27日より29日まで別荘(旧居)に行っておりまして、昨日夕方帰宅しました。
別荘では紫陽花が色つき始めています。
別荘の紫陽花です。
今回の別荘行きの目的は29日に整形外科の診察があるので行きました。
5月はなんだかんだで忙しくて別荘に一回も行っておりません。
一カ月ぶりでした。
別荘行きの前日(26日)ある人から何十年ぶりに電話がありました。
その人の名前はHさん。Hさんとは、私が30歳代に生協活動をしていた頃の活動仲間です。
年は私より3歳下。市営アパートに居た頃で、棟は違いますが、同じ団地でした。
子供も二人いて、年齢も同じくらいでした。
Fコープ生協の前身、北九州市民生協の時代で、生協が発足して間もない頃でした。
アパート内で班を作り班長をしながら、地区の運営委員になり、一生懸命活動したものでした。
その運営委員の仲間の一人にHさんがいました。
Hさんが40才の頃、ご主人が脳梗塞で、半身不随になりました。
Hさんはすぐに運転免許を取り、ご主人に代わり一家を支えるために会社勤めをしました。
ちょうど、その頃、私は椎間板ヘルニアになり療養生活をしていました。
そして生協活動を止めました。
その頃からHさんとは疎遠になりました。
でも年賀状の交換や、たまーに、同じ活動仲間で直方に移転した友人の所にHさんの車で行ったこともありました。
お互いが家族のことで忙しい時期は音信も途絶えていました。
ところが、私の夫の告別式の日の朝9時頃、Hさんが葬祭場に一番に来てくれました。
びっくりしました。何年も疎遠になっていたのに、告別式にしかも朝早く誰も来ていない時間。
「誰から聞いたの?」と尋ねましたら、「新聞の訃報欄に載っていたのを見た、今、仕事の帰り。早朝に掃除の仕事を2時間している」と言いました。
どうも、会社を定年になってから掃除の仕事をしていたようです。
そんないきさつがあったHさんからの突然の電話。
「仕事は完全リタイアした。これから遊ぼうと思う。明日息子が小倉に行くのに乗せてもらうので、小倉のどこかで会えないかな?」と言う。
「明日から八幡に行くのよ。八幡で会えないかね?」と言うと「八幡なら、なおいいわ。駅まで迎いに行くわ」と言ってくれ、駅まで迎えにきてくれました。時間は昼時、デパートでランチしました。
そして別荘まで送ってもらいました。
Hさんのご主人が脳梗塞になってから33年。現在、右半身に麻痺があり、言語も少し不自由だけれども、洗濯ものをたたんだり、左手でできることは何でもするし、歩行も杖をついて出来るし、風呂も一人で入れるので、そんなに手がかからないと言う。
明るく屈託なく言うHさんを見て、これまで随分苦労があったろうなあと思うと、胸がいっぱいになりました。再会を約束して、さよならしました。
そしてそして、もう一人、夕方から会う予定になっていた人が別荘に来ました。
その人はIさん。Iさんのことはブログでも書いたことがあります。
IさんもHさんと同じ生協活動時代の仲間。
Iさんは私より2才年下。Iさんは乳がん友でもあります。
IさんとHさんは近くに住んでいながら、何年も会っていないらしい。
Iさんが私の八幡行きに合わせて来訪することは早くから分かっていましたが、HさんにはIさんのことは伏せていました。
Iさんは夕食持参で、ご主人に送ってもらって来訪。
午後4時から午後7時半まで話して、まだ話し足りないと言いながら帰宅しました。
この夜はテレビを遅くまで見るつもりでしたが、疲れの残っている身体は床に就くやバタンキューでした。
こうして別荘一日目は終わりました。つづく