遅くに入ると水音が階下に響かないかしらと思うので、11時過ぎて入浴する時はじーっと浸かっているだけです。
さて今日は午後から踊りの稽古です。
お天気もまあまあのようですので、頑張ってきます。