1月31日に退職して、本日で2件目の応募書類を送ったよ。
面接までたどりつければいいな、
というか、はやく就職を決めなければ。

リストラされて早や10日。時間の過ぎるのは速い。
あっというまだよ。気持ちは焦るいっぽうだ。
きょうの応募先は、作文400字の課題があったんだ。
厳密にいうと、360字から400字でまとめないといけないんだけど、
おそらく700字ほど書いた。
ワープロソフトで書いたから、400字くらいの感覚で読んでもらえればいいと思った。
それより、問題なのは中身。

それにしても、未経験の仕事の作文書くのはしんどい。
どうしても一般論で終わってしまう。

やはり、自分の言葉で具体的なことを書かないとね。

さて、おじさんのあしたはどっちだ。

あしたのためのその1

とにかく粘るんだ!






ほんと、ドカ雪だった。
本来なら連休で家にこもっていればいいのだけど、
就活の身ともなれば、そうとばかりも言っていられない。
移動で自転車を使っているので、雪は困るんだよね。
きょうか、あす、お世話になった方と飲む約束。

  
 これはきのう夜の写真。ちょうど、雪がやみかけたころだ。
朝の写真と比べると、差は歴然。

  
 マンション最上階の廊下にも、ほらこんな感じで。

  
 まるで雪国だよね。

  
  
 きのうは家で遊んでしまったので、応募書類書かなきゃ。
応募先を調べて、仕事内容に合わせて、
志望動機を吟味していくことになります。

就活の鉄則2

自分が仕事で身に着けたスキルを整理してまとめることを、
棚卸しなんていいます。
それを職務経歴書に【成果】などとし落とし込んでいきます。
きちんと整理していれば、面接の質問にもすらすら答えられる、はず。



 
 
 
  
   
 朝起きたら一面の銀世界。
これ、まだ午前中だからね。

いま雪も小降りになってるけど、
さらに積もっています。
あすはどうなっているんだろう。
家でじっとしています。

 
いきなりで、すみませんが、ブログタイトルを一時変更させていただきました。
題して「コイルのリストラなう おじさんの就活日記」
といっても、読者の方はほぼいないようなので気楽です。

「リストラなう」といえば、大手出版社を早期退職した経緯を綴った、たぬきちさんのブログが有名ですが、
ぼくの場合、そのような派手さはありません、あくまでたんたんと綴っていくのみです。
ただ、たぬきちさんと、多少の共通点はなくもないのですが、
今の段階ではまったくありません。

さて、そういうわけで、本日向かったのはハローワーク池袋。

 
ハローワーク池袋はサンシャイン池袋の中にあります。
 
 隣には東池袋公園があります。きょうも寒かったです。
ぼくの場合、移動手段は自転車ですから。

 
 よくわからないかもしれませんが、入り口です。

 
 総合受付です。
ここに行けば、大抵のことがわかります。ナビゲートしてくれます。
ちなみに、ハローワーク池袋は、日本でも一番規模が大きいところとして知られています。
ぼくも有名な就職支援会社を1年ほど利用したことがあるのですが、(もちろん元いた会社のカネでですがね)
「仕事を探す」という意味合いにおいては、なんら遜色はありません。

 
 ねっ?けっこう広いでしょう?
求人票の検索機が100台以上あります。

 
 
求人票をプリントアウトして向かうのが、
こちらのブース。
就職ナビゲーターという専門の方が相談に乗ってくれるとともに、
応募先に連絡をとってくれます。
もちろん、応募書類を郵送もしくは持参するのは本人です。

ナビゲーターさんには当たりはずれはあるのですが、基本的には問題ありません。
本日の方はとても親切な方で勇気づけられました。

 
  
  
 現在の都内事業所の最低賃金。
これ以下だと、ブラック企業。
もちろん、賃金だけで判断できませんが。



就活の鉄則その1

朝いちばんにいくこと。空いているし、生活のリズムが安定する。
仕事を探すことそのものが「仕事」だと認識すべし。

(次回に続く、かな?)



 



 
 
本日、行ってきたのは、ハローワーク池袋の支所ともいうべき、
成増ワークプラザ。
東武東上線成増駅前のビルの中にあります。

 
 入り口はこんな感じ。
 ハロワ池袋と距離的には変わらないんだけど、行ってきました自転車で。
きょうは寒かったなあ。

 
まずは、受付で検索カードをもらい、検索機の前に。
ハロワも変わりましたね。
ぼくは転職経験がわりとあるので、30年前のハロワも覚えているんだけれど、
当時は、ファイルから紙製の求人票を探して窓口に。

若いころは杉並に住んでいたので、新宿の職安に。
当時はハロワなんて言わなかったよ。

よく覚えているんだけど、30年前職安にいったとき、
窓口で照会してもらって、会社に電話してもらったら、
すぐに面接にきてください、ときたもんだ。
普段着で行ったもんだから、
翌日になりましたが、その場で即決しました。
まだ、若かったからね。時代もよかった。
選ばなければ、適当なところがあった。

いまはそうはいかない。
時代が変わってしまったからね。
歳も食っちゃったし、中途半端なおじさんに職はなかなかありません。

いま、本日、紹介してもらったところに応募書類を送ったところです。
求人2人のところに20人も応募があったよ。
コンピュータで管理しているもんだから、
応募状況がわかるんだよね。
きょう応募したところは、
「履歴書みたいなもの」をダウンロードして、自分で入力するといった塩梅。
もちろん、ハロワで印刷してもらって、手書きで書いてもいいんだろうけど、
パソコンスキルを見られるので、手書きはまずいと判断しました。
といっても、たいしてスキルはないいだけれど。


 
(拡大できません)

 こんな感じで、パソコン(検索機)の前に座って、
みなさん、求人情報をチェックしています。

 
ここが受付。写真を撮ろうとしたら、係の人に逃げられてしまいました。

さて、おじさんのあすはどっちだ。

先日の土曜日、巣鴨のとげぬき地蔵に行ってきました。
正式には高岩寺。

 


 
若い子もそこそこいましたよ。

 
お香の煙でお清め。

 
とげぬき地蔵。こうやって清めてあげると、いいことがあるんだって。
かなり並んでいました。休みの日には、並ぶ覚悟が必要。

 
おみやげも売られています。
 
  



 
 
勤めていたのが「零細企業」なので、1月31日、自分で新宿ハローワークで退職手続きをしました。

ここに本日ふたたびおもむき、離職票を入手。
なぜかというと、退職日のあとではないと、離職票はもらえないんだよ。
 
こんな感じ、混んではいなかった。

 
ちなみに、この写真は、職安に向かう靖国通りで撮ったもの。
コマ劇場が高層ビルに変身中。

池袋ハローワークで給付手続きの認定をするため、池袋へ。

 
5年前に会社を辞めて、たびたび通った池袋ハローワークです。

 
窓口で渡された書類。
「自己都合」で辞めたので、給付開始まで3か月待たないと。

ていうか、次の仕事を決めなきゃ。






後味の悪い退職届でした。
ただ、ぼくが思い描いていたワナが仕掛けられていました。
やはり、仕方なかった。
あす、朝一にハロワで正式な退職手続き。

自己都合って何か月待つんだっけ?
あす2か所のハロワに行ってきます。

さあ、就活だ。




荻窪駅北口といえば、かつては焼き鳥屋「鳥もと」の印象が強い。
駅前の立ち飲み屋の風情が、わりと魅力的で、
ぼくが学生時代の印象では、昼間から競馬新聞片手に、
鬱屈しているおじさんたちがたむろしている店といった感じだったが、
経営者の子息だという(あくまで伝聞ですよ)マネジャーが登場してからは、
その手腕でみるみる客層を広げ、女性が立ち寄れる店になった。
やっぱ、あの雰囲気がよかったんだろう。

荻窪を離れてからは、休日の楽しみ方のひとつとして、
ここで一杯ひっかけて、さあ、きょうはどのラーメン屋に行こうか、というのがあった。
「丸信」がなくなってからは(というか、とっくになくなってた)「春木屋」「二葉」「丸福」とかがあったのだが、
親戚筋が後を継いだ「二葉」が駅前に移転したあとは、選択肢がひとつ消えた。

そして、駅前広場の整備のため「鳥もと」が2年前に撤退・移転したあとは、
わざわざ荻窪まで行く必然性を感じくなってしまった。

移転先の「鳥もと」は二か所。互いに仲が悪いようだ。
中央線脇と、あのゴミゴミとした横丁の一角にある、ふたつのお店。
横丁の店には2、3回行った。
移転直後は、かつての「鳥もと」の写真を置くなど、客の心をひこうと懸命だったようだが、
その心配はもうない。
かつての店とはまったく別のお店になってしまい、
そこそこ繁盛しているようである。

駅前広場の整備で消えた店はまだある。
屋号は忘れたが、あのきれいになった広場の一角に中華料理屋があった。
まだ荻窪に住んでいたころの話だが、
「鳥もと」で飲んで、もう少し飲みたいなあという気分のときに立ち寄ったお店。
カウンターの上にダイコンとキウリをラー油入りの醤油で和えたボウルがあって取り放題。
といっても、そんなにとる勇気もなく、売り切れ状態のときがほとんど。
それをつまみながら、白酒とかを飲んだ。
〆はラーメン。なんの変哲もない普通のラーメン。
でも、飲んだあとは、このくらいのさっぱりしたもので十分。

もう一店挙げておきたいのが「ズイホーさんのお店」(正式な屋号は知らない)
青梅街道から商店街を入って行った天沼八幡のはす向かいにある。
夕方から店を開ける飲み屋。まだ、やっているんだろうか?
昨年まではあったようだが、営業時間帯には行っていない。
この店も、ほぼ学生時代からあったから、そこそこ老舗だ。

台湾人の女性が経営していて、うまい台湾家庭料理をだしてくれる。
いまでは台湾料理屋なんて珍しくないけど、当時は貴重な存在だった。

まずは、チャーシューと豚モツの三品セット(冷菜)をにんにく醤油でいただく。
腸詰めのときもあった。ビールで始めて紹興酒。
ホウレンソウ炒めもいけた。スープを足して炒めてくれるから、うまいんだよね。
〆はもちろんラーメン。
スープがとても澄んでいて、麺は細麺。
そこはたとなくコクのある、おいしい一杯。

学生時代及び安サラリーマンになった当初、
ぼくは、この店の近くのアパートに住んでいたのだが、
この店を少なからず利用していた。

サラリーマンになって少し経ったころだった。
この店では比較的早い時間帯にまったりと飲んでいた。
すると、店の入り口付近に衝撃。
酔っぱらった女性が自転車で突っ込んできたのだった。
どこかで飲んできたのだろう、彼女は店に入るなり、トイレに急行。
用を足すと、ぼくともう一人いた男を品定め。
「あんたの方がまだましじゃん」と、ろれつの回らない彼女。
ぼくの隣に座り込んできて、品を崩す。
髪型は裾を借り上げ、服装といえば黒っぽい。
いわゆるカラス族、ぼくより少し年上か、でもお顔はきれい。

「アーナタ、ヨッパラッテールヨ、オサケはダサナイヨ」とズイホーさん。
ぼくも不穏な雰囲気を感じ、まだ飲み始めたばかりなのに、早々とお勘定、撤退。
すると、彼女、ぼくのあとを自転車を押しながらついてくるではないか。

****

数日後、ズイホーさんの店へ。
「アナタ、コノマエ、ドウシタアルヨ」
「アナタノ、キョウダイ、タクサン、イルヨ」

ズイホーさんの話によると、
彼女の旦那さんは、出張がちで、ひとりでいることに耐えられないさみしい女性とのこと。
ただ、荻窪を離れるまで、ズイホーさんの店は利用していたが、彼女に再び会うことはできなかった。
ズイホーさんとの話題にのぼることすらなかった。

懐かしい思い出である。

荻窪を離れて、かなり時がたった後、女性を連れて訪問したことがある。
「アナタノ、オクサン?」
ズイホーさんは、ぼくのことを覚えてくれていたのだ。

もちろん、その女性はぼくの奥さんではない。

また、いつか行きたいのだが、きっかけがつかめない。

(了)

昭和時代の荻窪のラーメン店を語るうえで、この店を外すわけにはいかない。
「佐久信」。

元の屋号がなんだったかは、いまとなっては思い出せない。
「丸信」「丸福」「春木屋」という荻窪の黄金のトライアングル・エリアにあって、
ひっそりと生息していた町の中華屋さん。

なぜか店内で巨大なオウムを飼っていたり、なんとなく不衛生。
カウンターの下には古いマンガ本が乱雑に置かれている。
夫婦でやっているお店なんだけど、店主のあいさつが振るっていた。
下を向いて「ちゃい」  「ちゃい」じゃないでしょう?
「いらっしゃいませ」でしょ。
ひとりの客に対しても団体客を優先しない接客上手の春木屋を見習えとまではいいませんが、
いつ行っても客がいない方が多いんだし、もっと考えてよ、と言いたくなるじゃあーりませんか。

そうはいっても、この店、ぼくのような安サラリーマンにはありがたいお店だった。
なぜか。
記憶ではラーメン250円、ギョーザ200円、ビール中瓶、忘れたが、ええい350円くらいか?
千円札だして、おつりがきます。
各店の営業時間は覚えていないが、午後9時を回ると、
開いているのは丸福とここんちだけ。実はまだあるのだが、、、
丸福に並ぶのもめんどくさいし、軽くビールをひっかけたい、などという
個人的な理由で、このお店にひっかかっていたわけ。

そんなこんなで、目をつけたのが、テレビの娯楽番組。
ラーメンの街、荻窪で閑古鳥が鳴いているお店をなんとか救済できないか、
立ち上がったのが、キンキンこと愛川欣也が司会を務めていたこの番組。
もちろん、番組名は忘れています。2週連続の放映。
いまではテレビはほとんど見なくなってしまったが、当時は面白い企画あったんだね。

出演者が誰だったかは詳しくは覚えていない。
料理評論家(想像できるでしょ)や経営コンサルなんかが寄ってたかって、「そこがなっらん」とか
「あそこはこうしろ」などと寄ってたかって、鍛え上げ、
よって、新しいラーメン専門店に豹変。
どうだったんだろな、店舗も改装したし、
資金はどうしていたんだろか? いい時代だったからスポンサーが出していたのか?
たしか糸井重里がつけたきキャチコピーが「バカうま」

改装オープンは昭和も終わりに近いころだったと思う。

いきなり行列店に大変身。あの頃はテレビの影響力、絶大だったし。

お味の方はというと、金華ハム丸ごと使ったスープといい、
どこから引っ張ってきたのかは知らないけれど、
接客上手の男性が従業員として加わっていたり、まずは上出来。
ご主人もやればできんじゃない。
「いらしゃいまーせ」

個人的な見解ですが、コピーの通り「バカうま」とまではいかなかったにせよ、
貴重な存在になりました。

その味を言葉で説明するのは難しいのですが、
とにかく、筋が一本通ったお味になったのは確か。
ぼくも混み具合をみながら、「きょうはどのお店にしようか」と思案しながら、
何度か通いました。

あの激戦区の中にあって「きょうはここにしようか」と思わせるだけでしめたもの。
正確な営業期間は覚えていませんが、
このお店もわずか数年で営業を終えました。

理由は北口バスロータリーの拡張工事のため。
あの場所は2回にわけて拡張したんじゃないでしょうか。
1回目で「丸信」と「丸福」が消え、
2回目で「佐久信」が消えました。
いまタクシー乗り場がある一帯エリアの一角が佐久信があった区画なんでしょうね。

商売には向いていなかった、あの夫婦も短期間で大きく儲け、たぶん立退料を頂き、
余生を大過なく過ごしたか、過ごしているんでしようね。

不器用で頑ななご主人の名誉のために言っていきますが、
ぼくはあの250円のラーメン、けして嫌いじゃなかったんです。
上京直後は「まずい」と思っていた東京ラーメンですが、
今となっては、安くていおいしいフツーの東京ラーメンが食べられるお店が減ってきています。
安いしなんとなく好きでした。
ただし、樹脂の臭いが強烈な最安値の割り箸には辟易していました。

もちろん岡山といえども、安いラーメン屋はありました。
幼稚園のころだったかなあ?
親戚のおばちゃんに、30円か50円もらって隣のお好み焼き屋兼ラーメン屋兼お菓子屋
みたいなところに走っていました。

豚ばら肉を使った油身が多いあのしょ辛いチャーシューが乗った、
あの中華そばこそ、ぼくのラーメンの原点だったような気がします。

子どものころは外食なんてほとんどできなかったし、
中華そばならどこのお店でもよかった時代を過ごしてきました。

ですから、当時250円のラーメンに、今一度、清き一票を投じようと思いました。

(次回に続く)