二月も後半だったか、体調が悪く仕事を休んだ。
それは風邪の初期症状なのか、花粉症の影響なのか、はたまたストレスからくるものなのか。今では定かではないが、とりあえずパソコンに向かうだけの元気はあるしあれから仕事もスケジュール通りに出勤している。
 その日、通常ならそれこそ無理やりにでも布団から体を起こして、身支度を整えて、最寄りの駅に向かっていくところがそうはいかなかった。
 年末年始と忙しく、長い休みも取らずに働いて、どこか体調が悪くてもなんとか自分をだましつつ頑張ってきたから、ついに二月も終わりに近づいて、疲れがたまっていたのだろう。私は、申し訳ない気持ち半分、
「いいじゃねえか別に、私ごときが病欠したって誰かが簡単に埋めてくれるであろう、その程度の存在でしかないし」
という気持ち半分で上司に連絡をして、休みを頂戴することに成功した。
 上司に連絡するまえに、一応形だけでもと体温計をわきに挟んでみたら、それなりに熱があった。
 もう一眠りする前に、きちんと体温を測りなおしておこうと思い、私はガラス製で中に水銀が入っている少し古い型の体温計を、わきに挟みなおした。たぶん、上京したてのころに、一番安いからと買っておいたものだった。
 それから何分経ったのか、私は尿意を催してトイレへと立ち上がった。
 ふらふらと歩いていき、便座に座ろうと着ていたパジャマのズボンを下ろそうとした。
 なにか、硬いものが床に落ちて割れた音がした。
 なんだろう。
 私はあまり気に留めず、用を足し、トイレのドアを閉めようとしてその場を振り返った。
 トイレの床に体温計が落ちている。
 あぁ、さっきの音はそれか、
と思ってよく見ると、体温計が割れていた。
その時もまだ、私は重大なことに気が付かない。
 まあ、別に体温計なんて新しく買いなおせばいいし、なんて軽く考えながら布団に戻った。
 それから、念のためにと近所の病院へ行き、薬を出してもらい、レトルトなどすぐに食べられるものを買い込んで、新しい電子体温計も買って、帰宅したのが夕方を過ぎていた。
 重大なことに気が付いたのはその後だった。
 
 子供のころの記憶で、なぜかはっきりと部分的に覚えていることは誰にでもあると思う。
 私はそのうちの一つに、小学生のころで体調を悪くしたときの思い出がある。
 
私はこたつに入りながら、自分のわきから取り出したばかりの体温計を振って、体温計の温度自体を下げようとしていた。(今の若い子にはわからない話なのかな?)
 これをやってからケースに戻さないと、次に計るときに正しい体温がわからなくなるし、まず親にそうしろと言われていたからだ。
 まだ子供だったし、その当時は本当に熱が高かったんだろう。ぼんやりしていたせいか、こたつの上に置いてあったコップに気が付かず、力任せに振ったらコップにあたり、体温計は割れた。もしかしたらコップではなく、それを避けようとしてこたつの上のテーブルのふちに当たったのかもしれない。そのあたりははっきりと思い出せない。
 だけど、そこからの母の素早い動きはよく覚えている。
 こたつの上や、こたつ布団をつたって床に落ちていく小さな丸い、ねずみ色をしたたくさんのつぶつぶを、母は普段では見せない素早さで、しかも素手で集めようとしていた。
なんでそんなにあわてているの?
割ってしまったから怒っているの?
子供ながらに思ったのはそのくらいのことで、そのねずみ色をしたつぶつぶが、有害なものであることなんてわかるはずもなく。

そのあと、母がどうしたとかはまったく覚えていない。
私が水銀というものを理解したのは、それから何年後だったかわからないけど、ただ、あのときの母の行動は、拍手に値するというか、こういうのを母性本能というのかなぁと、ぼんやりとそれからも私の記憶のなかに刻まれていた。

話を現代に戻します。
病院で薬をもらい、食料も買い、安心して帰宅したところでさっきの子供のころの記憶が戻って、私はあわててトイレの床を確認した。
体温計の先端部分のガラスが割れて、粉々になっている。
本体部分もすぐ近くに落ちていて、ガラスの割れ方としては簡単に掃除できそうな様子。
あれは?
どこにいった?
もしかしてまだ、本体に残っている?
あわてて目をこらすと、それはすぐに見つかった
ねずみ色で、つぶつぶしたもの。
 現代はこういうとき楽だ。スマホで、対処法を検索すればすぐに出てくる。
 素手では触らない、気化して吸い込んではいけないので換気をする、と出てきたのでそれを実践する。だけど、細い溝に入り込んだ水銀は、スライムか水みたいに簡単には取れなくて、奥の手だと思って使ったつまようじも役にたたず、私はちょっとしたパニックになって実家に電話をかけた。
 結果、掃除機で吸い込んで、水銀だけを取り出してビンなどに入れて不燃ごみとして捨てれば良いということで、なんとかなった。

 実際に水銀を吸い込んだり、素手で触ったらどうなるのかまでは恐ろしいので調べたりしなかったけど、パソコンに向かっている現状としては私は普通だ。
 子供のころ、いや、私は二十歳をすぎてもしばらくは母を好きにはなれなかった。むしろ大嫌いだった時期のほうが長い。だけど、あのときの母の行動は、どう考えても敬意に値すると思うし、まだ独身の親不孝者としては、母性本能というのがどれほどのものなかわからないけど、ただただ、すごいなと思う。